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姉妹(スール)イメージへの「革命」――『マリア様がみてる 黄薔薇革命』
はじめに
先日、友人達と『マリア様がみてる 黄薔薇革命』(以降、本作を指す際は『黄薔薇革命』と表記)で読書会を行いました。
以前『マリア様がみてる』でも読書会を行ったので、次巻である『黄薔薇革命』でもやろう、と画策してのことでした。
前回の記事はこちら
読書会も踏まえて整理した文章を以下の通り公開します。
なお、本文中に記載しているページ数は書籍版のものです。
1.序
次の祐巳の述懐が示すように、本作は「他の姉妹」(すなわち、祥子 - 祐巳以外の姉妹)がどのような関係性を築いているかに注目する物語と言えます。
どうして、黄薔薇さまは令さまを妹に選んだんだろう。令さまはどうしてそれに応えたんだろう。自分にお姉さまができたせいか、祐巳は他の姉妹のことが気にかかるようになってきた。
そして、今作で焦点化されたのが令 - 由乃の黄薔薇姉妹でした。
結論から言えば、本作は「同じ敷地に立つ、隣の家に生まれた従姉妹」(p.39)、かつ「姉妹」である2人が、新たな関係を結び直すまでの物語です。
一方で、この物語は決して2人の関係に閉じているわけではありません。由乃が令にロザリオを返した行為は生徒たちに伝播し、リリアン女学園の生徒全体を巻き込む騒動へと発展しました。
そして、この段において、学園の生徒は令と由乃に近しい面々(主に山百合会幹部)とその他の生徒で(物語上)立ち位置が二分されます。由乃が令にロザリオを返したという噂が広まったあとの描写にこのことが見えます。
志摩子さんの報告を聞きながら、祐巳は立ち上がって窓のカーテンを少しずらして外を見下ろしてみた。薔薇の館の前には、噂を聞きつけたであろう生徒たちが数人、中の様子をうかがっている。祐巳たちが中に入る時より、ほんの少し増えている気がした。
彼女たちには、ドアを開いて正面から尋ねる勇気はないのだ。ただ、野次馬のように、好奇心を満足させるべくここに集まったという、ただそれだけだった。
引用文中では薔薇の館の内外どちらにいるかが、そのまま令と由乃に対する関係性および「黄薔薇革命」への態度の違い――友達か、野次馬か、に対応するでしょう。
三奈子による「リリアンかわら版」号外が発行された際は、紅薔薇さま、白薔薇さまが皮肉を零し、生徒に影響が波及していく段では蔦子もまた嫌悪感を示します。令 - 由乃の間の問題が思わぬ形で広まるにあたって、祐巳の周囲はそれらに否定的な反応を示します。
しかし、祐巳の視線上で、令 - 由乃の(本来は)プライベートな問題と「黄薔薇革命」が切り結びます。祐巳もまた、「黄薔薇革命」を受けた騒動には否定的な立場ではあるものの、同時に、影響を受ける生徒たちに共感を寄せる立場でもあります。
高嶺の花だと思っていた祥子からロザリオを貰い、つい少し前まで山百合会幹部と関わりもなかった祐巳は、彼女たちの立場もよく分かるのです。
「黄薔薇革命」と名付けられたこの行動は、由乃にとっては「令ちゃんと手をつないで歩」(p.191)くために必要なことでした。では、祐巳の目にこの「革命」はどう映り、そして、何をもたらしたのでしょうか。
本論では由乃にとっての「革命」の意義を整理しつつ、祐巳が一連の騒動を眺める中で何を得たのか、あるいは、何が変わったのかを整理します。
2.創られた「黄薔薇革命」
由乃がロザリオを令に返して姉妹関係を解消したこと、また、改めて姉妹の申し込みを行ったことは、まさしく革命的でした。それは、リリアン女学園の慣習に大きく反することでした。また、由乃 - 令のプライベートな関係に限っても、生まれた頃からの関係を壊して作り直すという意味で同様です。
しかし、革命的であろうとも、由乃はそれを「革命」と自称することはありませんでした。「黄薔薇革命」という名称は新聞部によって作られたものであり、生徒たちが共有していたイメージは実際の由乃の意図や行動とは異なります。
ここでは、まず「黄薔薇革命」とは何であったか整理します。
2-1.リリアンかわら版が流布する「想像の山百合会」
リリアン女学園新聞部の現部長・築山三奈子は、読者が求めているのは山百合会の話題である、という考えのもとで記事を作成しています。
しかし、三奈子が抱く山百合会像はあくまで彼女自身が抱いているイメージに過ぎません。憧憬と共に述懐されるそれは、実態とは異なります。
少年のような支倉令と一緒に写った少女はやわらかいほほえみを浮かべ、まるで恋人同士のように寄りそっていた。
この二人は選ばれるべくして「ベスト・スール賞」に選ばれたのだ。気高い姉と従順な妹という図式はもう古い。従姉妹で幼なじみ、病弱な少女とそれをやさしく守る騎士のような関係。白薔薇、紅薔薇の話題が続いたが、これからは黄薔薇ブームがくる。これを記事にしなくて何とする。
三奈子の中でイメージ、物語がすでに出来上がっているのです。「ベスト・スール賞」アンケートの取り違えは三奈子の先入観(「話題は生もの時間が勝負」というモットーも影響している)が「リリアンかわら版」に強く反映されていることを示した描写と言えます。
裏取りが不十分なうちに、三奈子のイメージが行間を埋めて発信されてしまう――「リリアンかわら版」号外が報じた「黄薔薇革命」がまさしくこれでした。
「活字の影響って強いわよね。これ読んだら、もうその時の状況を見ていたみたいな気持ちになるもの」
そうだった。あの、号外。
あれには、由乃さんがまるで身を引いたみたいに書かれていた。いつまでも令さまに頼り切っている自分が情けなくて。いずれ黄薔薇となる令さまには、激務を補佐できる丈夫な妹が必要だと考えての一大決心だった、と。怒りにまかせてロザリオを返したのは、身を引いたことを令さまに悟られないようにという演技だった、らしい。
紅薔薇さま、白薔薇さまから「小説」と揶揄されたそれは、憶測がほとんどを占めるものでした。ベースとなっているのは三奈子が由乃に持つ「病弱な少女」というイメージであり、決して実態にそぐうものではありません。
つまり「由乃さんごっこ」(p.111)で生徒たちがトレースしていたのは、島津由乃本人ではなく三奈子によってイメージされた「由乃さん」でしかないのです。
しかし、こうして書かれた「黄薔薇革命」は全校生徒の間に瞬く間に広がり、「由乃さんごっこ」が広がっていく原因となりました。
2-2.名前のない革命、あるいは抵抗
新聞部によって創られた「黄薔薇革命」が由乃の意図から外れた物語だったとしても、由乃が令にロザリオを返したことは事実です。
では、由乃が起こした行動の意図はどのようなもので、結果として何をもたらしたのでしょうか。
令にロザリオを返した由乃のゴールは、身体的なハンディキャップ故に令におぶってもらうこともなく、精神的に令からもたれられることもなく、互いに肩を並べて歩くことでした。
「令ちゃん」
由乃が、神妙な顔をして言った。
「ごめんね。私、令ちゃんと手をつないで歩きたかったの」
「え?」
「片方がもう一方をおぶったり、肩を貸したり、そういうのじゃなくて。同じように自分の足で歩きたかったの。そういう関係になりたかったの。祐巳さんと祥子さまのところみたいに。だから手術することにしたの。丈夫な身体を手に入れて、令ちゃんと肩を並べて歩きたかったの。令ちゃんにも、慣れて欲しかったの」
由乃は、そこまで一気に言った。そうしなければ、言葉が消えていってしまうかのように。
「信じてくれる? 私がロザリオを返したの、令ちゃんを嫌いになったからじゃないってこと」
この願いは令と暫く距離を置くこと、手術を受けることによって達成されます。
それだけではなく、由乃は達成に向けて、作中を通してある抵抗も行っています。それは、イメージ・物語に巻き込まれることへの抵抗です。
本作で最初に名前が登場するのは、由乃が薔薇の館に不在であることを祐巳が確認する場面です。ここでのやり取りから、「『由乃さんは、身体が弱いのかなぁ』」(p.30)と祐巳は述懐します。
そして祐巳の次の述懐から、読者が持つ由乃のイメージは固まっていきます。
由乃さんといえば、容姿も行動も人目を引く特別な面々の中にいて、いつも控えめにほほえんでいるような可憐な少女というイメージしかなかった。喩えるならば薔薇や百合の中に咲く、一輪のスズラン。(p.31)
病弱で可憐な少女というイメージを与えられた由乃本人が登場するのは、続く令によるお見舞いの場面です。
病気で寝ているとはいえ、入ってきた令に開口一番「何で」とふてぶてしく応え、決して「可憐な少女」というイメージ通りではないことが示されます。
そして、登校後の祐巳とのやり取りでは祐巳の持つ「『女の子らしいもの』」(p.62)を詰め込んだようなイメージを、「『でも、はずれ。私、全然そんな女の子じゃないの』」(p.62)と否定します。
さらに、病室では「リリアンかわら版」のアンケート――すなわち、三奈子が思う「由乃さん」像が間違っていることを示します。どんどんと「可憐な少女」というイメージを壊していき、極めつけに「黄薔薇革命」を否定します。
でも由乃さんは、新聞部の記事を横目で眺めて全然違うと言った。
「私って、こんなに健気じゃないわよ。それに後ろ向きでもないの」
(中略)
「私、令ちゃんにもっと強くなって欲しいの」
さすが座右の銘が『先手必勝』なだけある強気の表情で、由乃さんは笑った。
「その代わり、令ちゃんにだけ苦しませやしない。私だって強くなるから」
「強くなる、って――」
由乃さんが十分に強いってこと、祐巳は話を聞いてよくわかったつもりだった。この上強くなって、どうしようっていうんだろう。
けれど、由乃さんの指しているのは、そういうことではなかった。祐巳は、まだまだ由乃さんを把握できていなかった。
「私、手術することに決めたのよ」
彼女は、十二分に強い女の子だったようだ。
由乃が受ける手術は身体的なハンディキャップを乗り越えるためのものでした。しかし、それだけでは令 - 由乃に対する「病弱な少女とそれをやさしく守る騎士」というイメージは残り続けてしまうでしょう。
祐巳ですら持っていたそのイメージを否定し、新聞部の「黄薔薇革命」を否定し、そして「十二分に強い女の子」であることを示しきったうえで、由乃は身体的なハンディキャップの除去――手術に臨むのです。
3.勝敗の後ろには誰がいる?
由乃は「黄薔薇革命」の記事を読み、「――あら。けっこう大変なことになっているのね」(p.146)と笑います。この記事が広げたのは、令と由乃が抵抗していくイメージそのものと言えるものですが意に介さないのです。
そして、由乃のこの強い姿勢は「私、令ちゃんにもっと強くなって欲しいの」という言葉が指す強さそのものでしょう。
3-1.私だけの戦い
由乃が手術を受ける日、令は剣道の試合に臨むことになります。由乃自身も勝つこと願っていましたが、それは決して試合に勝つことを意味していたわけではないことは次のやり取りからも読み取れます。
「そうよ。試合、どうなったの?」
(中略)
「でも相手は三年生で、三段でしょ? すごーい!」
と、いうことは、由乃も太仲の大将を破るなんて、最初から期待していなかったわけだ。
では、作中で祐巳も疑問を呈したように、何をもって令は勝ったと言えるのでしょうか。
それは恐らく、一人で立つということでしょう。由乃のためでも、他の誰かのためでもなく、自分のために立つことができるかがかかっていたのだと思います。
太仲女子の大将に一本とられた時、心の中に訪れたのは絶望でもプレッシャーでもなく、ただ「無」という真っ白な世界だった。その時、勝つという意味がはっきりとわかった。打ち負かさなければならないのは、目の前にいる敵ではなく、勝敗の後ろには自分以外の何人の影もない。
敵も、部員も、観客たちも、そしてあんなに恋しかった由乃でさえ――。その存在がどこか遠くへ消え去り、令はたった一人白い世界にその身を置いていた。その時点で、令は由乃の投げかけたものが何であったか、理解できた気がした。由乃の言っていた「勝つ」ということの、本当の意味を。
一人で立つ、自分のために立つという姿勢は既に由乃が示してくれています。「リリアンかわら版」が――「黄薔薇革命」が押し付けてくるイメージを跳ね除け、意に介さず、おぶられるのではなく歩けるようにと手術へ向かう姿はまさしくそれでした。
3-2.物語に巻き込まれる人々/私の物語を生きる人々
令の辿り着いた境地に対置されるのが、「黄薔薇革命」で翻弄された人々でしょう。彼女たちは新聞部によって与えられた「由乃さん」の物語に乗っかりました。
「それだけ日常が退屈なんじゃない? ちょっとした刺激が欲しいのよ」
もちろん、それは計算ずくじゃなくてね。と、蔦子さんは言った。
(中略)
「日々スリリングなら、こんな病気に絶対かからないけれどね」
「病気か」
「そうよ、病気なの。退屈で退屈で、何かしなきゃいけないんだけれどすることが見つからなくて、そんなことを自分の心が欲していることさえ気づかないほど日常生活に麻痺していた時に――」
由乃さんが、思いも寄らないことをしでかした。
「あまりに刺激的で、知らずに魔法にかけられちゃったのよ」(pp.118)
蔦子が「黄薔薇革命」に振り回される彼女たちを「病気」と言うに至っては、令・由乃との対比はいっそう鮮明になります。自身を顧みることなく、「病気」に耽溺して物語に絡めとられてしまう彼女たちは、令 - 由乃が立ち向かい、乗り越えていった姿にほかならないでしょう。
しかし、彼女たちもただ否定されるべき存在ではない、と本作に繋ぎとめるのが福沢祐巳なのです。
「まったく、いったい彼女たちはどういうつもりなのかしら」
そんな彼女たちを、自分っていうものをもっていない、って祥子さまはぼやく。けれど、祐巳はなんとなくわかるんだ。
薔薇さまやつぼみたちは、生徒たちの憧れだから。ほんの少しでも、憧れの人たちに重なりたいって。その気持ちは、少し前まで同じ立場だった祐巳にはよくわかる。
祥子さまには、きっと永遠にわからないと思う。だけど、わからない祥子さまが、祐巳の好きな祥子さまだった。
少し前まで同じ立場だったこと、憧れの祥子にまだ引け目を感じていることなどを背景として、祐巳は薔薇の館のメンバーでありながらも、同時に「彼女たち」の気持ちも分かる立ち位置の存在として描かれます。
4.切って、いじって、また閉じる
本作は令 - 由乃が関係を結び直す話であると同時に、祥子 - 祐巳にとっても関係を規定し直す話になっています。
それぞれの関係がどのように着地したのか整理します。
4-1.令 - 由乃 関係の場合
ここまで見てきた通り、外から与えられたイメージを押し退け、身体的なハンディキャップも乗り越え、令と由乃が新たな関係を結び直すまでの軌跡を描いたのが『黄薔薇革命』と言えるでしょう。
2人が新しい関係を結び直したことは次の描写によく見えます。
令が由乃に会えたのは、試合から三日後の夕方のことだった。
本当はすぐにでも駆けつけたかったのだけれど、由乃が会ってくれる気になるまでは、とじっと我慢していた。そして今朝、叔母さんから由乃が会いたがっていると聞かされ、部活を終えた帰りに病院に寄った。何でも、身体にいろんな管がついているうちは、由乃は人と会いたくなかったらしい。
「お久しぶり」
三日前に心臓の手術した人間が、こんなに元気でいいのかと疑いたくなるくらい、ベッドの上で身を起こした彼女は普通と変わりない笑顔で令を迎えた。
この描写は由乃が最初に登場した場面との対比となっています。
由乃が最初に登場した場面では、令は部活を欠席し、由乃の意向に関係なく会いに行きました。その姿勢は由乃にもたれかかっていたそれでした。その結果、由乃は「何」とふてぶてしく応え、笑顔を見せなかったのです。
そして、由乃の「『だって皮膚切って、心臓いじってまた閉じたんだもの』」(p.190)という言葉は、2人の一連の出来事を象徴するものでしょう。祐巳によって「荒療治」(p.152)とも称された一連の出来事は、まさしく互いにとっての「心臓」への「手術」だったと言えるのです。
「それにしても、元気ね。本当に手術したの?」
「したよ。痕、見せてあげようか」
「……いいの?」
「令ちゃんには見てもらいたい」
(中略)
そう言いながら、紙テープをはがす。何重にも重ねられたガーゼをそのままそっとめくると、右胸の下辺りに十センチくらいの傷痕が現れた。
横に一筋。糸ではなくて、針金みたいな部品で何ヵ所かをつないであった。由乃の白い身体についた一本の線は、何だか勲章のようで美しかった。
「治るとね、ほとんど目立たなくなっちゃうんだって」
「そう」
女の子の身体だから、傷が残らないことは喜ばしいことだけれど、勲章が消えてしまうのは少し残念ではある。由乃も「残ったら女海賊みたいだったのにね」と笑っていた。(pp.186-9)
由乃の強さを示す「傷痕」を「何だか勲章のようで美しかった」と述懐する令からは、「パジャマの襟もとから覗く痩せた由乃の胸にも、ロザリオがかかっている。/令が今年の春に渡した、ダークグリーンの色石は、由乃の白い肌にとても良く似合っていた」(p.42)と病弱な由乃を慈しむような眼差しは既にありません。ここに令の変化が見えるのです。
そうして手術痕を2人で確かめるこのシーンは、令 - 由乃間でのみのプライベートな「革命」が正しく完了したことを確認し合ったものと言えるでしょう。
4-2.祥子 - 祐巳 関係の場合
『黄薔薇革命』は令 - 由乃を主軸に置いた物語でありながら、その冒頭と末尾を飾るのは紅薔薇の2人です。
そして、この2人にも関係を規定し直す物語が用意されていました。それが「お姉さま」呼びです。
姉妹間では、基本的に妹は姉を「お姉さま」と呼ぶことになっていますが、祐巳はそこになかなか踏み出すことができませんでした。これが、令 - 由乃の物語と連動するようにしてラストで解消されるのは鮮やかと言えるでしょう。
「ところで、祐巳」
放課後、銀杏並木の落ち葉の上を歩きながら、祥子さまはちょっと意地悪な目をして言った。
「今後、私は祐巳に『祥子さま』と呼ばれても、返事をしないことにしましたから」
「えっ」
「だって、いつまで待っても、あなた呼び方変えようとしないんだもの」
言いたいことは言ったという風に、祥子さまは祐巳に背中を向けてどんどん歩いていってしまった。
「祥子さまぁ」
追いかけても、宣言通り振り返りはしない。
「無視されたくなかったら、ちゃんとお呼びなさい」
わかっているでしょ、って目を見ないですまして歩いていく。祐巳は、ぽりぽりとこめかみをかいた。何だか、無性に照れくさい。
「……えさま」
「聞こえなーい」
こうなったら、絶対言わせるつもりらしい。
祐巳は、観念して辺りを見回した。幸い、マリア様しか見ていなかった。
「お姉さま!」
銀杏並木の中で、祐巳の声は妙にはっきり通った。
するとマリア様のようにきれいなお姉さまは、よく響く声で「はい」と振り返って、満足げに笑ったのだった。
祥子からのやや強引な提案によって「お姉さま」呼びとなり、姉妹としての関係を一歩先に進めることで、本作は終了します。
しかし、その一歩は由乃 - 令が進めた一歩ほど大きなものではなく、不安要素を抱えるものでしょう。令 - 由乃がイメージに抵抗しつつ、自身と勝負したのに対して、祐巳はこの「お姉さま」呼びにおいては最後まで受け身でした。
何より、祥子 - 祐巳間で想いが通じあっていないこと、相手から想われていることをまだ十分に信じられていないことが度々描写されています。
一段上がるごとに冷ややかに揺れるすぐ目の前の真っ直ぐな黒髪を眺めながら、祐巳はちょっとブルーな気分になった。みっともないことが何より嫌いな、プライドの塊のような祥子さまは、やっとできた妹の行為をどのように思っただろう。
(中略)
十数段の階段が、今日は果てしなく長く感じられる。せめて何か言ってくれたらいいのに。無言でいられると、嫌な方向の考えばかりが頭の中に浮かんできた。
前作も含め、祐巳は祥子の普段見せない表情も知るようになりました。そのうえで姉妹にもなりました。
しかし、祐巳は未だに「祐巳がイメージする祥子さま」を見ており、実際に祥子が何を想い、何を考えているかに思考が及びません。また、祐巳自身も祥子に対して何を想っているのか、何を感じているのか表現しないのです。
そのため、令の発言には首をかしげます。
令さまの言い方じゃ、昨日今日といってもいいほどのできたて姉妹である自分と祥子さまが、まるでしょっちゅうベタベタしているようではないか。
「ベタベタって?」
由乃さんが目を輝かして聞き返す。
「大したことじゃないのに叱ったり、そう乱れていないタイを直したり、飴玉をこっそり渡したり。妹ができてから、祥子はずいぶん楽しそう」
「あ、あの。令さま」
もしもし、と思わず突っ込みたくなる。
飴玉はともかく、叱ったり服装の乱れをチェックしたりすることは、一般的にベタベタとは言わないのではないでしょうか――。
令の剣道の試合を観戦しに行った際に「『たまには、お姉さまらしいことさせてちょうだい』」(p.176)と祐巳に奢る場面や、何より「お姉さま」呼びを求める先に引用したシーンなど、祥子が祐巳に近づこうとしている描写は少なからずあるのです。
しかしながら、「祐巳がイメージする祥子さま」から祐巳自身が抜け出せていない構図が見て取れるでしょう。
「いつでも『ふさわしくないんじゃないか』と考えていて、自信がなくて、ぐずぐず悩んでいる」(p.116)祐巳は「黄薔薇革命」に踊らされた生徒たちの心情も分かると心を寄せます。
祐巳 - 祥子の関係は前に進みながらもいくらかの不安要素を残したと言えるでしょう。
5.「姉妹」の様々な形
祐巳と由乃、双方にとって『黄薔薇革命』は姉妹関係を前進させる物語でした。
両者を比較するとき、何が見えてくるでしょうか
5-1.2隻のボートはどちらへ向かったか
作中、黄薔薇さまが以下のように問いを投げかけます。
「川をね、ボートで流されていて、その先には大きな滝があるとするでしょ? でも、その滝を下りないと我が家に帰れないのね」
「はあ……」
それは、何かの喩えなのだろうか。しかし三奈子にはちんぷんかんぷんで、ひたすら相づちを打って首をひねるだけである。
「オールはあるのよ。どっちに漕いだらいいと思う?」
本作の令 - 由乃、祥子 - 祐巳の問題もこの喩えに合致すると言えるでしょう。
特に、黄薔薇さまが他でもない「親不知」だったことは象徴的です。令は由乃の意図がわからず、祥子もまた祐巳がなかなか呼称を変えないことにやきもきしたことでしょう。同時に、それはいつかは対処しなければならない問題として現れたのです。
しかし、祐巳と由乃を比較して眺めると、その対処法は真逆でした。
由乃は滝に向かって漕いでいきました。常に「先手必勝」で、ロザリオを返し、自身で手術を決断し、令を先導するようにして関係を新しく結び直しました。自身から手術を決断して能動的に入院した由乃とそうせざるを得なくなった結果入院した黄薔薇さまとの対比でもこのことはよく見えます。
一方で、祐巳は滝から逃れるように漕いでいきました。「『だって、いつまで待っても、あなた呼び方変えようとしないんだもの』」という祥子の言葉から、祐巳が能動的に動かなかったことが伺えます(令と由乃が2週間会わなかったと病室で会話しているので、最低でもそれ以上の期間呼び方が変わらなかったことが分かる)。
最後通告によってどうにか「お姉さま」呼びに辿り着いた様は、(由乃とは逆に)黄薔薇さまの姿に重なります。滝から逃げるように漕ぎながら、とうとう逃げきれなくなったのが祐巳だったのです。
5-2.マリア像が見つめる進展
祐巳と由乃を比較した時、本作で称揚されたのは間違いなく由乃の行動でしょう。しかし、それはただちに祐巳の行動、あるいは祐巳が共感を寄せる「黄薔薇革命」に振り回された生徒たちを悪と断ずるものではありません。
いずれの姉妹においても解決(祐巳の「お姉さま」呼び、由乃の復縁)はマリア像の前で行われました。「私が間違った行いをせずに過ごせますように。」(p.11)と冒頭で祐巳が手を合わせるマリア像の前でこれらが行われるにあたって、どちらの行動も一定の承認を与えられたものと読むことができるでしょう。
確かに祐巳の現在の立ち位置は不安定なものです。黄薔薇さまの喩えを改めて引くならば、滝の向こうの「我が家」から離れるようにして動いていたこともまた、その不安定さを象徴するでしょう。
しかし、その不安定さを抱えたまま姉妹関係が前進することは悪いことでも、おかしなことでもありません。「他の姉妹のことが気にかかるようになってきた」祐巳と志摩子の間で交わされたやり取りからこの解釈を導くことができます。
朝拝の時間が近づいたので、各自紅茶を飲み干して席を立った。カップを片づけながら、志摩子さんが言った。
「姉妹にもいろいろな形があるわね」
水道の水は、先週より少しだけ冷たくなっていた。
祥子 - 祐巳の関係は、令 - 由乃の関係、あるいは「黄薔薇革命」に翻弄された姉妹たちのどれとも異なります。その進展に不安があったとしても、それは祐巳と祥子の固有の歩みであって否定されるものではないのです。
前作で祥子と祐巳は劇的な物語の末、姉妹関係を結びました。
「祐巳さん。祥子さまからロザリオいただいたんでしょう? どうだった?」
「どうだったか、……って」
「ドキドキとか、した?」
もちろん。
「……した」
たかだか一週間前のことだから、その時のシーンは鮮明に思い出せる。ずっと憧れていた祥子さまが、真剣な顔をしてロザリオを差し出した。こんなに幸せを感じたことは、十六年生きていて初めてだったかもしれない。心の中で、打ち上げ花火がパーンと開いたような感じだった。
祐巳の目を通してリリアン女学園を眺める読者にとっても、「姉妹」とは特別な関係であること、祐巳と祥子のように大きな物語があるだろう、とイメージが出来上がることでしょう。
しかし、令 - 由乃関係を通して、(志摩子の言葉通り)「姉妹」にも色々な形があること、さらに白薔薇さまの「『「何難しい顔しているの。妹選びの基準なんて、人それぞれよ。顔で選んだって、そんな人、私はたくさん知ってる」』」(p.130)という言葉を通して、決して大きな物語が関係を結ぶ契機になっているわけでもないことを知るのが本作です。
「黄薔薇革命」は様々な「姉妹」のあり方を祐巳の眼前に提示することになりました。そして、令 - 由乃が異なる関係として描かれることで、祐巳と祥子の姉妹関係はあくまで彼女たち固有のものである、としてその進展を見つめる土壌ができたと言えるでしょう。
まとめ
『黄薔薇革命』は祥子 - 祐巳、令 - 由乃の「姉妹」関係を新たに結び直す物語でした。そして、この物語は祥子と「姉妹」になったことで「他の姉妹のことが気にかかるようになってきた」祐巳の目を通すことで、「姉妹」とは何かを問う側面も持ったと言えるでしょう。
令 - 由乃の関係は「昨日今日といってもいいほどのできたて姉妹」である祥子 - 祐巳とは異なる絆で結ばれていました。令が由乃に向ける強い想いを祐巳は憧憬の目で眺め、一方で、ドキドキを伴う祐巳と祥子の関係に由乃は同じく憧憬の目を向けます。
また、白薔薇さまが話す様々な「妹選びの基準」、「黄薔薇革命」に翻弄される生徒たちを通して、「姉妹」関係が決して尊い物語に支えられているわけでもないこと、不安や退屈を抱え得ることが提示されました。
以上を踏まえると、「姉妹」関係を結び直す物語というに留まらず、祐巳(ひいては読者の)「姉妹」観に対する革命の物語だったと言えるでしょう。リリアン女学園の「姉妹」関係における慣例を由乃が破ったことで、逆説的に「姉妹」とは何かが浮かび上がったのです。
そして、それは薔薇の館のメンバーでありながら「黄薔薇革命」に振り回される生徒たちにも共感を寄せる祐巳の視線を通して、立体的に読者の前に立ち現れたのでした。
おわりに
友人たちとの読書会を機会に、と再読するほどにマリみては素敵な作品だと感じ入るばかりでした。何度読んでいても今回の再読で気がつくことが本当に多くて、本当によい機会になったな、と思いました。
読書会の題材として選んだことで結果的に友人たちへの布教にもなり、『マリア様がみてる』という作品を好きになった、と感想をもらえたのも嬉しかったです。
また近いうちに『マリア様がみてる いばらの森』も扱いたいですね。