正しい正しいと言うけれど
正しい、という言葉につい反応してしまう。正しいザックの背負い方、正しいウェアの選び方、正しいテントの張り方、正しいピッケルの扱い方ー。世の中にはたくさんの正しいが溢れている。
最近は、正しい山の歩き方、というのをよく目にした。
しかも、よく目にしたと書きたくなるほど、たくさんある正しいは、ひとつのテーマに対していくつも存在することがある。あっちにある正しい山の歩き方と、こっちにある正しい山の歩き方は、内容が微妙に違う、なんてことは珍しくない。
そんなとき、いつも思ってしまう。どれが本当に正しいの? その主張を正しいとする根拠はどこにあるの?
ただ、その主張に裏どりがあってもなくても、実害がなさそうなら、内容の信憑性を追求することはしない。それは流派だと思うようにしている。空手道の剛柔流や和道流、茶道の表千家、裏千家、武者小路千家というのもあるらしい。
そんな流派と同じ感覚で捉えると、いろいろな正しいがあっても受け入れられる。つまり、すべて正しいというわけ。情報を得る側としては、好きな正しいを選べばいい。それを、やり方が違う、間違っている、なんて言ってくる人がいたら、流派が違うんだなと受け流すのがよろしい。
ちなみに私は、社会的な地位があって、素性のわかる人が発信している正しいが好み。登山に関することなら、専門店のスタッフや登山ガイドが実名で発信している情報には安心感がある。
インターネット上に、おびただしい数の正しいが溢れているので、何かひとつ自分なりの指標を持っていると、とても役立つ。それと、たくさんの正しいに振り回されずに済むので、時間の節約にもなる。
ただ、そんな正しいも、実はたくさんあるのだけど……。そうなったときは、もう感覚で選ぶしかない。その結果も、きっと正しいはずなのである。
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