最後の夜
東日本大震災から10年。
これは、私が前書いた文章です。
これは、大切なひとが自殺してちょうど一年経った日に書いた文章です。
冒頭にあるように、私にはいまだに、学校で3月11日14時46分に先生の号令で行った黙祷の意味が分からない。
分かって欲しいのは、私だってあの日のこと、あの日東北にいた人々の恐怖や喪失やその後の日々を考えると、心臓が痛くなるのだということ。
その上で、それでも、分からない。
10年前の今日、家具に潰されて、津波にのまれて死んだ人たちには想いを馳せて黙祷とかして。
去年死んだ友達のことは今日は周年じゃないし考えなくていいの?
今この日、大震災より多くの人が飢えて死んでるけどその人たちのことは考えなくていいの?
なんで?
それが、分からずにいる。
たぶん、黙祷とか思い出すとか祈るとか全部、死んだ人たちのためじゃない、生きてる人たちのためにやることなんだ。
目の前で大切なひとが潰れて死んでくのを見ていた人
あの日以来居ないから津波にのまれて死んだんだろうというだけで、その死を確認することすらできない人の影を未だに探す人
あんまり覚えてないけど、ママもパパもいない人
遠くの知らない場所であまりにも心の踊らない新生活を強いられた人
そこで、汚いと差別され孤独を味わった人
そこで、汚いと差別し蔑んだ人
あの原子力発電所を建てた人
あの原子力発電所で働いていた人
原子力発電の普及に尽力した人
原子力発電に不安を投げかける人を笑った人
原子力発電を知らなかった人
もし自分があの日東北にいたら生き延びる知識を持たず死んだかもしれない人
……
こうやって、関係のある生きている人を挙げていったらその輪は広がって広がっていって、きっと、私もあなたもみんな含まれる。
天災だから、地震自体、地震の被害自体はきっと誰も悪くなくて、だから地震に対する黙祷はやっぱり意味はないんだと思う。
それが、神の起こしたことだと考えない限りは。
死んだあの人に想いを馳せるのも、生きている自分のためだ。自分が救われるためだ。
それは、何も悪くない。
死んだ人に想いを馳せて、思い出を通して心を通わせて、生きているか死んでいるかというだけで私たちにたいした違いはないと、つながっている一緒にいるのだと確認する。そういう作業で、儀式なんだろう。
東日本大震災から、10年。
あの日小学四年生だった私は、大学二年生になりました。
忘れられないあの日の恐怖、震源地を知った時の、仙台に住む親戚がどうなっているだろうという不安。
お風呂やプールに入るたび、顔を濡らすたび、このままここに溺れて息ができなくて死ぬってどんな気持ちなんだろうと想像した。
去年死んだ友達のことを今日は周年じゃなくても考えればいいし考えなくてもいい。
今この日、大震災より多くの人が飢えて死んでるしその人たちのことを考えればいいし考えなくてもいい。
10年前の今日、家具に潰されて、津波にのまれて死んだ人たちに、想いを馳せて黙祷とかすればいいししなくても、いい。
私たちって忘れっぽくて完全じゃないから、どんなに強く感じた感情も情動も、薄れてしまう。忘れていってしまう。
もしかしたら10年前は、もっと、日々の備えの大切さを感じていたかもしれない。
もっと、今隣にいる大切な人を大切にしようと思っていたかもしれない。
もっと、助け合うこと支え合うことの大切さを感じていたかもしれない。
でもそれらも忘れていっているかもしれないから。
だから、思い出そう。
何があったか、自分が何を思ったか。
新たにしよう。
新たな感情として、それと向き合おう。
〇〇から何年とかって、そういう意味なんだと思う。というところに私はやっとたどり着きました。
でも私は自殺しちゃった人に対してそれはやれない。し、やらないという意志がある。
都合よく教訓にして消化する気味の悪さを感じるからだ。
それはまだ、私の中で彼女がちゃんと死んでないしそれを受け入れられていないからだろう。
それはそれでいい。と私は私をゆるす。
きっと、今日だって同じだ。
まだ、受け入れられなくて向き合えなくて、悲しみや痛みはただの悲しみや痛みでしかなくて、だから自分はよりよくこう生きようとかそんなこと思えなくて、まだ傷口は塞がっていない。そういう人だってきっといるはずだ。
どう過ごすかは、きっと社会やメディアが示すよりも自由なんじゃないかな。