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年を重ねた人こそ、「おひとりさま」を

ひとりはさみしくない


長年、デュアルライフを実践し、
ひとり時間をすごすことが当たり前になると、
一年中、誰かと一緒にいることがしんどくなる。

「ひとりってさみしくないですか?」

そんな風に聞かれたりすることが多々あるが、
答えは「さみしくない」の一言。
ただしこの「さみしくない」には条件があって、
支えてくれる誰かがあってのこと。
それは友達でも家族でもいい。
自分のことを思ってくれる「誰か」がいれば、
私は「さみしくない」のだ。

家族であっても、友達であっても、
距離が近すぎると息が詰まってしまう。
ほど良い距離があって、「そろそろ会いたいな」と思うくらいがちょうどいい。

よくパートナーのことを「空気のような存在」というけど、そこまで「いることが当たり前」になってしまうと相手をぞんざいに扱ってしまうような気がする。
ちょっと他人行儀のエッセンスが入ったほうが
気も使えるし、改めて感謝の気持ちも沸く。
私が特殊なのかもしれないけど。

家族だけど、ひとりの人間であり、
各自の人間関係があって、
それぞれにあったライフスタイルがある。
これを尊重しあえない人とは絶対に一緒に暮らせない。
書いていて気付いたが、だから私は母と暮らせないのだ。
これからもずっと、永遠に。

相手を尊重できない人とは一緒に暮らせない


年齢を重ねた夫婦こそ、各自のひとり時間を優先したほうがうまくいく。
年をとったら丸くなるっていうけど、
ほとんどがその反対にわがままになる。
独自の「自分スタイル」が確立されるからだろう。

会えば夫や妻の文句を口にするような人はなおさらだ。
それは親子や友達だって同じ。
しんどいなら離れたほうがいい。
離れることで見えてくる愛もあるから。
老眼と同じで、距離が近すぎると、
いいところが見えなくなってしまう。

我が家は相変わらず同じ空間にいても、
それぞれが好きなことをやってすごしている。
同空間での「おひとりさま」だ。
それに対し、どっちも干渉しない。
もちろん文句も言わない。

一緒に外でごはんを食べている最中、
スマホや新聞を読まれるのはかなわないけど、
それ以外なら「どうぞお好きに」というスタンスである。

距離が離れていることは「さみしくない」。
無関心こそが何よりも「さみしい」。

◇◇◇◇◇
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