母親が言ってくれた「義務教育は義務じゃない」(不登校の話)
中学2年生の2学期の頭、私は学校に行くのをやめました。
その日の朝も、母に「学校どうする?」と聞かれました。首を振ったのはいつもどおりでしたが、心の中では「もう二度とあんなところへ行きたくない」と思ったことを、今でも覚えています。
ひきこもる生活はただの地獄
母以外の人間に会わずに済む、勉強をやらなくて済む、何かを強制されずに済む。それは確かに楽でした。
そのかわり、起きている間はずっと、自分を責め続け、殺し続けようとしました。
みんなが当たり前に行っている学校にすら行けない、同級生に合わせて笑うことも、勉強をがんばることも、言うとおりにできないこともできない。
学校に行くことは当たり前。行かないなんて、あり得ない。
でも、その当たり前が、自分はできない。
じゃあもう、これから先、自分なんて生きてけないじゃん。
自分が生きてる意味なんて、やっぱりないじゃん。
ああ、今日もニュースで同い年ぐらいの子が自殺したってニュースが流れてる。
すごいな。死ぬ勇気があるなんて、あの人はすごいな。
私には、死ぬ勇気すらない。ただでさえ何もないのに、その勇気すらない自分に、価値なんて何もない。どうすれば、死ねるんだろう。
本気でそう思っていて、毎日、どうすれば死ねるのか、自分の存在を消せるのか、考えてました。
母親がかけてくれた言葉
そんな絶望する私に母がかけてくれた、いくつかの言葉の中で、心がすっと軽くなったものがあります。
「よく勘違いしている人が多いんだけどね」と前置きして、母はこういいました。
「小中学校の義務教育の『義務』っていうのは、子どもが学校に行かなきゃいけないっていう義務じゃないの。学びたいと思っている子どもに、親が学ばせる機会を与えなきゃいけない、親に対する義務なの。だから、学校に行きたくなかったら行かなくていいんだよ」
・・・そうなの? 学校に行けないのは、悪いことじゃないの? 行けない私はダメってことじゃないの?
まさに自分も、勘違いしている1人でした。学校という場所は、何があっても通わなければならないところで、義務を全うできない自分は、価値のない人間と言われてもしょうがないと。
でもこの母の言葉で、ほんの少しですが、学校に行っていないことに罪悪感を持たずに済むようになりました。
というか、いまだにこの言葉に救われている気がします。
最後にもう一度。義務教育の義務を負っているのは、保護者です。
子どもに「小中学校に通う義務」なんてものはありません。
(疑っている方は、文科省のHPをご覧ください)