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ブッツァーティ:空飛ぶ円盤とポストモダン

夏休みも終わり、卒論の第二回中間報告とかいうゴルゴダの丘からも生還しました。
今回はブッツァーティの短編の一つ「円盤が舞い降りた(Il disco si posò)」の紹介から初めて、話の脱線を繰り返しつつポストモダンなどについて勉強中ながらも書き連ねていきたいと考えています。いつにも増して一貫性のない文章ですがご了承くださいませ。

円盤が舞い降りた

この短編は日本語訳は岩波文庫『七人の使者・神を見た犬』、イタリア語なら『Sessanta racconti 』に収録されています。

「円盤が舞い降りた」自体は個人的にはブッツァーティの作品群の中ではそれほど群を抜いて輝かしい短編ではないと個人的に考えています。
ほんの1ページと少しの分量で、神父のもとに宇宙人がやってきて地球人の文化の中でも不可解な宗教というものについて尋ねるという(今の感覚ではSFとしてありふれたような)内容です。

今回この短編を取り上げたのは「面白いからぜひ読んでみて!!」というよりも、この作品に作者ブッツァーティの特徴が端的に現れているような気がするためです。

ジャーナリストの文章

ブッツァーティの特徴の一つ目として、彼が新聞記者として働いていたことに由来するジャーナリスティックな文章スタイルがあります。「円盤が舞い降りた」は事件に遭遇した神父に対するインタビュー記事として描かれており、ドキュメンタリー番組のように時系列がインタビュー現場と事件当時を行き来します。
この新聞記者らしさは物語の書き出しによく現れており、他の作品でも主人公の名前、職業等、日時などが冒頭一文で簡潔に示されることが多いです。

セバスティアーノ・プローコロ大佐が奥谷に移り住んだのは、一九二五年の春でした。(『古森のひみつ』)

将校に任官したジョヴァンニ・ドローゴは、九月のある朝、最初の任地バスティアーニ砦に赴くべく、町を出立した。(『タタール人の砂漠』)

各小説の冒頭一文

このように彼の文章は冒頭で情報が整理されており非常に読みやすいところがあると思います。(その分、冒頭から技巧に富んだ文体が展開されることは少ないと言えるかもしれません。)

異教的な目線

ブッツァーティはイタリアというカトリックの牙城のような国にいながらも、De Anna(1997)の言葉を借りるならば「クリスチャンというよりは異教的な」作家と評されることがあります。
例えば彼は1920年ごろにエジプトでツタンカーメンが発見されてからのエジプトブームのときには自身の苗字DinoからDinobisというエジプト神ごっこをしていました。

そんなブッツァーティはキリスト教をも一つのオブジェクトとして捉えて作品の中に落とし込んでおり、「円盤が舞い降りた」の中でも宇宙人の口を通して素朴な疑問が投げかけられます。

たった一つだけ、我々には理解できなかったことがある。まさにそのために我々は円盤から降りてきたのだ。このアンテナは何なのだ?十字架の形をしていて、あちらこちらに取り付けられている。教えてくれるか、人間よ、これは何に使うのだ?

「円盤が舞い降りた」末尾

西洋諸国に行けば街を歩いて十字架を見つけるのは難しくはないでしょう。「無宗教的」とされる私たち日本人からすれば「僕たちにはわからないけれど本人たちにとっては意味があるのだろう」という感覚でしょうが、おそらくキリスト教徒にとっても十字架などの宗教モチーフの「意味」は実はわかっていないのかもしれません。

もちろん「十字架はキリストの磔刑を表しており、原罪からの救済の象徴である」というような説明はできます。しかし、もっと根本的な部分、聖なるイメージとは何か、という問いには答えられない(らしい)のです。現にこの物語の宇宙人たちは人類の文明についてその他全てのことを理解した上で宗教についてだけは腑に落ちていません。

ユング『元型論』

ユングはフロイトと並べて論じられる精神分析の開祖のような人物で、「神話」の扱いについてフロイトが神話の中に克服すべき幼児心理を読み取ったのみなのに対し、ユングは集合的無意識という前提のもとで神話の中に人類の普遍的体験を見出そうとしました。

なぜこの人がいきなり出てきたのか、不思議に思われた方もいるかもしれません。ユングは『元型論』の中で以下のように論じます。

(要約)プロテスタントの宗教改革や偶像破壊によって神聖なイメージに疑いがかかるようになった。そうして疑いがかかった結果、イメージが何を意味していたのか、初めからわかっていなかったことに気づいてしまった。

ユング『元型論』より、引用ではなく要約

ユングは集団・個人による典型的経験の繰り返しによって「元型」が形成されるとされ、そこから神話・神話的イメージ、すなわち宗教の元が成立すると考えました。彼によると宗教だけでなく各々の主義や信条というものもこうした元型から生じるものの変種であるといいます。そしてこのようなした「元型」を失うという「不安」には人間は耐えられず、神経症患者には適した元型すなわち世界観を再び与えるべきであるというのがユングの考えです(私の理解した限りでは…)。
平たく言うと人は何かしらに依って(酔って)いないとやっていけないということですかね。

再びブッツァーティについて

一旦話をブッツァーティに戻すと、彼の作品には不安というテーマが一貫して存在します。この不安の背景に、現代人特有の根っこのなさの自覚、ユング風に言えば「元型」を失いその代替を求める苦悩のようなものがあるように私は考えています。
望遠鏡を覗いても神はいない、『タタール人の砂漠』の主人公ドローゴのように古代神話の英雄を夢見ても決して実現しない、どんどん加速する時代の変化への適応は困難である、そうした現代に対する悲観的な見方はポストモダニズムに通ずるものがあります。

おそらくこのような苦悩の中でブッツァーティが心の拠り所としたのは不動の「山」です。詳しくは今度『山のバルナボ』について紹介することがあれば書きます。
個人的な経験を挟むと、私も就活で辟易としていた時期に富士山を見に行ったときはなんだか落ち着きました。なので不動の山に関わることで実存的不安を解消する気持ちは理解できます。山に限らず「自然を見ていると落ち着くわ〜」というのは似たような感性でしょう。

ポストモダニズム

ポストモダニズムというのはモダニズムの後というだけであってそれ自体が一つの思想を意味するものではありません。私も「ポストモダニズムとは〇〇である」みたいなことを書けるほど知見を深めてはいません。が、進歩や発展を礼賛してきたモダニズムを経た結果、知識やモノの豊かさを享受した結果、自己存在の意味がわからなくなってしまった寂しさが共通してあるように思います。

T. イーグルトンは著書『人生の意味とは何か』の中で以下のように書いています。
(ただし、イーグルトン自身はポストモダニズムという現象に対して批判的な姿勢をとっているようですが)

チェーホフのようなモダニストたちが人生の無意味さにかくも心を奪われる一つの理由は、モダニズムが十分年を経て、ふんだんに意味があった時代、あるいは少なくとも世評がそう認める時代を、懐古するようになったからであり、チェーホフ、コンラッド、カフカ、ベケット、および彼らの同時代人たちが、枯渇する人生の意味に困惑し落胆するほど人生には意味があったのだ。

イーグルトン『人生の意味とは何か』

ブッツァーティはここで言及されているチェーホフ、コンラッド、カフカ、ベケットらとは一世代後の作家で、ブッツァーティ家の本棚には彼らの本も収められていました。上記4人は1800年代末〜1900年代初頭の人物で、ブッツァーティは1906年生まれです。

おそらくイーグルトンの文脈ではチェーホフ、コンラッド、カフカ、ベケットはモダニズム後期かつポストモダニズムの兆候が現れていた時期の人物ということでしょう。私はカフカ『変身』とコンラッド『ロード・ジム』しか読んだことはないのですが、これらの作品の特徴として人生の不条理さのようなものはあると思います。

世界史において1900年代前半といえば二度にわたる世界大戦の時代です。
これは本当に個人的な推測なのですが、当時の人々が戦争に突き進んだ背景の一つに「人生の意味を与えてくれるもの」を求めていたということがあるのではないかなと考えています。政治や経済的な原因分析とは全く違うレベルでの考えなので戦争を防ぐためにどうこうという話には繋がりませんが。

私はブッツァーティはファシズムにはそれほど礼賛的ではない(少なくとも当時の大多数のイタリア人の傾向と比較すると熱狂的ではない)と考えていますが、それでも彼は戦争自体については熱狂していました。
1970年代のインタビューで彼はこう語っています。

人が「戦争とは最も忌むべきものである!」と語る場合、私はこう答える。「いや、戦争は最も忌むべきものではない」と。これは事実なのだが、私の知るすべての人々はある年齢に差し掛かると大きな感情と共にノスタルジーや愛を呼び起こすあるものを思い起こす。それは戦争の経験である。

Yves Panafieu、1976、『Autoritoratto』

一応補足しておくと、「いや、戦争は最も忌むべきものではない」というのは病気や飢餓などの方が恐ろしいものであるという文脈であって、「戦争は忌むべきものではない」という意味ではありません。

個人主義と全体主義は対義語ではありませんが、神と宗教的教義を讃える時代から自然科学の発達とともに個人主義の時代を迎えたのに、一部の国が独裁者と特定の政治信条を讃える全体主義に行き着いたというのは皮肉な感じがします。

いつの間にか当初の構想にはなかった戦争の話にまで行き着いてしまいましたが、つまり人間は完全に独立した個人として、あらゆる世界観や思想から解き放たれた客体として生きていくのは難しいのかもしれないということを書きたかった次第です。円盤と宇宙人の話はもはやどうでもいいです。

西洋の人物ばかり出てきましたが、中国の魯迅の言葉も引いておきます。

人生でいちばん苦痛なことは、夢から醒めて、行くべき道がないことであります。夢を見ている人は幸福です。もし行くべき道が見つからなかったならば、その人を呼び覚まさないでやることが大切です。

魯迅「ノラは家出してからどうなったか」

ユングの言葉も引いておきます。

今日のいわゆる神経症患者の中には、もっと早い時代であったら神経症、つまり、自分自身と分裂することになっていなかったであろう人々が少なくない。もし彼らが、祖先たちの世界や、単に外側から見られるのではなく真に体験される自然と、神話によって繋がっているような時代と環境に生きていたら、自分自身との分裂を経験せずにすんだであろう。ここで問題なのは、神話の喪失に耐えられず、ただ外的な世界、つまり自然科学の世界像への道を見出せず、かといって、真実とはこれっぽっちも関わりのない、言葉を用いた知的な空想との戯れに身をまかせることにも満足できない人々である。

高橋原『ユングの宗教論』より

僕はまだ生きる意味を見失って自分自身と分裂するような自体にはなっていません。ということは、何かしらの夢か神話の中にいるのかもしれません。
魯迅によるとその夢から醒めることは最大の不幸になりうるらしいので、これ以上はあまり考えないようにして今日は寝ます。

おやすみなさい。いい夢を。

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