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"はいどお"と読んで下さいね。 20年前、「さるさる日記」の上位ランカーでした(汚い手使って)

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最近の記事

「DX」≠ データ見える化

「DX」(念のため。Digital Transformationの事) という名のもとに、様々な企業で様々な取り組みがなされている。 私の関わっている企業も、「受注傾向から需要予測を行なう」から 「工場での仕事をリモートワークできるようにインフラ整備する」まで 広範囲を「DX」扱いしている。 「DX」という言葉の歴史はまだ浅いが、今までの経験から データを「見える化」するだけでは何も生み出さないよなと感じている。 そのデータに正にボトルネックとなる企業課題が表されていて

    • 社内SEはミニマリストがいい

      昨年からお世話になっている会社では、IT要員として採用されたが 親会社にDX要員として派遣となっている。 私のように企画部門へ派遣となるのは少数派で、 組込ソフトなどをやってる社員の方が多い。 相思相愛で入社したと双方思ってるが、 アンマッチだなあ、この会社でずっと居る事の弊害になるかも? と不安なのが人財評価の方法だ。 簡単に書くと「スキル」×「仕事ぶり評価」で 「スキル」の方が重い。 で、スキルは他社(富士通)の人材力診断方法でなされる。 ITサービス開発要員と、

      • 思い出のクリスマスプレゼント

        私は、冷めた所のある人間であると思う。 誕生日には、物心ついた時にはケーキもプレゼントもなく 祖父母からのお祝い金がもらえるのみだった。 クリスマスには、基本ケーキだけ。 これらと、バレンタインデーにチョコがもらえない事が重なって 「テレビでやってるほど、現実は華やかではない」 と思い、自分を納得させるために 「テレビに惑わされちゃいけない。ケーキ屋/チョコ屋/おもちゃ屋の陰謀!」 と早くから思うようになり、早々と"戦後に始まった行事否定派"になった。 50過ぎた

        • 早期退職制度に乗ってみた (5)総評

          1.成功?失敗? 今回の早期退職・転職の目的は、  (1)定年後、再雇用勤務の先取り     もしくは年収UP+勤務期間の短縮  (2)これまでの経験を活かし、相思相愛となる他社へ  (3)※非公開 であり、3項のうち(1)(2)を満たされたから「成功」である。 なお、賃金は2/3に、住宅手当・出張手当等含めると それ以上減った。 しかし、会社への拘束時間も2/3になっている。 さらに在宅勤務日が出勤日より多く、 時間的には以前より大きく余裕が出来た。 浪人期間に始

          早期退職制度に乗ってみた (4)初の浪人生活

          結論から書くと、2020年11月退職の後、 転職先が決まったのは2021年7月だった。 1.転職活動上の反省 8ヶ月(退職前も含めると+3ヶ月)の転職活動は長いと思う。 何故こんなに掛ったかを考察する。 ・転職サイト情報にふり回される(うまく使えない)  応募条件に書いてある事を100%満たしているのに  書類で「条件に合わないので不採用」という連絡が続いた。  時間が経つにつれ分かったが、理由の一つに  「前の会社(グループ)が大手すぎ、募集企業が不安になる」  と

          早期退職制度に乗ってみた (4)初の浪人生活

          早期退職制度に乗ってみた (3)災害の影響

          先日、この文章を書くために退職決意後に書いたと記憶していた プレゼンテーション資料を個人PCから検索した。 「50歳以降の人生について」というタイトルでヒットしたが 記述途中状態だった。 記憶が正しければ、この資料は使わずに妻との交渉は済んだ。 しかし、これを書くことで頭の整理・何故辞めるか・今後どうしたいか? は整理できたはずだ。 ウチは、財布は妻が持ってるが金庫は私が管理している。 (運用等は私の担当) 上記に挙げた事以外に、資産がいくらあり 早期退職制度でどれくらい

          早期退職制度に乗ってみた (3)災害の影響

          早期退職制度に乗ってみた (2)退職決意のいきさつ

          前回の要約は、「2016年頃に社外の研究会に参画して外を知る」だが この間に一つ変化があった。 転勤である。 転勤先は地方都市の工場。 とはいえ、慣れた場所である。 理由は、その拠点に駐在していた若手社員が退職するため補充で、である。 しかし転勤元の仕事を持ったままだった。 転勤については、いきさつも含めて納得いくものであった。 しかし、その後に補充要員がなかったのは納得いかなかった。 私の仕事は、顧客と一緒に課題を解決する事。 それには手練れな複数の顧客を相手に、議

          早期退職制度に乗ってみた (2)退職決意のいきさつ

          早期退職制度に乗ってみた (1)決心前の状況

          2016年6月某日夜。 私は東京の新橋にいた。 周りには1年間、一緒に同じテーマで論文をまとめた 様々な会社から参加した仲間が10名ほど顔を赤く目をトロンとさせていた。 「社外を知れたのは大きかった」 「やっぱり自社は歪んでるよな。  ここに参加したお陰で何がどう歪んでるかが自分の中で形になった」 そんな思いを抱きながら楽しい時間を過ごしていた。 その翌月、研究を持帰り自社内で発表を行なった。 …が、誰一人ピンと来てなかったのは、 私のプレゼン能力が低かったからだけ

          早期退職制度に乗ってみた (1)決心前の状況

          早期退職制度に乗ってみた

          (0)はじめに 私は50歳で、新卒入社後28年半勤めた会社を退職しました。 何回かに分けて、いきさつやその後どうだったかを書いていこうと思います。 結論から述べると、「成功シナリオの一つだったのでは?」という日々を この文章を書いている現在過ごせています。 但し、別の人が同じ状況に立ったとすれば、結果の受取方も変わり 「状況悪化した」と思うかもしれません。 どの位の方の参考になるか分かりませんが、一例として読んでいただき 同じように50代をどう過ごすか考える方の結論

          早期退職制度に乗ってみた

          人生で初めて見たキラキラネーム

          名古屋に4歳まで住んでた。 といっても、名古屋港に近い地域で名古屋らしいものは何もなく 周りは運送業者やトラック置場が多い所だった。 長屋の端に住んでて、反対側の端に1歳下の「じゅんこ」ちゃん という女の子がいて、よく遊んでいた。(記憶はもうないが) 人生で初めてのお友達だった。 おそらく親同士が仲良くなり、それで友達関係が形成されたのだと思う。 母の喘息対策のため、4歳で空気の良い所 (=当時何もない田舎=今の実家)へ引っ越しとなった。 「じゅんこ」ちゃんの家も、その3

          人生で初めて見たキラキラネーム

          一杯500円以上のタピオカミルクティー屋は一律潰れて欲しい

          小生は台湾赴任経験あり、台湾が好きだ。 勿論台湾の食物飲物も(一部例外あるが)好きだ。 日本でタピオカミルクティーが流行り、2022年5月現在も下火ながら まだ営業している店舗は流行る前に比べたら多い。 他国にある美味しい物を日本に紹介し定着させるならば ちゃんとそれを好きな人がやってほしいなと思う。 台湾での珍珠奶茶の価格。 台北で40TWD、地方で30TWD。180円程度だ。 ところが日本での価格はどうだろうか? 500円以上の店が当たり前になっている。 物価差あ

          一杯500円以上のタピオカミルクティー屋は一律潰れて欲しい

          「自殺しないで」の思いを行動に出来るか

          上島竜兵さん死去のネット記事に「いのちの電話」の連絡先が書いてあり 自殺されたのだなと察している。 何者か、大いなる意思によって動かされている心臓を、 ちっぽけな自分の手で止めないで欲しい。 自分、あるいは周りの少ない人数による評価だけで 自分や自分の人生の価値を決めて、終わらそうとしないで欲しい。 …と思うのはエゴなんだろうか。 思うだけでなく、何か行動できることはあるのだろうか。 今回気づいた事がある。 自殺は大きく2種類あるという事。 一つ目は、いじめによった

          「自殺しないで」の思いを行動に出来るか

          お金に纏わる悩み

          先日、前の会社で加入してた財形(住宅・一般)を 今の会社で継続しなければ!忘れてた。 確か退職後2年以内に申し込まなければならないはず。 …という事に気付いたが、1週くらい経過するにつれ 「あれ?継続する意味あるのだろうか?」と思うようになった。 麻生さんの言ってた老後2千万×2人分は既にあり、 ないのは住居だが、中古マンションを買うつもり。 住宅金融公庫で借金して購入する可能性は極めて低く、 住宅財形やるメリットないよな、となったのである。 「自分で自分の進みたい人生

          お金に纏わる悩み

          「子供の日」に寄せて

          日本では、性悪説ならぬ性"アホの子"説の傾向が強い。 例えば。 従業員に守って欲しい事が出てくると 朝礼などで唱和させる企業が多い。 「我々を子ども扱いするな」と内心思いながら 日本の従業員は従う。 「自分」の境界線は曖昧だ。 瞬間を切り取った時、肺の中の空気は自分に含まれるのか? しかし、何となくの境目はある。 髪を切る・髭を剃る・爪を切る。 残った物は、確かに今まで自分の一部だった筈。 それに執着し、生涯保存している人はおそらくいない。 オギャーと生まれて、へその

          「子供の日」に寄せて

          『防災おにぎりデー』に参加始めたいきさつ

          自身、人間の器が小さいと思う。 但しその自覚あるので、人と接する時は注意をしている。 だから相手がそれに値しない人物と分かったら、 その性質を剝き出しにして接することになる。 また、とてもせっかちだ。 小学校に上がる前に九九をマスターし、雑誌「小学〇年生」は 一学年上のを読んでいた。 お陰で田舎で過ごした小中学時代は神童扱い。 しかし頭がいいわけじゃなく、当時はせっかちという自覚なかったから 周りの評価と自身に何となくギャップを感じていた。 私には3学年下の弟がいた。 弟

          『防災おにぎりデー』に参加始めたいきさつ

          我が子と何喋っていいか分からない父親

          父から 「自分に父親がいないから(※)、お前と何喋っていいか分からない」 と言われた。今更。  ※物心つく前に戦死 そんな事言葉にしなくても解ってるよ。 俺からもそう思ってるよ。 たまに絡むようにしてるけど、趣味も合わないし基本話す事ないよ。 血の繋がった孫でもいれば違ったかもしれないけど、 この結果は父母が自分を育てた際の副作用も影響してるから 申し訳ない気もあるけど、俺だけのせいじゃないから。 赤子の時は父の顔を見たら泣いたらしい。 そんな時から距離を父に感じさせ

          我が子と何喋っていいか分からない父親