【エジンバラ 大学留学:後期】スポーツと国際開発(番外)基本テキストのまとめ①
この記事では、スポーツと国際開発で読んだ基本テキストをまとめていこうと思います。
読むテキストは、担当教授の書いた『Sport, Culture and Society 3rd』です。先生は上の写真の右側の髭の方です。
この本を読む目的
◆スポーツと国際開発の理解の体系化とスポーツがどのような力を持つかを自分なりに考えること
◆具体的なゴール
各省での議論を簡単に説明でき、自分が思う問題点について、意見を言えるようになる。
内容については、あくまでも個人のまとめようであるので、間違っている可能性もあるのでご了承ください。
本の構成
4章28の節から構成されます。課題に合わせ適宜読み、追加していこうと思います。一部意訳しています。
1章目:より広いコンテキスト(文脈、背景の理解)
2章目:グローバルスポーツとコミュニティ
3章目:スポーツと現代の社会問題
4章目:希望の資源と政治的可能性としてのスポーツ
イントロ
まずイントロで印象に残ったのが、スポーツの側面を列挙していたことです。こればスポーツを考える上で重要なので記載をしようと思います。()ないは僕の理解を追記。
スポーツの側面(覚えておく)
◆a ritual sacrifice of human energy;(感情面での発散の場所)
◆a war without weapons;(平和手段)
providing a language between peoples;(対人間でのコミュニケーション。あるいは集団間でのコミュニケーション手段)
◆a form of soft power and persuasion;(政治、ビジネス上でのコミュニケーション手段)
◆a means of compensating for deficiencies in life;(人生を豊かにする手段)
◆a mechanism for the affirmation of identity and difference;(自分を作る手段)
◆a business;(ビジネス手段)
◆a social product;(社会的製品。何に対する製品?ビジネス目的政治目的?)
◆a contested arena shaped by struggles, both on and off the field of play; n a form of humanitarian aid and international development;
◆a social movement and form of activism (社会問題を提起解決する手段)
◆a social tool and an important aspect of public policy. (行政の社会的な道具)
どの階層で分析を行うかについて
少し多いですが、今まで読んだ論文から思うに、以下のいずれかの項目に着目してどの論文も分析をしていると言えます。論文を読む際に、どのレベルの話か意識して読むと、他の論文との比較に役立ちそうですよね。
レベル1 エピステモロジーのレベル(超メタ)、新しい枠組み(Critisism?).現代の価値観への挑戦
レベル2 文化のレベル
レベル3 国家レベル(政治利用とか?)
レベル4 グローバルスポーツ(ビジネス面が多い?)
レベル5 コミュニティスポーツ
レベル6 政策を阻害するもの(ここから階層の切り口が変わる)
レベル7 スポーツイベント
レベル8 過去の研究
レベル9 社会的分断と不平等
レベル10 国際開発とスポーツ
レベル11 スポーツと民主主義
話は戻りますが、この本の目的は、以下を明らかにすることです。
①スポーツが何か変化をもたらせたという殿城の証拠が何であるか
②理論
③スポーツのできることできないこと
1章目:より広いコンテキスト(文脈、背景の理解)の自分用のメモ
<1.1 スポーツ理論と価値の問題>
理論は、何かしらの解決手段を示すので重要
価値観関連の話で、国際機関の本部とそのトップが誰かという例が載っていました。そのほとんどが欧州にあり、ほとんどが男性でした。これは何を意味するか。
<1.2 スポーツ、歴史、社会の変化>
この章は歴史からスポーツがどの様に変化を起こしたかを説明します。
現在生じている社会変化はいくつもの要因(多段層)が折り重なるもので、直接観測することは難しいですよね。そのため歴史を紐解いて、スポーツによる変化を見ていきましょう。
また、歴史的な文脈を見ずに現代の文脈だけで考えると、変な方向に行く危険がありますということが書かれています。(例えば女性とスポーツなど)
歴史的な女性の地位向上と女性のスポーツの発展は20世紀(戦後くらい?)くらいからなんですね。この辺りは学者によってもいつからというのは違うらしいです。とはいえ、確かに女性の社会進出は戦後からですよね。
そう考えると、今まであまり考えてこなかったですが、(日本人の女性すら気付いていないかもしれませんが)、女性の社会進出が進んでいるとはいえない日本は、やはり女性がスポーツをしにくい国なのでしょうか。
小さいですが、以下は女性のとスポーツの関わりの年表です。女性、黒人、貧困国と(問題ある言い方かもしれませんが)社会的に地位が低いとされていた人たちの地位向上と女性のスポーツ進出が相関しているのかもしれません。(そもそも社会的地位という言葉自体が適切かどうかわからないですが)
これにSports&Mediaで取り上げるコミュニケーションテクノロジーを絡めて考えても面白いかもしれないですね。
2011年の女子W杯の日本女子優勝が1つの出来事として記載されているのに注目ですね。
今までのスポーツの私の研究は、スポーツに関する比較研究は、アイデンティティの形成とナショナリズムとの間のつながりを明らかにしてきたことが記載されていました。
ここで筆者は、スポーツ史を学ぶ上で重要なのは、根底にあるコンテキストの理解、正しいか間違っているかを主張することなく、歴史の累積的な妥当性(plausility)を獲得することだと言っています。
妥当性の判断ってどの様に行うのでしょうか。おそらく、何かしらの基準を決めてKPIを定めてという感じでしょうか。その基準を決める上でも社会のコンテキストの理解が重要だと理解しました。
この後も色々とスポーツの神話生への疑問、ポストフェミニズム等で続くのですが、まとめると、
スポーツの歴史は、以下の理由から重要(一部自分の理解)
(1) スポーツの歴史を学ぶと偏った理解を避けるのに役立つ
(2) 現在の研究を批判的に検討できる
(3) 歴史を学ぶと変化を評価するためのツールとなる。意味が社会的にあるかどうかにかかわらず、連続性と意味の理解に役立つ
(4)社会学と同様に、スポーツの神話を破壊するのに役立ちます。
→スポーツは歴史→悲劇、黄金期の積み重ねを経て神話になっていく。ただ、実際はこの神話は、ビジネス的な観点もあるもので、人工的に作られている場合がある
(5) それはスポーツの遺産、伝統とアイデンティティの無批判な受け入れに対して警告する。
(6) 過去のテーマ、イベント、および変化を照らすのに役立ちます。
2章でだいぶなボリュームになってしまったのでこの辺で一度切ります。