フィリピン人
フィリピン人
初めてノブ先生の夕食を味わう事にした。 初日は、自分の誕生日を祝って、おまかせを選択、大散財。
私のテーブル係りはフィリピンから1989年に、20代始めに来て、もう30年程この島に住んでいる。
彼女の祖父母がドール会社所有のパイナップル畑で働くためだ。 ラナイ島はサトウキビ畑とパイナップル畑で成り立っていて、農作業用の人手としてフィリピン人が大勢入植した。
彼女は運良くドール会社、またドール会社所有のホテルに長年給仕として雇われていたが、2005年、フォーシーズンホテルが買収、内装などの改築後またコビッド19の終焉を待ちホテル業務が始まった。
ラナイ島で最初に会った、運転手の説明と違うが、運転手の場合、プエルトリコ出身で二年前にラナイ島で就職したのだ。
フィリピン人の給仕は52歳で3人の子供がいる。長男、次男はホノルルで建設業に携わっている。
確かに、現在ホノルルの西側は建設ラッシュである。 彼女の末娘さんは小学六年生だそうだ。 大人になったらフォーシーズンホテルで働き、母親の側で生活すると言う。
スペイン領であったフィリピンが米国領になり、長年のいざこざの末、フィリピンは独立を果たしたが、 島国であり、人口の多いフィリピンはなかなか経済的進展が進んでいない。
米国の植民地時代が長く、結果的に英語を話せる人が多く、米国で職場を見つけやすいのかもしれない。
おまかせ料理に舌鼓を打ちながら、 夜空を見上げるとお星様がたくさん輝いていた。