訂正:一週間外に出ていない(一度の深夜徘徊を除く)


三日間外に出ていない。

夏が帰ってきたなんてツイートをちらほら見かけたが、部屋が蒸し返るほどの暑さではないらしく、そうなると私には全く実感がない。
実際のところどうなんだろう。

延長戦の延長戦の夏は、部屋に籠る私にまでは届いてこない。


三日間外に出ていない。
し、少なくともあと二日間は外に出ない予定だ。

引きこもり体質に見えるかもしれないが、いや、確かに引きこもり「体質」ではあるが、体質に反発するように、意外にも私は外に出る。三日間も外出しなかったのは去年の3月ぶり、そしてその前にまで遡ると本当に記憶にない。

私は、気が狂って外に飛び出すか、無理やりの出先で気が狂ってしまうか、のタイプなのだ。 


環境が変わらない分、自分の精神状態の移り変わりがよく分かる。
朝は灰色で重たくて、昼は服が肌に擦れたり前髪が額に当たるのが痛かったりして、夜は演説が聞こえたり脳内に言葉が溢れかえったりする。
空の美しさを綴る時もあれば、世界の理不尽さを綴る時もある。


心の浮き沈みがなくなったら、私の悪いところも良いところもなくなる気がする。

私が思う出窓なもの悪いところ、不安定でしばしば不安を煽るようなことや支離滅裂なことをツイートするところ。
私が思う出窓なもの良いところ、ありきたりな事象を私というみょうちくりんな思考装置を通してみょうちくりんな文章にするところ、絵を描くように自撮りをするところ。



きっと、「なくなるほう」を祈って、平穏な景色に幸せを見出せるようにならなきゃならないんだろうな。

落ち込んだり傷ついたりすることで感性を鋭く尖らせて世界の解像度を上げるのは持続可能でない生き方だ。



4度目の朝。暑くて目が覚めた。

なるほど、これが世間の言うあれか、などと思う隙もなく、ただ気分が悪い。

毛布をかぶって寝たから脱水状態にあるのがすぐ分かる。

ヘロヘロになりながらアクエリアス(低カロリー)を無理やり流し込んだ。
(本当はポカリスウェットの水色派です)

熱のヘロヘロに脱水のヘロヘロが重なってヘロヘロのヘロヘロだ。

そこからまた、停滞するように睡眠と覚醒の狭間を漂う。

そして気づけば、カーテン越しの空は暗くなっているのだ。

いつも、1日の終わりと始まりと、息が合わない。
体調を崩していると尚更。
私が息継ぎのように目覚めると、それは大抵午前2時とか5時とか、およそ人間たちが活発に活動する時間帯ではない。



6度目の夜。
お腹が空いた。

家にあるのは、一つ二つのお土産でもらったお菓子のみ。(あとから確認したらbasebreadもあった)

「外出は控える」とお偉いさんのホームページには書いてあったが、食料調達はその限りではないと判断して、午前0時過ぎ、マスクをしてコソコソと外に出る。

とてもいい気温だった。

深夜徘徊日和だったけれど、少し遠いコンビニへの往復だけで我慢する。

見慣れた町の夜はいい。

ここに越してきて一年半が経つけれど、一本違う道に入ればまだまだ知らない景色だらけだけれど、それでも、そろそろ私は「この町に暮らしている」という実感が、なんだか、湧いている。


この町が好きだと、思う。

特に、日が暮れて数時間もすれば静寂が訪れるところ。


ご飯を食べたら血糖値が上がったのか眠たくなった。
慌ててお薬を飲んで、ベッドに入る。


いるくんのヒレを握って、一度「キュウ」と鳴かせて、幼馴染にもらった悪夢を見ないスプレーを吹いてから眠る(ことを試みる)のが、ルーティーンになっている。


7度目の昼。

やることがなくて、身体も動くようになったから、少しだけお掃除をした。


私は本当に生活能力がない、というか、生活に対する関心意欲態度が赤点レベルで低い。

床に服があっても、机の上に書類が散乱していても、わりと、どうでもいいと思っている。

一方で、お風呂の椅子には座れない(家族と住んでいた時もそうだった)のだからおかしなひとだと思う。


そして、このnoteは終着点を見失っている。

それもそうだ。元々何かを伝えようというわけでもない。
ただの日記にも満たないような日記である。

私のように、一週間も外に出られないひとの暇つぶしになればいいのだけれど。


というわけで、2度目の新型コロナウイルス感染症の自宅療養期間を終えて、私は明日から外に出ます。

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