一蓮托生なんて馬鹿げてる
目が覚めた。午後ニ時半。
3/21は終わって、私はアイドルではなくなっていた。
とはいえ何かが目に見えて実感を伴って変わっているわけでもなく、ただ、目が覚めた私がそう
認知することで、私はアイドルではなくなった。
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ここまで書いて、書けなくなって、noteを閉じた。
ようやく気が向いた28日。1週間が経った。
この1週間の生活。
くだらないし情けない記録から。
ポエトリープに入ると決めた日から、単独自宅飲酒を禁止していた。このルールにすると、イケイケ大学生でもない私は月に1.2回しか飲まなくなる。
歌がへたな私がお酒なんて嗜好品を嗜んでいていいはずがないと、自分に課してみた踏み絵だった。
お酒を飲んでいても歌がうまい人はうまいし、効果があったのかは分からない。
兎に角アイドルを辞めた私は勿論解禁してしまって、机にはブラックニッカと赤ワインと梅酒とストゼロが並んで、呆気なく一年八ヶ月前に戻った。最初の三日間、起きている間はずっと飲んでいた。飲む習慣がなくなるとやっぱり弱くなるからコスパはいい。因みに肌は大荒れしている。(ポエ期間お酒の話題をあまり出してこなかったけれど元々はこういう人間なのであまり心配しないでね)
1週間生活をやってみて、アイドルでない自分には思ったより興味がなくて、生活への関心意欲態度が低くて、分かったのはそんな感じだ。
とはいえこの1週間、もうお化粧もしたし電車にも乗ったし(間違えまくりだが)、健康診断にも行った。遊びにも出かけた(連れ出してもらった)し、ぷよぷよをしたし、ライブにも行ってみたりした(これは半分自傷行為かもね)。
ずっと引きこもって死にたいと泣くような日々ではないのでご安心を。
なんとなく、なんだかんだ、生きられてしまって、日々は過ぎていくんだよね。それはとても逞しいことでもあるし、とても寂しいことでもある。
埋められない喪失も、埋まってしまう喪失も、同じように寂しい。
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何を振り返ろうか。
ポエトリープでの一年五ヶ月、楽しかっただろうか。後悔はないだろうか。入ってよかっただろうか。役に立てただろうか。頑張れただろうか。
正直どれも分からない。
多くのものは何かを捨てることで手に入れられて、何かができないというのは厳密にはそれを手に入れられるだけの何かを捨てる選択ができないということを意味する気がする。私は自分に甘いので、よく自分を省みてそう思う。が、何を捨てても得られないものはあって、特に過去と他者に関することは基本的にどうにもできない。
たとえ欲しいものはそれ一つだけであっても、たとえば「これまで通り君と一緒に居られるならそれだけでいい」なんて泣いたところで、それはかなり傲慢で欲張りな願いだ。
だから、他者と運命共同体になるというのはかなり馬鹿げていて、無理がある話だ。お互いの選択への権限も、人生への責任も持てないのだから。
なのに、私たちはポエトリープに入り、少なくともアイドルとして一蓮托生になってしまった。
3人でアイドルをやっているのなら、アイドルとしての幸せの、3人の三分の一ずつを担いあうものなのだと、ずっと思っている。三分の一の責任がある。結婚は自分と相手の二分の一ずつを担い合うものだから、私の中では結構似ている。重いかな。でもやっぱり、そう思ってしまうんだよね。
三分の一、幸せにしなければならなかった。妃奈乃みうと以翠すいのことを。
私には到底できていなかったろうな。
やっぱりどう考えてもポエトリープはあらゆることが道半ばで終わってしまったグループだし、めでたしめでたしではなかった。
解散ライブのアンコールのバッドエンドで、「全員一回ずつ煽りを入れるように」と運営に言われていたのに何も考えずその時になってしまって、口をついた言葉が「バッドエンドでもいいよね?」だった(これは煽りなのか……?)。自分の口から出た、おそらく今までで一番大きな声を聞いて、ああ、私にとってこの一年五ヶ月の結末はバッドエンドなんだ、と思い知らされた。と同時に私はそれを肯定したがっていた。肯定されたかった。
幸せにしたかった。幸せにする責任があった。
振り返ってみればまだまだ頑張りきれなかったことばかりで、一人で焦っては空回って、二人を不幸せにした場面だって多かった。私はやっぱり、集団でなくて一人でいる方が向いているのかもな、なんて思うことも多かった。
それでも一緒に居たかったし、諸々の状況が許すなら、自分の適性のなさや至らなさを自覚しながらも、それでも私はそこに居座り続けることを選択していたのだと思う。
解散ライブの帰り、「グループとしてはまだまだだったけれど、個々の成長はあったね。ポエトリープはそういう場所だったんだね」というようなことを運営に言われた。
私は、自分を開くことを覚えたと思う。
初対面ではお腹と肩を出してあんなにハスって威嚇していたのに、なんだかすっかり、甘え慣れてしまった(今でもお腹も肩も出しますけども)。
私は不器用な愛を二人に露わにすることを覚え、二人は細やかな愛をくれた。そんな印象。
二人は、幸せが嫌いで自分のことを幸せにできない私の分まで、三分の一以上に私を幸せにしてくれたと思う。
とはいえやっぱり自分を開くみたいな部分も未完成で、相変わらず私は結構誤解させてしまう人間だ。感情を行動に反映させるのがおそらく苦手で、行動だけは割り切ったように飄々としてしまう。
24時を過ぎてすぐにプロフィール画像やbioを変えてしまったのは、ポエトリープである自分を愛していたからだよ、ポエトリープでなくなった自分には何一つ相応しくないと思ったからだよ、ポエトリープでの日々を綺麗にそのまま終わらせたかったからだよ、
すぐにこれからの話をするのは、これまでの日々を守るとか守れないとか、そういう段階はもうとっくに終わってしまって、各々頑張ったけどもう無理だったから、そんなつもりはなくても私たちは時間に押されて前に進んでいるから、これまでの日々を大切に思うこととこれからのことを考えることは別の話だと考えてしまうからだよ、あとへらへら平気そうに笑ってないと、重たすぎる一年五ヶ月に引っ張られて目の前で泣いて困らせちゃうからだよ、
ポエトリープのことが、君たちのことが、とんでもなく大好きで愛おしいよ、気持ちは引きずってるよ、はなれたくなかったよ、続けたかったよ、ごめんね
それくらいも、私は伝えられないんだなあ
人は少しずつ異なった理論を持って、それに従って物事を処理して行動を出力する。
私は思ったより普遍的だし、思ったより普遍的じゃない。君も君も、思ったより普遍的だし、思ったより普遍的じゃない。
結構違った場所で生まれて、そこそこ違った学生時代を過ごして、わりと違った音楽を聴いて、ちょっとずつ違ったものを求めて、同じ場所に集まった私たち。
きっとまだまだ、通じ合えないところだらけだったね。当たり前だね。
それでいいんだと思います。
私たちはもうポエトリープでないし、もう同じステージには立たないし、週に何回も会うことはありません。
けれど、連絡を取り合うことはできるので。
ポエトリープとしての私たちは終わりました。けれど、私たちの人生は続き、きっと細くなるけれど、関係だって続きます(続くよね???)。
それぞれの人生を生きて、たまに連絡を取り合って、一つずつなんとなく分かっていって、ずっと未完成でいいです。
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妃奈乃みう、あなたがアイドルになるところを目撃できてよかった。大丈夫とか平気をできてしまうみうちゃんは私と対照的なところも多くて、手を焼かせてしまったね。新宿駅で4時間くらい立ち話したの、懐かしいね。じつは一つ一つにちゃんと悩みながら、最後の方はそれをちょっとずつ教えてくれたりしながら、私たちは一緒に頑張れたかな? 有難うね。
以翠すい、あなたが多くの人に愛されながら歌う場所を守れなかったことに、責任を感じています。すいちゃんに歌われた歌は幸せだったと思う。あなたが漏らさなかった苦悩とか涙は、私たちと立つステージで少しでも報われただろうか。パーソナルスペース広いのに、私が泣くたび寄り添ってトントンしてくれて有難うね。
私が泣いているとき、ソワソワしているとき、二人がかけてくれる「大丈夫」の言葉が、世界で一番大丈夫で、安心できて心強かったです。
二人とも、ポエトリープに入ってくれて有難う。一緒に続けてくれて有難う。君たちでよかったです。(運営みたいな口ぶりだな。)
現運営、私たちを引き取ってくれて有難う。
ポエトリープや出窓なもを愛してくれた皆様、落ち込むのが趣味な私に、お手上げなくらいしつこく根気強く愛を注ぎ続けてくれて有難う。
皆様健康にはくれぐれもお気をつけて。元気って難しいけれど、まあそこそこに、ちょっとずつ楽しいことを回収していくような日々であることを祈っています。私は来週歯医者さんに行きます。歯並びの良さは健康を増進します。
嬉しくて苦しい、どうしようもなく愛おしい日々を有難う。
それでは(^。^)
ポエトリープ 03 水色担当
出窓なも