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断片小説|夏の中 断片4 吹奏楽

また、朝練に遅刻しちゃう。

少女は背にしたフルートのカバンを背負いなおした。

旧市街の石畳を走る市電の中である。
この古い車両は、恐ろしいことに空調がない。
上げ下げ式の窓の上と下を開けて外の風を入れている。
2両編成でガタガタ走る。
中央駅の東側から順番にモダン化され、東側の市電は今や水素で走っているが、旧市街を抜けるこちらまだ、梯子のように張られた空中の電線から電気をとっている。
少女の高校は、旧市街を抜けた運河沿いにある。

せっかく、間に合うように早起きしたのに恨めしい。
この頃、ほんとにダイヤの乱れが多すぎる。
市電のダイヤは、もとからそれほど正確ではなかったけれど、最近は、ダイヤはほぼ、ない状態、に近い。10分、20分、待つことが往々にある。
調整の為、数本、運休となることもしばしばだ。

だから余裕をもって早起きしたが、市電の遅延は予想の上をいった。
本当に困る。

放課後の練習も、不定期で時間の読めない市電の為、早めに下校を促されるようになって不足がいなめない。
もうすぐ秋の学園祭だというのに。

それもこれも、異常な夏のせいだ。
市電が速度を緩め、停車した。
窓から入ってきていた風がなくなる。
早朝だというのに、今年の異常な夏はもう暑い。

「おはよう。ヒナ。」
いつものようにカエデが乗ってきて、横のつり革につかまった。
彼女は、いつも挨拶のあとに名前を呼ぶ。
目の前にはあたししかいないのに。
けれど、なんとなくうれしい。
「昨日も持って帰ったの?」
「うん。…」
昨日の放課後練習はすっかり遅くまで伸びた。
その上、帰路の市電がなかなか来なったので、持って帰ったものの、実は、一度も家で吹かなかった。
それは言えないので、やや曖昧な返事になる。
持って帰ったのは持って帰った。
嘘は言ってない。
そういうカエデは、ホルンなので楽器は持ち帰らないが、いつもマウスピースを肌身離さず、暇さえあれば、アンブシュアトレーニングをしている。
唇の位置、形、張り具合を変えて音を確認している様子に、いつも感服する。
自慢の友人だ。

大きく揺れて車両が走り出す。
チン、チン、と聞きなれた警音を鳴らして交差点を右折する。
カエデが、空いた左手で唇を撫でていた。
「痛いの?」
「ヒナは?」
冬の練習のように唇が切れることはないが、少し腫れぼったくヒリヒリしている。
「へへ。同じく。」
顎のえらの裏を押せば、悶絶する痛みもある。
練習から来る痛みを自慢しあうのは、吹奏楽部員のあるあるだ。

再び窓から風が入り始めたが、カエデの前髪はしっかりと動かない。
「さすが、前髪命少女。」
誰に見てもらいたいの?と嗤うヒナの肩をカエデが叩く。

「バスドラムの彼、大丈夫かしらね?」
バスドラムの彼は、カエデのお気に入りである。
しかし、ヒナが思うには、身体は大きいが気は小さい。

バスドラムの作るリズムは演奏の要だ。

「リズム、いつもちょっと、早い気がするのよね。」
もっとゆっくり、堂々と叩いてほしい、と思うところが多い。
「先生の指揮が、そもそも少し早めなのよ。」
とカエデはかばう。
「楽譜が全てじゃない、っていつも自分で言ってるんだから、少しテンポを合わせてくれないかしら。」

カエデが言うのを聞いて、ヒナは思った。

季節の時間を指揮しているのは誰だろう?

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