泡だらけのキッチンで見つけた小さな成長
うちにはもうすぐ3歳になる下の子と、4歳になったばかりの上の子の2人の娘がいます。
平日の朝、私は数分で洗い物を終え、後は妻に丸投げして家を出てしまうので、子どもたちと一緒にお皿洗いをする機会はありませんが、お休みの日は一緒に洗うこともあります。
2人はお手伝いが大好きなようなので、特に休日の朝はその好奇心がキッチンに向かってしまいます。
今日はそんな休日の朝の風景から感じたことを書きたいと思います
休日のキッチンは、泡と笑顔(?)でいっぱい
休日の朝、私がこっそりお皿洗いを始めると、食器のカチャカチャという音に誘われて「お皿洗いやりたい!」と言ってキッチンにやってきます。
お手製の踏み台に登り、半分の大きさにして渡したスポンジを握りしめて始まるお手伝い。
子どもたちはお気に入りのお皿やコップを選んでは丹念に洗いながら、やる気に満ちあふれたドヤ顔で、真剣にお皿に向き合います。
しかし、汚れが落ちるとともに泡と水がキッチン中に広がり、足元にまで水たまりができる始末…
お皿洗いが終わり、満足そうにいなくなる時には、びちゃびちゃのキッチンと、ぐっちょり濡れた服のおかげで、大掃除を始めるのが毎回の恒例です。
ただの水遊びだと思っていたけれど…
子どもたちは洗剤を何度も付けて、泡立てるのが楽しいようで、同じお皿を繰り返し洗います。
姉妹で来ると、お皿とスポンジの取り合いが始まったり、いつの間にか使えるようになった蛇口は、こっそり止めてもすぐに全開で出されるので、キッチンは大盛り上がり。
本当に申し訳ないけれど、正直に言えば、「お皿洗いやりたい」と言われるたびに「う、ばれた!」と思うこともしばしば。
ところが今日、お皿洗いをしている時、下の子が「みんな、つぎ、つかえるようにするんだよ」とつぶやきながらお皿を洗っているのを見て、ちょっと感動しました。
単なる水遊びかと思っていた私ににとっては、結構驚きの一言。
子どもたちの中ではただ遊んでいるだけでなく、「次の人のために」という考えを持ってお皿洗いをしていることを知り、成長を実感しました。(水遊びだと思っていてゴメンね)
家事は家族の時間を奪わない
今日はおばの引っ越しの手伝いや、明日の乳幼児教育学会のシンポジウムの準備などで忙しい日でしたが、だからこそ、こうして子どもと一緒に過ごし、成長に触れられた時間があって、とてもラッキーだったなと思いました。
ロボット掃除機や食洗器などの便利な家電製品が「家族の時間を作れる」とうたうCMをよく目にします。
個人的には、最新家電は大好きなので、心躍るのですが、家事を共にすることで生まれる触れ合いや学びは、また別の価値があるように感じます。
もちろん、こどもの気が向いたときにしか参戦しないので、便利家電が欲しくなります。しかし、家事に追われ、一緒に過ごす時間が無くなっていくように思っても、子どもたちは、親の姿を見たり、ときに参加してみながら色々なことを学んでいるようです。
公共性を育む家事
子どもたちが家事を通して、家族のために何かをするという意識を育むことは、家庭という社会の最小単位の中で公共性を学ぶ第一歩なのかもしれません。
たとえ時間がかかっても、その過程で得られる経験や親子の絆は何にも代えがたいものです。
家事を効率化して得られる自由な時間は、案外どこかに消えてしまいがちです。
それなら、少し手間をかけてでも、子どもと一緒に家事を楽しみ、家族の時間を豊かにするも悪くないのかもしれないなと思いました。
きっと、お手伝いをしたい!なんて言ってくれる時期は、ほんの一瞬です。この瞬間を大切にし、これからも子どもたちと共に過ごしていきたいと思っています。