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詩「記憶」

古い記憶のありったけ

台所、母の後ろ姿
カルピスをつくってもらった
青いかきまぜ棒、先がまるい
分校の教員用住宅の襖
勢いよく閉めたら鼠がつぶれた
おばんがちり紙でとった 赤い血
外の便所 夜怖くて一人で行けない
内の便所でおしっこして母に叱られた(なぜ?)
外の便所の隣に畳一枚分もない田んぼ
分校の理科の授業用
ぎょう虫、うんこした
おばんが棒で割ると
中からでっかい白いのが出てきた
家の前の道 土埃をあげて
ばたこ(ミゼット)が通る
姉とちかっさんとこへガムを買いに行こうとして
途中でヘビを見て逃げて帰った
向井のひいちゃんの家の応接間 歯型
ガムを固めてつくったと、ひいちゃんが言った
村の餅まき
分校の運動場
どこぞのおいやんが
福餅を頭の上にあげた
遠足
父が木の根っこを拾ってくる
穴に棒をとおして
生徒と二人で担いできた
おばんと母と畑でおにぎりを食べた
三角おにぎりに海苔はおばんが作った
ミケは黄色い花の毒草を食べて死んだ
母に会いたくて
おばんの止めるのも聞かず
一、二年生の教室に入って叱られた 泣いた
姉は六つだったが
教室の中でおとなしく授業をうけていた
乳離れが悪いので
母の乳首にとうがらしを塗られた
吸うと辛くて(ただし辛さの記憶はないが)
泣いた
ひいちゃんともう一人(名前をわすれた)に泣かされる
泣き虫、小虫、などと言われたような・・・
夜、車で家に帰る途中 父が
あっ、キツネやな
と言った
ぼくは見なかった
クリスマス
誰のうちだったか
杉の木をきってきて、ツリーにしていた
父と母と姉遊びに行った
六年生の教室
冬、ストーブで
弁当を温めていた
正月は独楽まわし
ゆたかちゃんたちが
まわすのを見てた
車のドアに指をはさまれる
泣いた(痛かった記憶 少しあり)
タンス ガムのおまけのシールを貼る
セロハンの上からこすって
はがすとくっつくやつ
ていねいにこすらないと
ところどころはがれる
姉と二人でシールを貼る
部屋の花瓶に挿してあった
ねこやなぎ
向井のひいちゃんとこのおばあちゃん
ぼんやり記憶あり
かみさこ先生
ぼんやり記憶あり
ちかっさんとこでガムを買った記憶も
ぼんやりあり
ちかっさんとこは
アイスクリームを売っていないので
夏、おばんと沼(隣村)まで買いに行った
お店の冷凍庫をのぞくと
まわりに白い霜ばかり
アイスクリームは売り切れてなかった
どうやって遠井まで戻ったか
覚えていない
五右衛門風呂
父にいれてもらった
高くて一人では
風呂桶がまたげなかった
おばんの家で
山羊を飼っていた
山羊の乳飲むかと言われて
いらん! アイスクリームほし!
と言った記憶もあり
遠井から小峠に引っ越して しばらくして
遠井に行ったことがあった
おばんとゆたかちゃんも引っ越して
もういなかった
おばんの家は道から一段低い
おばんの家には誰もしない 山羊も
道からおばんの家へ叫んだ
声はこだましたように思う
おば~ん ばんばんばあ~ん
おば~ん ばんばんばあ~ん
おば~ん ばんばんばあ~ん
何度叫んだか思い出せない

覚書
和歌山県有田郡清水町字遠井(現 有田川町字遠井)にいた頃の
三歳のときの思い出すことすべてです。
最後の連だけは四歳になってからのことと記憶しています。
父や母から聞かされたのではなく、本当に二十六歳の今日まで、
覚えているのです。

補足1
三十二年前、二十六歳のときに書いた詩です。今回の掲載にあたって
一部改変した部分があります。

補足2
「おばん」とは私のお守りをしてくれていた隣のおばさん。
父や母は「宮井さん」と呼んでいたが、私は本名を知らないまま
今日まで来てしまいました。

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