fumiko

毎月25日に母fumikoの書き溜めた文章を娘nahokoが代理発信しています。

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最近の記事

夢の世界 二題(2012.5.27著)

夢の世界「鳥」 今日も飛んだ 大空をスーイスイと 羽ばたくこともせず悠々と飛んでいる  下方の街や山河を望みながら   自由にどこまでも一人飛んでいる 何度 私は鳥になったのだろうか   夢は子供の頃から今も続いている 飛び始めは両手を羽根のようにパタパタ   すると体がフワッと浮き上がる 失敗はしない いつも自然に持ち上がる スーパーマンのように     人助けをする訳でもないが   夢の中で実に気持ち良く飛んでいる 朝 目覚めると   私の体全部 地球とくっついている

    • おゆずり(2002.1月著)

       当然のことながら人間は裸で生まれ、死にゆく時も身一つである。 五十余年を生きてきて、なんと多くの物を所有しこの先どれ程のものを手に入れようとしているのだろうか。物豊かな暮らしの中で、物を大事にするという基本の心を随分麻痺させてきている自分がいる。  贅沢な話だが、こうなってみると少しばかり物は足りない方がいいのではないかと思ってしまう。不足することによって工夫が生まれ、人への思いやりも育ち、物をいとおしむ心を持つようになるのではないかと…。  ある時夫の友人が、 「今じゃ

      • 母のショール(1997.9.24著)

         私が生まれてから後の母の写真は数枚しかない。そのどれもやせて弱々しく、どこか寂しげな、でも優しい感じの母の姿である。  母はぜんそくだった。時々発作が出て苦しみ入退院を繰り返していた。私は6人兄妹の末っ子として生まれ、10歳の時に母は亡くなった。店と住まいを戦争で焼けだされ、父の武道具製造販売の仕事も、敗戦後その職種故にしばらくは出来ず、いろいろ苦労したようだ。  新天地を求めて私たち家族は慣れない大阪の地へ移り住んだが、母の病気はひどくなり家計も苦しく、母の着物のほ

        • ピアス(2002.5.22著)

           私の耳たぶには穴が開いている。私の年代の女性で、耳に穴を開けている人は日本ではあまり多くはないように思う。  親にもらった 体に傷をつけるなんて・・・という人もいる。 実際私も最初は少し抵抗があった。10年くらい前まではピアスではなくてイヤリングをしていた。がしかし度々片方を落としてしまう。そういう時に限って大抵お気に入りのイヤリングである。  長女は高校を卒業したその日、形成外科に行きピアスの耳にしてきた。「痛くは無かったよ」「簡単だった」と言って、穴を開けた耳たぶに

          加速する時代 (2009.6.5著)

           会社勤めから帰宅した長女が 「今日初めてハイブリッド車を運転したー」 と話した。ハイブリッド車とは2つ以上の動力源を持つ自動車のことで、ガソリンで動くエンジンと電気で動くモーターを搭載した車である。聞くと会社の営業車らしい。ちょっとだけ運転させてもらったとのこと。 「えーすごい! それでどんなだった?」 と私の方が興奮ぎみに問う。 テレビのニュースで電気自動車は見たことがあったが、もうこんなに身近に利用されているとは思わなかった。  エンジンスタートはボタンを押すとのこと。

          加速する時代 (2009.6.5著)

          詩「MとW」(2009.3.23著)

          「MとW その1」 アルファベットの頭文字 今や何にでも使われて 氾濫しすぎて頭の中は混乱します 日本語までが犯されて 空気を読めないことをKYって言うんです 初めはびっくりしたけれど 市民権を得たのでしょう 国会で議員さんもけっこう使っていましたね そして今度はMW なぞ解きの様ですが 何のことだと思います? 間が悪いと解釈します なるほど!と呆れるでしょう 会話の中にこんなのが次々入ったら 私達はお手上げですよね では最後に FMとは何でし

          詩「MとW」(2009.3.23著)

          桜町界隈(2014.6.1著)

          昭和38年12月、私は大阪からここ熊本県に帰って来た。思い返せばなんと半世紀も前のことになる。その頃中学3年生で15才だった。 生まれ育った山鹿市を5才のときに離れ、それから10年間私は幼稚園・小学校・中学校時代を大阪で過ごした。今となっては生活様式など全国どこも似たようなものだし、交通も格段に便利になったけれど、あの頃の大阪からは『熊本は日本の一番西に位置する所』という感じで、とても遠い場所だった。どうしてそんな田舎に引っ越すのかと聞かれたりもした。 移り住んだ家は熊本

          桜町界隈(2014.6.1著)

          まさかの激震 熊本地震の記録(2016.6.4著)

           6月に入った。一人この静かな空間でパソコンに向かっていると未だに、1ヶ月半前のあの出来事が夢だったような不思議な感覚におそわれる。夢?悪夢?でも実際は、熊本の全員が味わった恐怖であり、紛れもない現実である。  4月14日(木)午後9時26分、時計をそれ以前に巻き戻したいという被災者の声を聞く。私もそう思う。平穏だった日常に戻りたいと。黒く凛々しくそびえる熊本城を、そしてあの武者返しの石垣を今一度熊本に返してほしいと。  熊本が傷を負った。重傷である。激震によってあらゆる

          まさかの激震 熊本地震の記録(2016.6.4著)

          あいうえおで料理 アヒージョ(2017.5.1著)

          アヒージョという料理知っていますか?うまいですよー。エビとオリーブオイルの料理です。カリッと焼いたバケットと一緒に食べます。 作り方はすごく簡単。鍋に少し多めのオリーブオイルを入れ、その中に刻んだニンニクと輪切りにした鷹の爪を入れ、ニンニクの香りが出るまで火にかけます。次に具材を入れ加熱するのですが、具材はエビ以外はお好みでエリンギやしめじやえのき等のきのこ類、他はベーコンやホタテなんかもOKです。グリーンの色どりにピーマンなんかもいいです。結構何でも合うのですがあまり種類

          あいうえおで料理 アヒージョ(2017.5.1著)

          紙と鉛筆(2015.3.3著)

           3月になった。リビング・私の部屋・トイレ・洗面所と次々に回って、カレンダーをビリビリーッと破く。1月・2月と早くも過ぎ て、今年も春の季節を迎える。カレンダーの絵に桜やお雛様が登場して、なんとなく心浮き立つ思いがする。  さて月日が過ぎた必要の無くなったこの破いた数枚のカレンダーをどうするか?裏面は真っ白なツルツルの丈夫な紙で画用紙よりも大きいものもある。ずっと昔は本やノートのカバーに再利用したこともあった。娘や孫達のお絵かき遊びや工作にもずいぶん役立ったものだ。それらに

          紙と鉛筆(2015.3.3著)

          この星の行方(2017.2.2著)あいうえお詩

          あたりまえと思っていた 今までの暮らし 嬉しい時も 悲しい時もあったけど 絵を眺め 音楽を楽しめる幸せ 感じるのです なんとなくこの星が危険だと 熊本の地震にしても けっして例外ではない 壊れて行くのだろうか この星 颯爽と歩く人々 幸せそうな笑い声 澄んだ青空 そして小川のせせらぎの音 そのどれもが愛おしい 大変 大変 そう大変な時代になったかも 地球がついに音をあげた 天地がとうとう怒りの拳をふり上げた なぜ人間はこんなに戦争ばかりするのだろう 盗人・嘘つきが横

          この星の行方(2017.2.2著)あいうえお詩

          タイムカプセル(2011.5.7著)

          今日は平成23年5月7日土曜日。大型連休の最後の週末です。このところ続いた中国からの黄砂もないようで、ここマンションの11階からくっきりと新緑の花岡山が望めます。風もなく爽やかに晴れたこの景色から はホント平和そのものに思えるのですが、現実は胸が痛くなるような悲惨な状況がこの世界中のあちこちであっているのです。 3/11の東日本大震災に関する番組は毎日どこの局でもいろんな角度から放映されています。原発による放射能の問題もあって、なかなか復興というまでは違い道のりのようです。

          タイムカプセル(2011.5.7著)

          詩 『文』によせて (2010.4.26著)

          すきま無く並ぶ集合体 何百 何千 何万と ただワクの中に 何かを形作る訳でもなく ぎっしりと整列している 黒一色の服をまとい 文字という称号をもらって だが一つ一つ個性あるそのものは 立つ位置を選ぶ 前後にいるものを意識する 横に並ぶことを踏躇する 小さな集団を作り     集団が組織を成す 色がある 音が聞こえる においがする 風と光と影が誘う 涙と笑い 優しさと暴力 広がるあらゆる美しい世界 絶えることの無い愚かな争い 経験し得なかった さまざまなことを 主役

          詩 『文』によせて (2010.4.26著)

          手づくり(2010.9.29著)

          少し前までは生活用品のすべてが手づくりの物であったので、あえてこれは手づくりだと言うこともなかったであろう。今やちょっとした物でも、手づくりと書き添えてあるだけで、より高級に思えるから不思議である。 洋服も若い頃はよく誂えていたものだ。ファッション雑誌を眺め、今度はどんな服にしようかなと流行りの襟や袖の形などを取り入れて決める。そういう楽しみもあった。お店で好きな生地を選んで買って、たいていは家の近くの洋裁をされる人に頼んで作ってもらっていた。出来上がるまで時間はかかるが、

          手づくり(2010.9.29著)

          詩 「今を生きて」(2011.8月著)

          人は生まれ 花のように 咲き 種を残し やがて朽ちて散って行く 人は 笑い 泣き叫び 考え続ける 人は喜び 怒り 悲しみ  戦い続ける 人は 食べて眠り 歌い 語り続ける 世界中の69億人の内の一人 今ある私は私だけ 遥か昔よりこの地球に生を受けて来た 限りない多くの人の中の一人 自分の知らないところで 数知れない競争に勝ち抜いて 生まれたという そして今 一秒一秒を 生きている この時代に この場所に この周りの人々との関わりの中で 今 生きていることの不思

          詩 「今を生きて」(2011.8月著)

          鯛のあら(2007.5.4著)

           日本人は元々語呂合わせが好きとみえて、特にお祝い事に関しては実に沢山のものがあるようだ。よくお正月に登場するのは、喜ぶの昆布・まめまめしくの豆・喧嘩はするめえのスルメ・難を転じるのナンテン・・・という具合に、今もって縁起をかついだそのような言い回しが伝えられ、行事に取り入られている。  そんな中でも最たるものはめでたいの鯛ではないだろうか。いにしえの時代より現在に至るまで、祝いの食べ物の主役としてのその地位をずっと引き継いで来たのも鯛であって、これはタイしたものだと言って

          鯛のあら(2007.5.4著)