例えば今日の自分がいつもよりも冴えて人に優しく出来そうで良い話と悪い話をちゃんと伝えられる気がして、楽しい時や嬉しい時に心の底から笑ったり出来る予感がする時。
排気口WSオーディション初日が終わった。15時~22時の2回しのハードスケジュールは私の体力の無さを改めて自覚するには十分であったが、参加者の皆さんの素晴らしさを寄り辺になんとか乗り越える事が出来た。なにより、参加者の皆さんも疲れていると思う。ありがとうございます。これからの日程に参加の皆さん宜しくお願いします。
今回の台本は華倫変+the pillowsというか華倫変+フリクリを想いながら書いた訳だが、それは、台本作業の折りに華倫変『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』を読みながら、埋まらないパソコンのワードを眺めながらボケっと『フリクリ』の事を考えていたからに過ぎない。よくこんな頼りない姿勢で毎度なんとか台本が書けると思う。先週の自分にも同じような感謝を。
WSオーディションの台本が終わってホッと一休みと相成る筈がどうも具合が悪い。排気口新作公演の台本作業の為の準備。これがもうめちゃくちゃあるのだ。今回の排気口新作公演は私が前からやりたかった、とある時代の話なのだが、やりたかった割に全くその時代の知識が全くなく、初歩の初歩から色んな事を知らなくてはいけないのだ。こうなるとかなりの数の本を読む事になる。映像も観たりする。その上でもしかしたら自分の、殆ど勘と言っていいぐらいの予感が、ものの見事に外れて全く違う作品になる可能性もある。予算の兼ね合いもある。しかしもう準備を始めないと遅筆の私は困った事になってしまう。困った事だらけである。
そういえば大変遅くなってしまっている約3年振りの台本販売もゆっくりだが作業をしている。完全に時期を逃してしまった感めちゃアリ。今のタイミングなら排気口/中村ボリ企画公演『人足寄場』の台本を販売するのがベストの筈なのに、なんと販売しようとするのは前々回の排気口公演『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』なのだ。一体誰が待ち望んでるんだ。というほどに謎なタイミングなのだが、途中まで作業している手を「せっかくここまでやったんだ」という気持ちが強くて休める事が出来なかった。本当ならもっと早く販売も出来たのだが、色々とあって、このタイミングである。それでも『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』完全版なので、観た事ない人もこのnoteで販売したら買ってみて欲しい。そもそもが台本販売を全くしないのでこの機会に是非。今週中にはこのnoteで販売したいという気持ちだけはある。
『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』という作品を特に気に入っている訳でも思い入れがある訳ではない。勿論、公演期間中はそのような思いはあった。しかし私は今やってる作品が常に気に入ってるし、思い入れがあるので、要は上書きでどんどんセーブしていくみたいなものだ。だから今、一番気に入っているのは今回のWSオーディションの台本だし、思い入れがあるのもWSオーディションの作品である。それが次の排気口新作公演になると、その公演が1番になる。このような心持でずっと作品を作ってきたのだが『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』に関しては今日まで続く台本作業時の心身不調のギアが1段階上がった作品として私は記憶している。
『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』の台本作業時、今考えると全くもって恐ろしのだが私には文字通り全く休みが無かった。排気口以外に演劇祭でのワークショップ公演を掛け持ちしていた。その2つに労働を掛け合わせていたので何と週7日丸々休みが無いという状態が約3ヶ月も続いたのだ。例によって遅筆の私は22時に終わる演劇祭の稽古から帰宅した23時半から、明日の排気口稽古の為に早朝まで台本を書くという訳の分からないサイクルを過ごす事になった。それにより腰痛と偏頭痛が著しい悪化を披露して、台本が全く書けない季節の到来を迎えた。
律儀な私は上記にその時の事を書いている。如何にこの時の私が精神的に不安定であったのかが伺える。
かような「疲労」の傷跡が今日に至るまで「老い」も相まって未だに消えずにいるのだ。人間というのは非常に愚かで、アホで、馬鹿で、救いようの無いノータリンなので、傷癒えし日々を覚えようと努力をするのではなく、初めて傷が付いた日を忘れないでいようと努力する生き物である。なので『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』を約3年振りの台本販売にセレクトしたのである。この作品が無ければまず間違いなく今の私の腰痛はここまで悪化していなかった。稽古中に椅子に座れない程の痛みで寝転がりながら演出する事もなかった。そのような自分史における記念碑的な作品である。
そして、なによりこの作品は私的な想像力に溢れている。ギリ表面張力で零れずにいる。このような私的さ、読んで頂けると分かるが、それはまずもって自分のなかだけの言葉なのである。本来的に他者によって発話されるべき台本がその殆どが私的な言葉によって編まれている。それが近年の中で最も現れたのが『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』という台本である。それを内に留めておくほど私は内省的な姿勢を好んでいない。バラまいて、お金が入ってきて、それで酒を呑もう。そんなあっけらかんとした心持である。
恥ずかしかったから最後に書くが『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』という台本作業の時に私の中にはどうしても書きたい風景があった。そしてそのような欲望を抑える事なく書いた。だからバラまいてもいいのかなって思ったのかもしれない。分かんないけど。
排気口新作公演の準備をしている。その後にも公演が朧ながら予定が埋まっていく。身体にはこれでも気をつけているつもりである。それでも酒を呑んでしまう。煙草を吸ってしまう。年々、長編の新作を書くのが辛くなっていく。気が弱くなって酩酊してる時にフッと思う。後、長編を何本書けるのだろうか。整体に行こう。野菜を食べよう。ホントは煙草はやめたいと思っている。
春はもうすぐ初夏に変わる。その変わり身の最中の曇天は私たちに憂鬱を齎す。それでも、晴天の中を多くの歓びが発しては干からびていく夏を想像する事は今の私たちにとってそう難しい事ではない。出会いに慣れ、別れに慣れた後に浴びるクーラーの心地よさを忘れるほど、私たちは弱くはないのだ。
痛くない整体をずっと探しています。穏やかさを祈って。