「キャラ変えた方が延命できるよ」
「キャラ変えた方が延命できるよ」みたいな助言を受け、私は私の中で一番私な部分、私が美しいと感じるものを拡張して纏っているだけなので、はて、と一瞬戸惑った。
「いつまでそういうのやってるの?」と聞かれても、やっている、うん、そうなんだけれど、これが私が一番生きやすい形なのだから仕方がないし、自然なんだと思う。
私、イロモノとしてウケるために出窓なもというコンテンツだとか偶像であるわけではないんだ、伝わっているかはわからないけれど。
「こういうのの方がいいよ」と言われても、私全然そんな私にときめかないし、美しいと思えない。
仄暗くて珍妙で抑うつ的ででもどこかひょうきんで、そんな「私」を受け入れて、あなたも美しいと感じて、評価して、賛美して、なんて、別に思っていない。
ただ、せめて、これが「売れる」とか「ウケる」ための必死のピエロなどではなくて、私としては真摯に、ただただ私をやっているのだということ、を、理解していただけたらとても嬉しい。
私は出窓なも。迷って流されて迎合してブレてしまった期間もあったけれど、それはそれで私の人生には大切なもので、そんな期間もそんな期間なりに私は出窓なもだったし、けれど何も無くなった今、私はいよいよちゃんと出窓なもです。
インターネットの海は深くて、白波が立つ表層とは全く違った時間の流れ方をしていて、暗くて心地よくて、少し、寂しかったです。
インターネットの海の浅瀬に残ってしまった出窓なもの概念を、実体の私が迎えにきました。
私がインターネットの海の深いところに潜った時、それが勢いよく浮かび上がるための計画的な準備期間だと思ってくださっていた方、期待してくださって有難う。ごめんなさい。
私はなぜインターネットの海の深いところに潜ったのか
実は明確な一つ、これ、というものはなくて
ただ、出窓なもは消えるべきなのかもしれない、と思いました。
私は私の輪郭をなぞって、それに「表現」と名をつけて世界に放流することでしか、私の存在を確かに留めておくことができません。
けれど私の輪郭は、私だけが作り出したものではありません。過去の全てが、私の輪郭を作り上げました。
私が、私が生きるためだけにその作業をすることで、私の輪郭を作り上げたあなたとかあなたとか、そのあなたを愛するあなたとかあなたとか、想像したら恐ろしくなってしまうほどの人々の記憶を汚したり、歪めたりする可能性を考えないわけにはいかなかったのです。
けれどもここからいろんなお話や理屈を飛ばして、出窓なもとちょっと相容れない人、他と同じように消えれば美しいのにも思っている人、私のことをミスiD型ピエロだと思っている人、そんな人々のことも、恋しくなってしまったのよね。
それで、とくにきっかけみたいなものはないんだけれど、浮かび上がってきてしまったんだ。
なんていうか、準備も整っていたんだと思う。
先述の通り、私は今もっとも出窓なもです。
私が出窓なもだから、私が選び行うこと、全て出窓なもです。大丈夫。
さようならがいつになるかは分からないけれど、その時はまた、出窓なもの概念をここに置いていきますので、皆様はおもちゃにしたり抱き枕にしたり子守唄にしたり監視カメラにしたり生き霊にしたりサンドバッグにしたり、様々、ご利用ください。
それまでは、ご興味があればどうぞご鑑賞ください。面白いところもあるかもしれません。
おかえりと言ってくださったみなさま、有難う。
忘れられたかったくせに、忘れられていることが怖かった、少しね。