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断片小説|夏の中 断片8 データセンター到着

「おかしいですね。」
パソコンに向かっていたナナセが呟いた。
「確か、見学申込のページがあったと思うんですけど…」
そう半分独り言を言いながら画面をスクロールする。
「あ、…ひと月前から見学ツアーは休止になっているみたいですね。」
後ろから覗き込むと、データセンターの見学ツアー休止の告知がされていた。

センターの駐車スペースで車をおりたのは、それから半日経っていた。
取引関係を使ってようやく入館の許可がとれたが、時間を労した。
もう、陽は傾きかけている。
広々とした駐車スペースには日差しを防ぐシート屋根が張られていて、どこか海辺に並んだパラソルを思わせる景観だった。
駐車しているのはポツン、ポツンと数台だった。
人影はない。
駐車場に入る前のゲートも無人だった。
ようやく手に入れたQRコードの許可証をカメラにかざして通過していた。
晩夏にビーチを訪れたような寂寥感がある。
運転席のドアを閉めながら。ナナセは耳の後ろでひぐらしを聴いた。
カナカナカナ。
夏の夕方の舞台装置に紛れ込んだ気分になる。

センターは、思った以上に、美しく、壮観だった。
森の地形と一体化した敷地に悠然と溶け込んでいる。

「入口はどこでしょう?」
とりあえず足元の通路から入り口の目星をつけて建物の方に歩く。
格子状のパネルに間に砂利が敷かれ、植物が生えている。水が浸透しやすい構造になっているのだ。細かな環境配慮が伺われる。
「誰か来ますね。」
前を歩いていたアマノが言った。

中背のすこしぽっちゃりした青年が、息をきらして挨拶した。
「すみません。お迎えもせず。」
「いいえ。こちらこそ急に。」
ナナセが応えた。
「ナナセです。」
ナナセは小さな手をさしだした。
汗はポケットの中のハンカチで拭ってある。
「マナベです。お待ちしていました。」
青年の手は幼児のように丸く、冷えていた。異性を意識したのか、弱々しい。
お待ちしてたら、走ってこないよね。
と、やや強く握り返す。

マナベがセンターの中へ、案内しながら言った。

「実は、弊社もちょうど今日は、本社からひとが来ていまして…」
ナナセは、壁のような大扉がゆっくりスライドするに様子に目を奪われていた。

促されて中に入った。
もうひとつの大扉が出迎えた。
「ちょっと、お待ちください。こちらが閉まってからでないと、こちらは開かないようになっていますので。」
3人は、前後を大扉を壁にした短い大回廊の中に立つ。
入ってきた大扉がゆっくりスライドして戻る低い音を後ろに、参拝の順番を待つ信者のように神妙に沈黙した。

第2の大扉が静かにスライドを始めた。
流れてくる神聖な空気を浴びる錯覚を覚える。

クリスタルのように磨かれた広い通路を進むマナベの後姿は、宇宙服で着ぶくれしているように見えた。

案内された部屋には、深刻な面持ちの、男ばかりが4人いた。マナベの同僚と本社から来ているという社員だろう。

センター全体の機能をモニターする管理室だった。ネットワークオペレーションセンターという長い名前でHPに紹介されていたのを覚えている。
甲板を見下ろす艦橋のように、データホールの壁にやや突き出ている。
ガラス張りの一面から、遮るものなくホールを見渡せる。
優雅にデザインされた長いテーブルがあり、管理に必要な機能は全てそこに組み込まれているらしかった。無機質な、シンプルな仕様だ。

鉄道の運行管理をする駅舎の部屋は、指令室と呼ばれ、桁違いに広い。講堂のようなフロアで、騒然と職員が働いている。
それと比べると、ここは深い森の奥のように静かだ。
運行表示版のような指令室のひとつの壁を占領している巨大モニターはないばかりか、テーブルに設置された数台のモニターも、今はブラックアウトしていた。

「ご覧ください。」
50年配の痩せた長身の男が、ふたりを窓際に誘った。
この中で一番偉い。
部屋に入ってすぐに交換した名刺の肩書きは部長だった。
サワムラ、という。
ガラスに室内が映りこまないように照明が調整された。

ガラスに近づいて、ナナセはその光景を目にした。

感嘆して、当惑した。

きれい…、だけど。

データホールの照明は、非常灯を除いて全て落とされているが、サーバーの列が森の樹のように、眼下一面に並んでいるのがわかる。

異様なのは、その森に無数の小さな光が漂っていたことだ。
サーバーの稼働を示す、LED信号とはあきらかに違う。
生き物特有の、生命をうかがわせるリズムがあった。
光量を増したり引いたりしている。
ゆっくり瞬きするように、と形容してもいい。

しばらく呆然とホールを見下ろしていたナナセは、光点の散らばりが不自然に不均一であるのを感じた。
光点は、不規則に空中を漂っているようにみえていたが、慣れてみると、明らかに場所によって濃度が違い、意思を持って群生しているようにも見えた。

わたしは一体何を目撃しているの?

自分がガラスに額をくっつけるようにしてホールを見ていたのに気づいた。
助けを求めるようにアマノを振り返った。

「アマノさん?」
だが、管理局員は苦痛を堪えるように目をきつく結んでいたので驚いた。
「…、いや、ごめん。大丈夫。少し頭痛がするだけだから。」
こめかみを手のひらで圧迫している。
「おかけになりますか?」
様子に気づいたマナベが作業椅子を滑らせてきた。
意外に気が利く。
アマノは遠慮せず腰かけた。
「たぶん、夕立がくるんでしょう。暑いから、ちょうどいい。」
座りながら、脈絡のわからない照れ笑いをした。
あとから知れば、ちょうどよいどころの雨量ではなかったが、この時は、そう言っていた。
心配そうに見ていたサワムラが、
「気圧変化に弱いんですか?」
と、花粉症ですか?と聞くように尋ねた。
「ええ。気圧なのか、何なのか…。気象の変化全般に弱いんです。」
ナナセの方をむいて、
「すみません。大したことないんです。」
と付け加えたが、あまり平気なようには見えなかった。

「それより、あれは何です?」
と、アマノが尋ねた。

サワムラが眼で、マナベに説明するように指示した。

N市は本来、夏は短く、気温もあまり上がらない気候です。
それが、ご存知のように今年は、異常な猛暑です。
データセンターは情報処理に大量の電力を使っているのはよく知られていると思います。
消費した電力は熱になりますので、これを放置すればサーバーは障害を起こしてしまいます。
だから、全てのデータセンターは、適切な排熱システムも備えています。
排熱システムが適切に稼働しなければ高速なデータ処理はできません。
排熱システムにはいくつかのタイプがありますが、当センターは地下水を使用した冷却水システムを使っています。
ところが、それが、長い夏の影響で、水温が上昇したらしく、熱を逃がしきれない心配が出てきました。
もともと障害が発生した際にサービスが中断することなく維持できるように十分な冗長性を担保した設計をされているのですが、この夏はとにかく異常なんです。

夏の暑さで地下水の温度がそれほどあがるのだろうか?
と、ナナセは感じたが、そうなのかもしれない、と思って、まずは神妙に聴いた。

リスクを避けるために、トラフィックを制御してサーバーの稼働を抑制することにしました。データ処理量が多ければ多いほど、高速であればあるほど、熱が発生しますので、処理量を抑えて発熱量を減らすことにしてのです。
ですが、それが上手くいきません。
むしろ、送信されてくる、処理の必要なデータ量は増加し続けてしまっているのです。
例えば、御社の運行管理システムも、ダイヤ遅延の復旧処理などの計算が増え続けました。
処理能力を超えてデータが流れ込む状態の容量超過になりました。

「1秒間に数千兆回の計算ができる仕様のデータセンターがパンクしそうだ、という信じ難い状態になったということです。」
ナナセの曇っている表情を見て、サワムラが日常語に通訳してくれた。

要するに、宿題が多すぎて頭がパンクしたかんじね、とひとまずおく。
大変なことだ。

「わたしたちは、虫、と呼んでいます。」
マナベが言った。

虫が発生してパンクを免れているという。

(この断片は別の断片につながる)

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