終わっていく日々の日記
3/13
最後のボイトレだった。
11月半ばからボイトレがなかったから、解散しますと先生に伝えるのと有難うございましたを伝えるのが同じ日になってしまった。
3人での合同ボイトレは2回目。前回はワンマン前だった。あの時はなんだかなかなかまずい感じで、「みんなちゃんと他2人を見て」「ワンマン直前でこれは……思った」と言わせてしまった。
基礎を終えて、「ホリゾント」を練習させていただいた。私たちの最後の曲。自分が作詞した贔屓目抜きでも、きっと特別に重い一曲だ。前回の合同ボイトレのことを思い出しながら、私たちは随分調和したな、なんて感じた。少なくとも三人で歌っている時、三人で一つになれているような感じがした。当たり前なんだけれど、沢山話して泣いて、やっとここに来られたね、と思った。
3/17
スタジオをとっていただき、こちらも久々の練習。ワンマン前以来だった。
家ではずっと歌っている(外には聞こえていないみたいだけれど、階下の母には聞こえていたらしい!今日知りました……)しカラオケも行くけれど、やはり三人で踊って歌えるのはいいな。
前日から熱を出していた。私は週に2回くらい微熱を出すのだが、3月に入ってからは2回目の大きめの熱だった。(新型コロナウイルス感染症でもなくインフルエンザでもなく、ただ1人で熱を出します)
この期に及んでか。どうして私は大事な時に。
自分を呪いそうになったが、呪いが成就して呪い殺せたところで事態はわりと最悪に転ぶ(大切なお知らせが出てしまう)だけなので、ひたすら食べて寝ることにした。健康が一番。
練習は休むのが懸命な気がしたが、あと何回この子達と歌って踊れるだろうと考えてしまう。特にピリオドなんか、これを逃したらあとは解散ライブの一回だけかもしれない。私は休むという選択が取れない人間だ。迷惑をかけてまで出ていってしまう。これは弱点だ。
歌って踊るのが楽しい。悲しい。
3/19
解散前最後のライブ。ゆいのんさん生誕。
生誕祭は幸せが充満している。純度100%でお祝いできないことに後ろめたさを感じる。私たちが明後日解散することも、私たちにはもう生誕がないことも、眩しい彼女たちのように抱き合って互いを祝うことも、もうできない、ことは関係ないのに。
ゆいのんさんとたる氏の「君と」よかったなあ。客観的に聴くと、やっぱり素敵で苦しい曲だなあと感じさせられる。
「ホリゾント」のポエトリーリーディングは、今日は今までの曲の歌詞を全て入れたものにして、解散で音源(最後一言だけ変える)にするつもりだったが、運営に逆の方がいいと言われ、そうした。やっぱり音源のが一番考えを重ねているし、音とかリズムは一番いい、と思う。
最後の一言、最後のチャイムが、君との時間が、「ああ、終わっちゃう」なんだけれど、レコーディングの時中山さんに「色々連想してしまう」「暗すぎる」というような理由で、別の案のラストだった「そして、夜が来る」に変わった。でもやっぱり、いよいよ私たちも本当に「終わっちゃう」からね。
ゆいのんさんの歌声が好き。いつかの251、ソロで出てらっしゃった時の、特に「border」が忘れられない。今日もかっこよかった。
おめでたい日だ。(^。^)
私たちはポエトリープだ。他の何にもなれなかったし、他の何でもないポエトリープでありかった。
3/20
解散前日。なのに朝からバタバタ。卒業アルバムが終わらない。何回か三人でカラオケなんかに集まって作業をしているが、かなり時間がかかる。でもどうしても、全ページ飽きるほど見てたって、ふと思い出が脳みそのわずかな隙間に入り込んできて寂しくさせる。
最近は全員作業を諦めて寝たり寝坊したりしている。大丈夫そ?
そして最後の練習。衣装を着て、解散ライブでおろす大きいリボンをつけて、この衣装を着て三人で歌うのも次が最後だ、なんて思ってしまう。
練習後もアルバム作りとsチケットのメッセージカード作り。アルバムの方は手際も職人になってきたが、メッセージカードの方はやはりどうも感傷的になってしまう。ずっと見守ってくださっていた方、たまに久しぶりの方もいたりして、いちいちいろんなことを思い出してしまう。
帰宅。アルバムを諦めることに決める。陳謝……いいアルバムになったと思うから順次お受け取りください。すみません、すみません……
前髪を切る。爪は、かなり前に買った水色に塗る。左手は二度塗りできたが、右手の二度目に入る前に力尽きて就寝。
3/21
解散の日。寝るのが遅かったので不安だったが、電話で起こしてもらえたので安心(^。^)
忘れ物がないか不安。それはいつも不安か。
引っ越したので新宿に行くのもなれていなくてドキドキする。
MARZに入るとすぐみうちゃんに遭遇。入るところも、向かい側の道からみうちゃんに目撃されていたらしい。みうちゃんのツイート、いいな。
なんだかここからはひたすらバタバタだった気がする。影ナレは、後で聞き返してみたら、なかなかよかった。みんなは準備できていたんだね。私たちはぼちぼちでした。
本番。曲はお披露目と同じ「ミントグリーン」で始まる。このイントロで久しぶりにステージという場所に上がった時の、全員の眼球がこちらを捉えている感じがゾクゾクしたんだよなあ、と思い出す。やっぱりそれは変わらなくて、この感覚に続けさせられていた部分も大きかったんだなと思う。
終わっていく最後の曲たち。ふいに「これが最後なんだ」とか「このパート間違えたことあったなあ」とか「ここうまくなったなあ」とか、感傷に浸りそうになって、一瞬の後に慌てて掻き消す。そういうんじゃなくて、曲はその曲でありたい。「私」が入り込まない、その世界であってほしい、と思う。目を合わせる術や喜びを覚えても、結局私はここに回帰するんだなあと思う。演じることへの欲求が私の芯になっているんだと思う。
本編最後の曲は「ホリゾント」だった。
「2人への祈りでもないし皆さんへの約束でもありません。あなたたちのことは歌っていません」なんて言ったって、どうしたって、2人へのラブレターであり泣き言である。呪縛になってほしくなかったんだよね。
ポエトリーリーディングは、今までの全曲の言葉を入れた文章。無理やり入れて意味がいまいち通っていないのが好きじゃないから、(今回ばかりは運営に意見を仰ぎながら)何回も書き直した。
最後のサビの「壊して」は、「壊してください」という嘆願ではなくて「魔法をかけて、壊して、壊して」という並列。「壊して」と歌いながら、私たちは壊せなかったのか、などと考えてしまう。けれどこの一瞬が全てで、とても苦しくて幸せで、仕方ない。
アンコール、なんだかMCで触れられなかったけれど、白い景色がとても綺麗だった。本当に綺麗だった。有難う。
最後の曲はバッドエンド。もうあんまり覚えていないけど、間奏前の「おーおー」で見事に音が外れて、それがお披露目と同じで、思わず笑ってしまった。私たちってこういうところイマイチ決まらなかったなあ。
私はじつはよく泣く、と見せかけて意外と泣かない。自分のことではあんまり人前で泣かない気がする。一番いいライブをしなきゃ、とか、一番綺麗な顔でいなきゃ、とか、焼き付けなくちゃ、とか、そんなことを考えていたらあまり泣きたくはならなかった。
特典会、私のところからいなくなっていく人たち。バッタバタななかで、けれどたしかに本当の終わりが近づいていて、気づいたら負けてしまう気がした。もう一生会うことがないかもしれないひとたち、私はちゃんと伝えるべきことを伝えられただろうか。
特典会が終わるころにはすいちゃんが赤ちゃんみたいにえっくえっく泣いていて、君は「私は泣かないので……」なんて何回も言っておいて、いざとなったらちゃんととってもとっても悲しいんじゃないか、と笑ってしまいたくなりながら、私も泣いてしまった。
最後の挨拶、やっぱりこの三人でできてよかったよ。
そしてまさかのアルバム作り。しんみりする隙もない。もう泣き疲れて眠たい。みうちゃんは一度意識を失っていた。
最後のお仕事(ではなかったのだが)だ、と思うとまた余計に寂しくなってしまう。
ご飯を食べて、手際の悪い私に「なもちゃん早く!これやって!」と仕事を回してくれて、沢山笑って、これで、本当に終わるのか、と、なんだか信じられなくなった。
帰りは運営がそれぞれの家に送り届けてくれた。みうちゃんがいなくなって、すいちゃんがいなくなって、その度に息ができないくらいみっともなく泣いた。近いうちに打ち上げするのに。
途中で日付が変わって、Twitterのプロフィールを変えた。自分が消していく文字たちを忘れないようによく見た。私はポエトリープではなくなった。ポエトリープはなくなった。なくなってはいないのかもしれないけれど、生きて活動してはいない。
けれどどこか実感はわかないまま帰宅して、そこからは何も覚えていない。十四時半まで眠った。