義弟のこと
また辛いことが起きてしまった。
義弟の脳腫瘍が再発し、主治医から余命ひと月程度との宣告を受けたと昨日帰宅した奥さんから聞かされた。
親族、特に親しくしていた存在についてこのような知らせを聞くのは本当に辛い。
義弟は、奥さんより5歳年下の50歳。二人兄弟で、家業である農業を継いで30年ほどになる。
主な作物は米、トマト、小玉スイカ。かつてはメロンなども手掛け、近年は生産性の高いレタスを手掛け、専用のハウスを建設するなど、生産規模の拡大に向けての取り組みをしていた。
もとは、お義母さんお義父さんと義弟の3人で取り組んでいたが、義弟の奥さんの退職(看護師をしていました)を機に、人を雇い入れて規模を拡大する方向で進んでいたようだ。
「ようだ」とは奥歯にものの挟まった言い方だが、このあたり正確な情報がつかみ切れていないのが原因である。3年前、お義父さんが新型コロナの影響で倒れ、寝たきり状態になったときに、どのようにケアをするかを巡って私の奥さんと義弟が揉めて、コミュニケーションが取れなくなっていたのだ。
このディスコミュニケーションは、義弟の病状についての情報共有にも影を落としている。
「義弟が脳腫瘍を患い入院した」という情報が飛び込んできたのは昨年(2023年)の夏ごろのこと。手術をするという話もあり、驚いた。義弟は元気だとばかり思っていたからだ。お義父さんのこともあり、奥さんの実家には頻繁に帰るようにしていたが、義弟夫婦と言葉を交わすこともほとんどなく、彼の状況を知らなかった。後から聞いた話だと、結構前から足を引きずるようにして歩いていたらしい。症状は出ていたのだ。
手術の結果、腫瘍は取りきることができて、あとはリハビリで回復を目指すという状況だと、当時、私と奥さんは知。お義母さんも、電話で「元のように戻るのは無理かもしれないけど、本人のがんばり次第だ」と言っていたので、良くなることに期待をしていた。
しかし、お義母さんの言葉は希望的観測がかなり含まれていたということが後になりわかった。20年以上深刻な病状を抱えた家族と暮らしてきた身としては気持ちは痛いほどわかるけど。
今年の正月に奥さんの実家に帰ったときも、義弟には会えないかと思ったが、偶然、自宅の周りをリハビリのために散歩していた義弟と会うことができた。足取りはゆっくりだったが、不安定さはなく、言葉も明瞭で十分コミュニケーションをとることができた。しかし、農業を続けることは難しいだろうな、ということは分かった。
しかし、生きていさえすれば何とかなる。できることは何でもサポートするから、と決意した。
それから一月、義弟が再び入院したという知らせがもたらされた。寝床から起きられなくなってしまったという。脳腫瘍が再発したらしい。
取りきれたんじゃなかったのか?
お義母さんを通じてのコミュニケーションだと正確さに欠けるので、奥さんが現地に行くことになった。その結果、いろいろなことが分かった。
一番衝撃的だったのが、昨年の入院・手術のに、腫瘍が悪性のもの(癌)だということがわかっていて、余命1か月の宣告も受けていたという。
全く知らなかった。正月に会えたのは奇跡だったんじゃないか。
今回の入院は癌の再発というか、転移だという。脳幹部の近くの腫瘍が運動や言語をつかさどる部分を圧迫しているという。そのほかにも多数腫瘍が発生しており、手術などの対応も難しいという。明日、命が尽きてもおかしくない状態らしい。
辛いなあ。まあ、一番辛いのは本人だし、奥さんだと思うけど。うちの奥さんによれば、義弟の奥さんは、昨年度の時点で義弟が居なくなることへの覚悟を決めていたようだ。
事態をよく受け入れられないお義母さんとうちの奥さんとは少し温度差があるのは当然だと思う。
今後のことを冷静に話し合えるようになるまでには、少し時間がかかるかもしれないと思う。