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保育の美談と現実のギャップ~子どもは育った力を全方位に使う~

今日は、保育者と話していた時や事例検討会で語られる素晴らしい話について、ちょっと考えることがあったので書いてみたいと思います。

保育を語るときに登場する美談

保育の現場では、子どもたちの成長に関する「美談」を耳にすることがよくあります。
例えば、子どもが問題に直面した後、友達と協力して解決していった!という話や、動物への接し方について反省し、自ら改善の方向性を導き出したりするという類の話です。こうしたエピソードは大人にとって心温まるもので、私自身も「素敵だな」と感じることが多々あります。

しかし、これらの美談は保育の一面を切り取ったものであり、保育の全てを反映しているわけではないのではないかと感じることもあります。「そんなうまいこと行くのかな??」と思ってしまうことがしばしばあるのです。
特に保育者の言動や誘導が、子どもたちの行動や発言に影響を与えている場合が見え隠れしていて、その点が見落とされることがあるのではないかと感じる場合は、違和感を感じてむずむずしてしまいます。

保育者の影響と子どもの反応

保育の現場では、保育者の期待や意図が子どもの行動に大きく影響することがあります。例えば、探求的な活動をしている時に、保育者が意図せずとも子どもたちの「気の利いた発言」を拾い上げ、それが活動の方向性を決めることがあります。
また、動物に対して不適切な行動をとった子どもに対して、保育者が問いかけたり、表情で「それは良くない」と知らず知らず示すことで、子どもが自ら改善策を考えることもよくあります。
これらの現象は、「教師期待効果」や「ピグマリオン効果」と呼ばれます。

このような場合、子どもたちは保育者の期待に応えられて嬉しい!という面もあり、子どもが「無理」をしているわけではないことも多く、保育者にとっても子どもにとっても、ごく自然に起こってしまうのが、この現象の難しいところです。
しかし、保育者が無意識に誘導している部分があることを自覚することが大切だとも思います。

子どもが本当に学んでいるか?

動物に対する不適切な行動に気づいて「次はやらない」と結論を出すことは、良い学びに見えます。
しかし、例えば羊にちょっかいをかけ、その反応を面白がるという子ども特有の視点も忘れてはなりません。
大人として「これは羊さんは嫌なんじゃないかな?」と伝えることは必要ですが、同時に子どもが感じる「面白さ(自分が触ったことで、羊がびっくりして反応してくれた!)」の視点にも着目する必要があります。

大人の目から見て、学びや成長のエピソードが素晴らしいものに見える一方で、同じ子どもが別の場面で不適切な行動を取っていることも多々あります。これは、子どもが育った力をあちこちで使ってみているからこそ起こるのであって、成長していくプロセスの一部です。

成長は「美談」だけではない

私たち大人は、子どもたちが右肩上がりで成長することを期待しがちですが、実際の成長はそのような直線的なものではありません。

子どもの成長は右肩上がりではない


子どもは、大人が言う好ましい行動も好ましくない行動もどちらにも育った力を使いながら、経験を重ねていくものです。
直線と対比するなら、円の中心から広がっていくイメージだと思っています。
大人はそのプロセスを理解し、両方の側面を受け入れることが重要です。

子どもは育った力を全方位に使ってみます

保育のエピソードや事例発表で美談が語られることが多いですが、私はその裏側にある「眉をひそめるような」行動も同時に伝える、少なくとも保育者がありのままを受け止めていることが大切だと考えています。
どちらも子どもたちの成長の一部なんだという気持ちで見つめることで、より深い理解が得られるのではないでしょうか。

親として、保育者としての視点

私自身、子育てをしていて成長は全方位なんだなとひしひしと感じています。
「自分の気持ちを言えるようになった!」という嬉しい成長が見える一方で、「お父さんとはいきたくない!」と言うことを聞かなくなったり、「小松菜は苦いから食べたくない」と好き嫌いを言うことも増えます。
これらは当たり前のことであり、その一つ一つに一喜一憂するのではなく、成長のプロセスとして捉えることが大切なんだと自分に言い聞かせています。

大人は、どうしても自分の期待通りに子どもが成長することを望んでしまいますが、実際には子どもは「やりたい」といえるようになると同時に、「嫌だ」と言えるようになるのです。
親としても保育者としても、子どものありのままの成長を受けとめ、どちらもその子なんだという気持ちで接することを心掛けていきたいと思います。

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