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塾の先生とくすぶっている私のはなし

中学時代の塾の先生にはお世話になった。

いわゆる進学塾ってやつではない、ギチギチしてない、というか自由すぎる塾だった。
成績とか進学実績とか張り出さないし、自習室もない。2歳児から中学3年生までが一つしかない教室にかわるがわる通っていた。
ハロウィンやクリスマスには、壁や天井が本気で飾り付けされていた。
ちなみに床は絨毯で土禁なので、腰が痛い時は寝っ転がって授業を受けていた。

そして、そんな私が浮かないくらいのメンツが揃っていた。
授業には基本遅刻。
お菓子を持ち込んでみんなでシェアする。
それどころか途中で買い出しに行く。
宿題提出率の平均はいつも5割を下回っている。
(5割の私がトップだったという地獄みたいな学期もあった。)
(そう、私も反抗期というかなんというか、荒んでいる時期で本当に不真面目だったのです。)

こんなものさしで人を測りたくはないが、ほとんどの子が偏差値30台か40台といったところで、高望みもせず、だいたい地元の行けそうな偏差値の高校を目指していた。

そんな中で、頑張らなきゃいけなかったのが二人いた。
つまり、憧れの高校があるけれどかなり偏差値を上げなければならないか、高校にこだわりがないわけじゃないからそれなりの学力をつけて選択肢を広げておきたいか、みたいな。
それがある女の子と私だった。

先述の通り、普段の授業は授業にもなっていない状況で、それじゃとても足りない、でも自力でなんとかすることもできない私たちを、先生は心配してくれた。

日付が変わるまで居残りさせてくれたり(二人で喚きながら勉強したな…)
コースにない国語が受験で必要となったらわざわざ勉強してきて教えてくれたり(数学の先生なのに!)
私の弱点を調べてオリジナルの問題集を作ってきてくれたり(未だにとっておいてます)
「ちゃんと活動してる演劇部があって行きやすい高校がいい」なんて言ったら、演劇部の有無・大会出場実績・私の最寄駅からの行き方・偏差値・受験形式なんかを表にしてきてくれたり(こちらもとっておいてます)

決して真面目じゃなかった私たちを叱りもしなければ見放すこともせずに面倒を見てくれた。

部活も家族との関係もあまりうまくいっておらず、行きたい高校というのも見つからず、やりたいこともわからず、塾の宿題だってちゃんとやっていなかった私を、なぜか買いかぶってくれていた先生だった。

「燻っている」
と、言われたことがある。
一回だけなんだけれど、なぜか忘れられない。

できるのに、やりたいのに、頑張ってきたことがあるのに、自分で自分を腐らせている、そんなニュアンスだった。

「頑張りなさい」「自分のためにやったほうがいい」
そういう言い方をしない先生だった。
「頑張ってくださいよ」「やってくださいよ」
と、いつも謎にお願いする言い方をしていた。

「燻っている」と言ってきたときも、謎に自分が悔しそうなのだった。

いわゆる熱血教師!みたいな感じでもなく、熱い言葉なんてのも言うことはなかった。

でもそれなりに私に期待してくれてたんだと思う。

すまんね

本当に、ありえないくらいたくさんのことをしてくれて、それで初めて、ちゃんとしなきゃと最後の最後でやっと気づいたのです。
いや、最後の最後にも気づけていなかったな。

結局行きたい高校なんて見つけられなくて、母が勧めたところに決めた。まあここでいいかなって。
それなりに頑張りはした気がするけど、推薦で入れてしまったので達成感もなんだかなかった。

大学に入っても、私は頑張ることもせず緩やかにしっかりと堕落していっている。
毎日全部を怠けているわけじゃないけど、毎日締切が訪れるレポートをひいひいこなしてそれなりの豊かさを得るための労働をしてちょっとずつ削られて寝られなくて起きられなくて目が覚めたら夕方になっていて帰ってくる小学生たちの声がなんとなく聞こえてきたとき、
ふと、そんな自分を俯瞰して情けなくなる時がある。

そんな時に思い出すのが、「燻っている」という言葉だ。

本当に熱は冷め切っていないのだろうか
私は本当に終わっているのではなくて、燻っているという、その表現でいいのだろうか

なんだかおかしいかもしれないけど、
中学生当時、なんとなく思春期とか厨二病の延長みたいなもんかななんて自分でも思っていた。けれど思ったよりもその"症状"は長引いている。
一時的なものではなくて、人生自体が落ち込みつつあることに気がついている。

さっさと燻り終わりたいなあ

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