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おてがみ
これは結構好きな絵本なんだけど、
簡単に説明すると子豚のおばあちゃんの家でキイチゴが沢山取れて、
キイチゴを使った料理をおばあちゃんが作るので友達を沢山呼んでパーティーをしようと。
なので、子豚ちゃんがねずみくんやたぬきくん等に手紙を書いて送って、
返信の「行くよー」という手紙が届くのを毎日ポストの前で待って、
最終的には皆集まって楽しくキイチゴのケーキやパイなどを食べました。
おしまい。
という話なんだけど、
これを読んだ時に例えばよ、
手紙が誰からも返って来なかったら、
誰かが「行くのやめようぜ」と言って当日誰も来なかったら、
物凄く悲しいというか、
考えると心が痛むのね。
まあそんないじわるな事なくても、誰かが風邪引いて来れなかったら、同じめでたしめでたしチャンチャンにはならない訳じゃない?
ただ、最近世の中見てて思うのが、
これで心が痛むという感覚がない人、
そしてそもそもそれを想像する事すらない人が本当に多いなと。
それはもう世の中のほとんどのものが数字で測れてしまっているから、
多くの人は何をするにもまず数字を見るんですね。
「いいね」が何個ついただの、何人が見たかだの。
それによって失われてるのが前述した「感性」。
昔もそういう風潮だった時はあると思うから、
これが初めてでは無いと思うのだけど、
なんでも良いけど凄く沢山売れている商品があるとして、それを数字で判断して「良いはずだ」って思うのは、
結局自分で考えてないんですよ。
ザックリ言うと。
例えばですけど僕が小学生中学生の頃、小室哲哉さんを知らない人はほぼいなかったですよ。
今知ってる小学生とか中学生どれぐらいいますかね。
多分当時より明らかに少ないと思いますよ。
ただ、小室哲哉さんの音楽は当時より進化してるんじゃないかと思うんですよ。
貴方はこれを聴いて、観て、食べて、着て、どう思いましたか?
という大事なところを自分で自分に聞いてない。
勿論今の世の中他人が聞いてくれる事は稀だろう。
「この商品はこれだけ売れてるんです、だから良い商品なんです!」
だからどうしたという話だ。
多分このまま数字に囚われて進んで行ったら、
凄く便利にはなると思う。
その代わり、考えることをしなくなり、
感性や感受性はどんどん削がれて、
本当の意味での「個」というものがなくなっていくと思う。