9割は喜んだり気づかなかったり気にしなかったりすること、残りの1割のことをどうしても無視できなくてなんだかいつも少しずつ損してしまう人、私は必要だと思うし愛おしく思うよ
例えば、なにを「オモシロ」「萌え」「エロ」とするか、していいか。
それらってつまり、「消費」だと思うんです。
自分の利益のために何をどこまで利用していいとするか、それって人それぞれで。
例えばの例えばなんですけど、私は明らかに性的に強調されたシスターのコスプレが、苦手です。
(スリットが入っていたり、胸元が開いていたり)
それは私がキリスト教を信じていなかったとしてもそうだと思う。
信仰ってそれをする人の核に近い部分にあって、大切なものなはず。
それをエロというコンテンツとして利用して、それこそ9割の人はいいねを押すかもしれないけれど、1割の人は悲しくなったり、侮辱された気持ちになったり、怒りを覚えたりするかもしれない。
ナース服とか警察とか学校の制服も同様です。実際に現在も存在するユニフォームを性的な目で見たり「萌え」のアイコンにして消費していい対象とすることを助長したり肯定することに繋がるようで、とても怖い。そこには節度が必要だと思っています。
(私も制服が好きだけれど、気にするようにしています。)
そこは線引き?別物なのかな?
悲しい気持ちになる側のほうが少ないから、だから我慢すべき、「見たくなければ見なければいい」なのかな?
たぶん、自分が見さえしなければ心が平和なわけじゃなくて、自分にとって大切だったり支えであるものに関わるものがそうでない人にとって表層だけ軽々しく利用されているという事実だけで悲しくて傷つくんだと思うんだよなあ
しかも利用する側ってそれじゃなきゃいけなくないんでしょ?
私たちにはこれじゃなきゃダメなのに、えっち♡でウケればなんでもいい人がテキトーに選んで無意識的になじるのに、なんでこちらがマイノリティだからって理由だけで黙って飲み込まなきゃならないのかな。不思議だ。
SNSで言えば、Twitterの画像のALTを入りきらない長文とか隠しメッセージ用に使うのとか、それって本来のユーザー、特に視覚障害を持つ人はそれこそ1割もいないのだろうけれど、それを無視しているってことだよなあ、と思ってしまう。
(私も、正しく使おうと思いながら、つい忘れてツイートしてしまいがちで、後から反省する。)
他にも、性的マイノリティーという存在をどれだけオモシロとしたり或いはアイコン化したりしていいのか、とか。
当事者にとってもそれが「売り」だったりする場合もあるから、とても難しいと思う。
あとは、精神疾患もそう。
これは特に当事者側に思うことだけれど(自分もそうだから)、自虐が他虐になってしまわないか、と不安になります。
例えば、「発達障害である自分に貼るレッテル」は、「発達障害である全員に貼るレッテル」になりかねません。
けれど当事者にとっては症状や苦しみをオモシロに昇華させることでなにかの消化を試みている場合もきっとあるし、そもそも自分にとっては当たり前のことを発信しているだけであって知らんこっちゃないという場合もあるでしょう。
し、私もやってきました。
9割だけを存在するものとして行動を選んだ方がウケるし売れます。それはきっと事実です。
節操なんてない方がいいんだよ。
ビジネスとして正しい組織の中で、私はやっぱり弱かった。
だから、これはお気持ち表明に見えるかもしれないけれど、同時に懺悔です。
(ちなみに「お気持ち表明」がdisのワードになっているの、奇妙だと思う。だいたい気持ちを表明するのがSNSだと思うので。)
オフショルミニスカートの巫女コスプレをして書き初めをしたクリスマスのこと、私は多分忘れられない。
顔も知らない色々な人、そして自分自身に申し訳なくて情けなかった。
(自分で選んでアイドルになったのだから利益に貢献しなければならないと、自分で選んだことです。本当に嫌だと訴えれば強制されなかっただろうと言いきれます。)
(間違いなく可愛いとは思うし(笑)あれは私の「覚悟」でもあるから、お迎えくださった方は大切にしてくださると嬉しいな)
(とはいえ)
私も、私にとって罪人です。
こんなことばかり考えて、インターネット向いてない、し、アイドルはもっと向いてない、だと思う。
インパクトさえあれば、9割までいかなくとも過半数にウケれば、それが正義とされてしまうのかもしれない。
ワイワイ楽しんでいるところに水を差す空気の読めない人、なのかもしれない。
けれど、どこか引っかかって苦しくなってしまう1割の存在を見つめていたい。無視したくない。
という、懺悔と、宣誓