早期退職制度に乗ってみた (3)災害の影響
先日、この文章を書くために退職決意後に書いたと記憶していた
プレゼンテーション資料を個人PCから検索した。
「50歳以降の人生について」というタイトルでヒットしたが
記述途中状態だった。
記憶が正しければ、この資料は使わずに妻との交渉は済んだ。
しかし、これを書くことで頭の整理・何故辞めるか・今後どうしたいか?
は整理できたはずだ。
ウチは、財布は妻が持ってるが金庫は私が管理している。
(運用等は私の担当)
上記に挙げた事以外に、資産がいくらあり
早期退職制度でどれくらい割増退職金があるか?が
何よりの交渉の決め手となった。
「じゃあもうアクセクしなくていい」というような事を言ってもらえた。
住処は持ってないが、いや住処を持たず
資産形成をちゃんと出来てた自分の力もあるが、
娘がお金の掛からない専門学校に行き独立してくれた事など
自分の力以外の部分も大きいと思っている。
また、妻は気に入らなければ職場をすぐ変える資質で
「俺はもう28年同じ所に勤めた」という言葉を大きく捉えてくれた事も
追い風になった。
こうして思ったより抵抗なく、退職について最大の交渉が済んだ。
2019年10月。
今関わってるプロジェクトが来年2月で終わる。
1月頃にまずは上司に退職の意向を伝えよう。
そして企業面接への応募を始めよう。
…と考えていたが、顧客の最大生産拠点が台風の被害を受けた影響で、
プロジェクトは4ヶ月延伸になってしまった。
刑期が延びた(?)気持ちにもなったが、この仕事だけは
今までお世話になったお客さん達への禊としてやらねばならない。
気持ちを切り替え、退職段取も再スケジュールした。
3月に期末の面談があるので、どうしてもそこで
退職の意を言わなければならないだろうと考えた。
2020年2月。
世間がコロナウイルスで変わり、プロジェクトも
在・工場の自分は殆ど影響無かったが、
本社側の人員は80%が在宅勤務になるがネット環境が追いつかず
1日の半分しか社内サーバに接続できないなど障害になりつつあった。
工場へ訪問しての会議も困難となり、更なる延伸が危ぶまれたが
元々サーバサポート切れのリミット起因のプロジェクトでもあり
延伸は免れた。
コロナの影響は長引くだろうという予感はあったものの
期末の面接で上司に退職の意を伝えた。
その上・その上と一部深い関係者にまで伝わったが、思ったより
何故か?と問われなかった。
子供も独立したし辞めると言ってもおかしくないと思われてたのだろう、
と自己分析している。
3月にもなると、会社からの広報で公式行事の禁止が通達された。
これは私にとって「残念」ではなく「複雑」だった。
退職前にお世話になった拠点(海外含む)への出張ができないだろうと
思う反面、古い会社だったので儀式的な送別会も少なくない事が
想定されていたがそれがなされず静かに去れる、というプラス面も
あるよなと思っていた。
2020年6月。
プロジェクトも予定通り終わり、会社に籍を置きながら
年休を消化して転職活動をさせてもらう事が許された。
いざ本格的に転職活動を行なうと、コロナの影響は思ったより大きかった。
転職フェアの激減。
採用枠の減少。
事前調査で行った転職フェアで是非と声を掛けていただいた企業に
まず面接に行ったが、反応が変わっていた。
(社長が変わった影響かもしれないが…)
対策もせず臨み、好きなように話した結果不採用だった。
以降、某転職エージェントに登録し、書類を送り
2割の確率で面接まで進み、全部不採用な状態が続いた。
出来れば退職までに決まればと思っていたが、そんな思いも虚しく
浪人状態で2020年11月某日、退職の日を迎えた。
(つづく)