好きになる理由、嫌いになる理由
50歳近くになり人の好き嫌いが変わった。
好みは変わっていない、好きになる衝動は同じだけど嫌いになる衝動が少なくなった。嫌いという感覚に関して感情より理性が上回るようになった。
若い頃、、と言ってもつい数年前までのことだけどどんなに好きな人でも「え?」となるような事だったり、嫌な部分を見るとあっさり嫌いになった。そんな人だったのか、失望した、がっかりしたと言った具合だ。とても浅はかだけどずっとそうだった。
ずっと好きでようやく付き合うことができた女性。付き合ってさらに良い面を知りこんな素敵な人はいないと思っていた矢先に、ちょっとした価値観の違いのような地雷を踏んで一瞬で消え去るなんてことはしょっちゅうだった。たった一つの違和感をまるでその人の全てとして見てしまっていたからなのだろう。
何の変化があったのかわからない。
ある時から好きな人の嫌な面を見たり、考え方の違いを知っても「そういうところもあるんだな」と思うだけになった。それはこの人の100あるうちの1つに過ぎない。そんな考え方になっていた。
人でなく物でも同じ、どんなに素晴らしいモノでもメリットがある反面デメリットが存在する。そのメリットが強ければ強いほど、デメリットも大きくなる。
最近モノを選ぶときの基準として完璧なものより少し足りていないぐらいのモノを選ぶようになった。完璧よりも少し不足しているぐらいがちょうどいいと知ったのだろう。そしてそういう感覚になることで不足の部分、本来ならデメリットとなる部分が愛おしくなってくるから不思議だ。
これまでは全ておいて完璧を求めていたのだと思う。自分は不足だらけのくせに恥ずかしい。
昨年心筋梗塞で倒れ死ぬ寸前までいって価値観が変わったのかもしれない。それとも諦めがついたのか、目覚めたのか。不足の中にこそ価値があると考えるようになった。
今回の話とあまり関係ないかもしれないけど、先日Twitterでみた興味深いはなし。
好きな人を嫌いになる時の理由は
その人を好きになったときの理由と同じ
たしかにそうかもしれない。
人はなんて勝手な生き物なのだろう。
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