暑いのか寒いのかわからなくてこの感じ本当に嫌いだけれど熱出すの自分的に久々なので嬉しい と思ったら全然二ヶ月ぶりだった
暑いのか寒いのかわからなくてこの感じ本当に嫌いだけれど熱出すの自分的に久々なので嬉しい
と、ツイートしようとして、一応カレンダーと記憶を掘り起こしたところ(エビデンスベースドの人間・出窓なも)、全然2ヶ月前に扁桃炎で39度出してた。
中高皆勤の私が、ここ数年急にどうしてしまったんだろうと思う。
中2から体調不良はあったものの、「ママが『休んでいいよ』と言ってくれるような体調不良」は滅多になくて、の結果の、6年間皆勤だった。
傷だらけの高校時代も、不登校にもなれず保健室登校にもなれず、せいぜい古い方のトイレか屋上みたいな場所にちょっと間逃げるくらいしかできなかった。
大学生になって二日目の登校日に、なぜか、ふと、学校を休んでしまった。
それが全部の始まりだった。
「休む」という選択肢が、19歳になって今更、私の中に生まれてしまった。
これ、良かったのか悪かったのか今でもわからない。
休んだせいで、大学を卒業するのに5年半かかった。
けれど、あの日休んでしまわなければ、私はきっと今日までのどこかで死んでしまっていた。
「ママは『休んでいいよ』と言わない体調不良」ばかりか、「ママが『休んでいいよ』と言ってくれる体調不良」まで増えて、なんでこんなになってしまったんだろう。
なんか、私、本当はもうぼちぼち寿命なんじゃないかと、最近思う。
命がすぼまり始めているのを感じる。
私はそもそも生きる上でお荷物になる色んなものを持って生まれてしまって、野生だったらそういう個体は淘汰されて早死にすることになっている。
ここは人間社会だからなんとなく生かしてもらえているけれど、それでもやっぱり、私という個体は生存に向いていないのだろう。
本音でネガティブなことを呟けば辟易されて、けれどそれを隠せば「元気そうで良かった😄」なんて言われて。あなたのためにしんどさを隠し通せばその果てにはしんどくなくなるのでしょうか。
分かったような顔しないでほしい。
分かったような顔をするあなたも自分本位だし、分かったような顔をしないでほしい私も自分本位だ。
まあ、私もう24歳だし。
心配させるようなこと言わないで、健康的にニコニコ振る舞っているべきなのかな。
だったらやらなくてもいいSNSなんてやらないけれど。
まあ、私インターネット・アイドルだし。
偶像なんだから、あなたは見たい私だけ見ればいいよ。
元気なときは元気だし、感受性の豊かさ(笑)とセットの抑うつ性にだけ目を瞑って、私の豊かで美しいころだけ見ていてください。
だって、ネガティブなことを呟いて心配されたらされたで、申し訳なさでしんどくなっちゃうもん。
私のことを好きと言ってくれる人、それって、私が危うい感じがする、落ち込んでばかりいる、心配、不安定、という意味で「目を離せない人」な気がして、優しいあなたの良心につけこんで引き摺り込んだ気がして、私はそんな自分が嫌だな、と思う。
心配してくれたその時はとっても救われる、けれど我に帰った瞬間に襲う反動みたいな罪悪感は、あれ、しんどいね。
どうしたいのかもどうしてほしいのかも分からないややこしい私は、寝るとか食べるとかそういう単純な欲が弱すぎて生存に向いていない。
熱とかあれこれのせいで、これもまたダメな方の文章なのかな。
ああ、朝の薬をまだ飲んでいなかった。