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短歌「近くにあっても」

山脈を越えて訪はるる故郷を訪ふこと絶えて山脈見ゆる

 いま私は生まれ育った山間の町から山脈を北に越えた河の流域の市に住んでいる。父方の墓は近くに移してきたが、母方の墓があったので、墓じまいをする前は彼岸ごとに父や母と車で山脈を越えて墓参りに行っていた。

 しかしいまは、車を使えば1時間ほどで行ける故郷を訪れることもほとんどなくなった。中学で親許を離れたときには帰りたくて仕方なかった故郷だが、父や母のいない故郷は、もはや異郷の感がある。さりとていま住む場所も故郷とは思えない。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」とは室生犀星の『小景異情』の有名な一節だが、「遠きにありて」とは物理的な距離というよりも心理的な距離のことだと、近くにありて故郷を思う私は考える。

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