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人間関係の脆さと尊重の重要性

気づいてしまった、なんとなく感じていた

「違和感」の本質


たとえ綺麗な薔薇のような人でも、その人の棘に触れて感じた痛みは消えることがなく、見るたびに、聞くたびに、私は想い出し、苦しくなる

その人は、常に嫌な人ではないし、時としてして尊重しているところさえある人でした。でも、時々、引っ掛かる言動をする人でした。

(こういうとこが嫌なんだよな、、、)
そう思いましたが、

(人には良いところ悪いところがあるもの。仕方ないよね)

と、嫌悪感にフタをしていました。

でもある日、その人の放った何気ない一言が、深く私の心に刺さりました。いつもなら、いつもどおり、聞き流すようなこと。

(なんでこんなに痛いんだろう)
私は自身に問いました。やがて、このもやもやと向き合ってこなかった私は、とうとうその本質に気づきました。。。。(もう駄目だな)と思ったのです。

その人の、私に対する言動の根っこには、
(見下している視線がある)というのに気づきました。

だから、不快な言葉を遠慮なく放ち、常に一方的に愚痴りを聞かせ、批判しようものなら不機嫌になり、不用意な一言を口にし、
(○○のくせに)(なんで言うとおりにしないの)(こんなわたしスゲーでしょ)等々、
マウント、価値観の押し付け、聞いてもないのに自慢話・・・
するんだなあ、と。


私たちは時に、長年に築き上げてきた関係性は不変であるかのように錯覚し、相手がどう感じているかを深く考えなくなることがあります。
しかし、関係の中で自分が雑に扱われたと感じる瞬間、それは絆にひびを生むサインです。

どれだけ親しくても、互いの尊重が失われた瞬間に、その絆は儚く、脆くなります。

たとえ深い絆があっても、尊重の欠如は小さな亀裂として心に残り、やがてその亀裂が広がることで、関係そのものが崩壊してしまいます。

特に親しい相手に対し、失望を感じる瞬間は痛みが深く、その影響は私たちの自己評価や心の安定にまで及ぶことがあります。

尊重とは、相手を理解し、互いに大切にし合うことです。
これがない関係は、うわべではどんなに親しく見えても、浜辺の砂上の城のように、崩れやすいものです。

尊重が失われた瞬間、その関係は危機に瀕し、回復が難しくなることがあるのです。。。。。


私は、私を傷付けるものを遠ざける選択をしましたが。。。
みなさんは、そんな時、どうしますか。。。

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