見出し画像

手づくり(2010.9.29著)

少し前までは生活用品のすべてが手づくりの物であったので、あえてこれは手づくりだと言うこともなかったであろう。今やちょっとした物でも、手づくりと書き添えてあるだけで、より高級に思えるから不思議である。

洋服も若い頃はよく誂えていたものだ。ファッション雑誌を眺め、今度はどんな服にしようかなと流行りの襟や袖の形などを取り入れて決める。そういう楽しみもあった。お店で好きな生地を選んで買って、たいていは家の近くの洋裁をされる人に頼んで作ってもらっていた。出来上がるまで時間はかかるが、世界で只一つの自分だけのオリジナル製品である。なんと贅沢であったことか。

今はほとんど誰もがぶら下がりの既製品になってしまった。右から左へといろんな物が容易に手に入る時代になったが、家具一つにしても手づくりされているものは、それなりの値が付けられて数少なく、一般には工場で大量生産された物が多く出回っている。

まわりの物全部が、何工程もの作業を経て人の手によって丁寧に作られた品であった昔は、ある意味本当に豊かで、今言うところの特別に高級な物を皆が常に使っていたことにな る。きゅうりやなすやトマトといった野菜も有機栽培どころか自然そのもの。 あの時とそっくりの物はもう絶対に作れないのだ。水も空気も土も全部が変わってしまったのだから。

時代と共に便利になったが失った物はあまりに多い。今ここへきて一部本物志向に戻りつつあるが、日本が長い間作り伝えて来たすばらしい品々、そしてその技が消えてしまうことはなんとも惜しく寂しいことに思える。

先日、武道具師であった父の遺品の中から、古い作業ノートが出てきた。剣道の防具作りに関することが詳しく記されている。 面や垂れなどの断面図が描かれ、それに寸法を表す数字が沢山書かれてあった。苦労して習得したであろう職人の技術。受け継がれて行くことなく私の手元にこうしてノートだけは残っ たものの これをどうしてよいものか、日本の文化であるのに・・・。

このように、 時代の移り変わりで消えて行く先人の沢山の技術と知恵。 実にもったいないと思う。友より借りた『日本のたくみ』(新潮文庫)という本を読んだ。著者は戦後のあのマッカーサー元帥の前でも毅然とした態度だったと言われている格好いい男白州次郎の妻、白州正子である。 伝統芸術に関わるさまざまな手仕事のたくみを訪ねて書き綴った随筆本で読み進めると実に日本にはすばらしい 技と心意気があったものだと、改めてこの日本という国が愛おしくなってくる。 全部で十八種 。それぞれの職人の話が載っている。簡単に書くと〈扇・染め物・石積み・焼き物・木工・飛騨の白木・柘植の小櫛・履物・花・光の魔術師・刺青・水晶・印伝・精進料理・ハシの文化・お水取の椿・糸・即興の詩〉である。取材に応じられたのは当時わが国の一級職人と言われる方々である。昭和54年、55年の訪問なので、今はどうしておられるか、亡くなられたかもしくは年老いておられるだろうから。技術はどうなっただろう。日本のたくみは常に健在であってほしい。

この本では十八種の工芸をとり上げてあるが、数多いる中のほんの一部にすぎない。父の剣道の防具作りにしても、一針一針細かくそして気の遠くなるような時間をかけて一つの製品を作り出していたのだから。見て美しく且つ使いやすく頑丈でなければならない。83年の一生、手づくりの武道具製作一筋で生きた人間の その精神も、私の知っている限り頑丈でまっすぐであった。

手づくりされた物が持つ温もりがある。癒しがある。なぜだろう? きっと目に見えないが、それを作った人の心がその物に何らか形で入り込んでいるのだろう。そう思える。

私は時代に流され安直に生きてはいないだろうか。問われれば、はいそうですと言ってしまいそうだ。せめて毎日の食事くらいは手づくりの物をなるべく面倒くさがらずに、出来ることなら楽しんで作るということを心掛けたいものである。

そういえば先週土曜日、私は久しぶりに川魚の甘露煮を作った。魚釣りが趣味の夫の友人から、菊池川の渓流で朝釣ったものを持ってきていただいた。ヤマメとハエが大小合わせて55匹。貰った私は待ったなしで料理に取りかかる必要があった。めったにつかわない小さい出刃包丁を持って魚を1匹ずつ全部お腹を出した。次にグリルに並べて素焼きにし、その後番茶で煮て、最後に砂糖・醤油・酒・蜂蜜・生姜でしっかりと味を染み込ませたら出来上がり。魚釣りが好きだった父が釣った魚を母がいつも甘露煮にしていた。受け継いだ味はふっくら美味しく感じた。

いいなと思ったら応援しよう!