占いに行ったら、「21歳で運気が狂い出した」と言われた (アイドルを始めた歳です)
欠かさず毎日歌っている 最近は三日に一度くらいは踊っている ただの歌って踊っている人になっている
いつの日かのための準備でもあるまいに いつの日かなんてもう私にはないのに
ひたすらライブ動画を漁る時期と、とても見られない時期を繰り返している
ひたすら見る時期は、毎日数本のライブ動画を見たり、この曲はこの回のがいいとかこのパートはこの回のがいいとかこの子はこの時こんな顔をしていたんだとか思いながら繰り返し繰り返し見る
たかが一年5ヶ月、地下アイドルをやった
所謂妹グループとして作られて、所謂姉グループより先に解散した
全国流通もしないアルバムを一つとアルバムにも満たないミニアルバムを一つ出して、一回だけワンマンライブをして、同じようなライブハウスに出続けた
たかが、そんなアイドル生活だった
それなのにどうして、一年が経った今でも記憶は私を呪い続けるのだろう
苦しすぎた夜、逃げ出したくて思わず外へ走った
屋上に登った 見下ろした 怖かった
それはふと 夜に浮かぶ舞台みたいで
私は歌った
踊った
歌えなかった
踊れなかった
息が続かなくて歌いきれなかった
左右がわからなくなって踊れなかった
ライブ動画を見過ぎて、フロアから見た向きが脳裏にダブって焼き付いてしまって、身体で覚えていたはずの動きと脳の認識がバラバラになってところどころでエラーが起きた
私、舞台に立つ側じゃなくて、舞台の下から見る側の人間になっちゃったんだな
それは、当たり前に、とてつもなくショックだった
歌えないし踊れないのに、無理やり叫んで身体を動かしていたら、新聞配達の音が聞こえてきた
なんだか力が抜けて座り込んでいたら、間も無く空が白んできた
歌えも踊れもしない元地下アイドルが、ボサボサの髪で寝巻きで座り込んでいる夜明けだった
さぞ無様な光景だったろう
だから私は歌って踊る
忘れないように
忘れていくから、毎日覚え直している
壁打ちのアカウントを遡る
お披露目から約2ヶ月後、2021年12月21日に初めてポエトリープを辞めた後の想像をした とツイートしていた
彼女と似た雰囲気の装いの後ろ姿を街で見かけて、やめたらこんな瞬間がとても苦しくなるんだろうな と思ったらしい
そうだよ、その通り、君は変なところだけ聡いね
彼女たちの好きなキャラクター、お洋服屋さん、色、似た髪型、背丈 視界に入るだけでおかしいくらい苦しくなっちゃうんだ
苦しかったこと
ちゃんと覚えていなければならない
あの日もあの日も絶望の淵にいた
一年も経ったし、終わっていく日々の日記、の黒塗りを剥がしてみようか
2/12 姉グループの新体制お披露目ライブ
終わる私たちが始まるあなたたちを見にゆく
一緒に観るみんなは、私たちが終わること、まだ知らないんだな、なんて思いながら
おめでたいよ、好きだよ、ちゃんと、大丈夫
挨拶をしてくれた新メンバーふたりはとてもいい子そうで優しそうだった
歌もうまいし、キュートでアイドルだった
実は私、ピューパ‼︎の曲に詳しくない
アイドルになるって決まってから、よその曲を聴く時間があるなら自分たちの曲を聴くべきだという強迫観念に襲われて、ほとんど他のグループの曲を聞けなくなっていたから(活動を通して出会った素敵なグループたちの曲は少しずつ聴いていました 今も好きです ピューパ‼︎も今の方がよほど聴いている)
Orenge-belly
ちゃんと聴いたことはなかった
なぞるようにホリゾントの詞が頭の中で重なった
「水平線に終わりがないように」
ホリゾントは、地平線、それからホリゾント幕という意味も込めてこの詞を書いた
ホリゾントというドイツ語のもう一つの意味は、「水平線」
私たちの地平線は終わりを意味するけれど、彼女たちの水平線には終わりがないんだ
「いつか夜がやってきても手を繋いで歩こう」
私たちは、昼と夜の隙間、夕間暮れ、このほんのあいまいなモラトリアムの一瞬が終わってそして夜が来たら全部全部おしまいなのに
彼女たちは夜が来ても手を繋いで進み続けるんだ
偶々ステージが夕間暮れのあの色になった瞬間、とうとう嗚咽が止まらなくなった
二人が両側から手を握ってくれて、手を繋いで泣きながら新体制お披露目ライブを観終えた
帰り道「あの瞬間、あ、この色なもちゃんダメだなって思って横見たらやっぱり泣いてた」
と笑った二人が、頼もしくて、愛おしくて、痛々しくて、大好きだった
Orange-belly 大好きな曲だよ
3/ 大学の卒業式だったはずの日
みんなと一緒に大学を卒業しなかった
モラトリアムを引き延ばしてアイドル活動に集中できるように、って 私が選んだ
半分こじつけで半分本当の理由をこねくり回して親を説得した
私っていつもなんだか極端でバカな選択肢を選んじゃうんだ
意味のなくなったこの選択に、今から意味をつけなきゃならない
3/19 姉グループの生誕祭
「全員でピューパ‼︎でした!やろう!」という無邪気でおそらく突発的な提案
違うよ、私は、私たちはピューパ‼︎じゃないよ
私たちはピューパ‼︎にはなれなかったし、TEAMPUPAにはなれなかったし、
私たちはポエトリープでしかないし、私たちはポエトリープでありたかった
私たちは、明後日で終わるポエトリープなんだ
みじめだった
私が泣いてたわけを君は知らない それでいい
(注釈)
とっさの時に面白い・楽しい・ときめくようなことを閃くことができる瞬さんの感性と瞬発力をとても尊敬しているし好きだ、ということを伝えた上で、掲載の許可をいただきました
瞬さんは私をちょっと知らない世界に連れて行ってくれて、いつもワクワクします!有難う また飲み放題制覇とかしようね
彼女のnote、とても好きだから未読の方は是非
3/21
解散ライブ
体温が38度くらいだった
ずっと熱が下がらない日々だった
毎日のようにコロナの検査をして陰性を確認して、泣きながら運営に懇願してライブに出続けて、結局何も治らず迎えたその日だった
これが最後の日だと神様に訴えてみても、現実は綺麗な物語のようには展開しない
私は今までで一番うまく歌って、綺麗に踊って、美しくみんなの中に残らなければならないのに
ずっと同じ温度のまま悔しいよ
全部のライブが等しく大事だなんて分かっている、終わったからこそ分かっている
それでも、あれが最後だったんだ
一年たっても自分が憎い 当たり前に許していない 絶対に許さない
他にも、沢山 5年経ったら公開してもらおうかなと思っているnoteもあるし(恥ずかしい、などの諸事情あって)
10年経ったって言えないこともある
ボロボロだよ 私の中身も外身も人生もボロボロだよ
苦しいことばっかりだったよ
そう言い聞かせないと、ステージの光が、舞台袖の暗がりが、眩しすぎて、いつだって泣けてしまうんだ
ごめんね、そうだよ、嘘だよ
楽しかったよ、嬉しかったよ、私の人生で一番キラキラしてたよ、大好きだよ、愛おしいよ
いや、嘘じゃなくて、苦しかった、んだけど、
同時にとってもとってもとっても、幸せだった
舞台に立てて3人でいられて、泣いちゃうくらいに幸せな日々だった
ねえ、私はアイドルだったかな
ただただ舞台への執着と流されやすい性格でアイドルになることになった私は、持ち前の強迫観念と精神的な神経質さと粘着質な愛で、アイドルになれたかな
どこからもどこへも繋がらずただ孤島のようにひっそり浮かぶ私たち3人の名前を、どうしたって、愛したい
もしも誰かがどこかに繋がる日が来たのなら、私は久しぶりにライブハウスに行くでしょう
その日手を繋ぐ相手はいないけれど、私は間違いなく、泣いてしまうね
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下参照記事
解散発表時に投稿したもの
解散までの日々について
解散の2週間後に書いたもの
ホリゾント
そして
歯列矯正、3本抜歯、下の歯の左端と右端にワイヤーがつきました!
あと4本抜歯して上下フルでワイヤーが付くはずなんですが!?!!
通い始めて1年経つのに遅すぎない!?!?!??!なに???
綺麗な歯並びで笑いたいです😾
ガチャガチャの歯並びの、私が愛せない私の笑顔を愛してくれて有難う
愛してくれて有難う
愛しています
2024年3月21日 出窓なもより