今でも感謝している数学の先生の話
小中学校が進学校でした。
小学校は受験して入学し、エスカレーターで中学もひょいっと入ることができたものの、努力の仕方を知らない私はあっという間に授業についていけなくなった。
特に数学。
算数は割り算でつまづいたまま、体制を持ち直すことなくxyの登場にタコ殴りにされる毎日。
さらにこの学校の素敵(少なくとも今は心の底から思っています)な取り組みとして、「気づきのメモ」という、毎時間どんな教科でも授業の最後に、その授業で気づいたことを3行程度書いて提出、というものがあった。
ついていくことすら叶わないのに、何を気づくことがあるかと。
当時の私は馬鹿のくせにこの気づきのメモにたいそう腹を立てていた。気づかせる気のない、教科書は使わない応用編のみで構成された授業。学習指導要領が学校とズレまくった進研ゼミを時差で活用し、お母さんに参考書を買ってもらい、ノートに書き写しまくり、なんとか授業で出てくる応用問題の公式をそこから探り当てる努力はしていた。これはマジなのでお母さんに聞いてみてほしい。
しかし地頭の出来もあるし努力の継続の仕方を知らなかったこともあるしとにかく好転はしなかった。
なので、気づきのメモでブチ切れまくった。
冷静にならずとも、あれが反抗期だったことくらい誰にでもわかったと思う。でもとにかく当時の私は私を教え子としない授業形式そのものに対して不満を抱いており、努力をしたことを理解してほしくもあり、変わらない数学スキルがとても悔しくもあり、たとえテストが2点/50点でも成績表は1にしないでくれという思いでいっぱいだった。解き方がわからず真っ白のプリントを必死に隠しながら気づきのメモだけ埋めたこともある。泣いていたと思う。
気づきのメモはその名の通り、気づきを書かなければならない。
「難しかった」「わからなかった」は感想なのではねられた。勉強ができる子たちもこの違いが難しかったらしく、気づきのメモ記入時間はみんな手が止まっていたし、私が1年のときの生徒会長は自身の卒業式で「(気づきのメモ用に設けられた)罫線を見る度にため息がでる3年間だった」と答辞で述べていたほどだった。罫線という言葉をこの時知ったのでよく覚えている。
授業についていけず、気づきが得られない私は
「式を見ただけでは何を用いて計算すればいいのかわからない。答えの形式もわからない。わかるようになる術はないのか。テストは教科書の順番で出題してこないのに」
「何故この公式がこの式にもあの式にも通用するのかわからない。この公式の2はなんの2なのか、何故授業では教えてくれないのか」
「まちがいに気づくことができれば、少なくとも今以上に時間がかかることはなくなると思うんだけど、それはどうやったらいいのかどの本にも書いていない」
「1問解けた。あまりにも時間がかかった。けれど嬉しい気持ちが大きいから今日はこれでよしとしたい」
というように、馬鹿のくせに威張りちらしていた。私が何故数学がわからない状態になっているのかを考えてるというポーズをとりつつ、助けてもらおうとそれっぽく文章を整えていた。ちなみに国語は得意だった。
さて表題の先生について。
彼は若い先生で、非常にさわやかかつ人当たりもいい子煩悩でそれはそれは人気だった。彼が私のクラスの数学を担当したのは、3年間のうち2年生の時の1年のみ。
先生は私の白紙のプリントに気づけば私の机の前に高い背を縮ませて一緒に何十分も考えてくれたし、解けたときには一緒に喜んでものすごく褒めてくれた。めちゃくちゃいい先生だった。
にも関わらず、提出したプリントではキレ散らかしているという、本当に可愛げをドブに捨てた生徒がここにいたってわけ。
じゃあそのドブ餓鬼の気づきのメモ、提出して返却されてきたのをみたらどうなっていたか。
はなまるがついてた。
私が怒っている部分にピンクに近い赤ペンで下線を引いて、末尾に慣れた斜めのはなまる。
その真意は期末に設けられたばかでかい気づきのメモ(その学期の要領全部を振り返ってA41毎びっしり気づきをかくやつ)に文字で書かれていた。
僕はぱにおに出会えたことを本当に嬉しく思う
数学がわからないという考えを知ることができた
苦手だという気持ちを伝えようとしてくれた
問題ひとつ解けなくても向き合った証拠を残してくれた
そんな生徒は出会ったことがないしこの先もきっと会えないだろう
そんなことが書いてあったと思う。後半にいくにつれて多分だいぶ脚色はしている。
とにかくそこでは私は全肯定されており、そのとき初めて私はあの悔しかった時間が報われたと感じた。このプリントを返却するときにちゃんと口頭でも伝えてくれた、その時の先生の先生というより人間らしさの濃い表情を覚えている。身についた公式はひとつも増えていないし、解くスピードも1秒も向上していない、けれど、この日私は数学は嫌いな教科ではなくなった。私は私で先生がくれた言葉をそのまま先生に対して同じようなことを思った。
そんな話ももう10年以上前で、兎にも角にもあの先生との出会いは私の人生のターニングポイントであり、教鞭など取る道は選んではいないが私も彼のようにあろうと思うことは日々本当に多い。
でかい気づきのメモは大切にとっておいたつもりが、1年後には処分してしまっていた。
だから消えないようにnoteに書いてみたんだと思う。
感謝の気持ちが消える予定はないけれど。
オチなし。