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本日メンテナンス中に読んだ本

工藤校長と村中先生の対談の部分で出てきた言葉。
「苦痛神話」
そうそう!これこれ!と日本人にずっと残っている感覚。
「苦労は買ってでもしろ。」的な感じのことです。

昨日のnoteでちょうど困難さについて
書きましたが、困難さは成長の種になる。
けれど、苦痛が必ずしも成長になることはない。ということも
同時にお伝えしなければならなかったと
すこし振り返り反省した部分でもありました。

どこか、苦労した人が「偉い」というような
風潮や
成長には「痛みをともなう」という印象が
骨身にしみている感覚がある。
ただ、本当にそうなのか?という部分を
見ていかないといけない。

苦痛をあたえたから
人の行動は改善するか?そうではない。
その場のその瞬間がフリーズするけれど、
その先に成長がまっているかどうか?は
確かではない。

それ以上に
「困らせないとよくならない」という考えが
大きく間違っている。

そもそも、
あなたの考える「良い子」と
世間の考える「良い子」と
本人がイキイキと暮らしている「良い状態」とでは
大きな差がある。
それを苦痛で改善しようとすることは
本当にしんどいし、
真逆に報酬系刺激することも
良くないとも考えられている。

印象的な言葉
「賞罰は子どもの魂を奴隷にする。」

なにかでコントロールする。
そのコントロールの一つが
「苦痛」
その苦痛は何も生まない。

大切なことの中に
工藤校長の言葉が私はやっぱり好きで
「自己決定できる人を育てる」ということが
繰り返し言われている。

自分で決めて行動する。

そのために、大人がコントロールを手放し、子どもを見守っていく。ただ、命にかかわるような場合などは、やはりサポートや静止しなくてはいけないことも起きることも忘れずに。

叱る依存の本の実践的な対談の本。
繰り返し読み返していこうと思いました。

今日もお読みいただき
ありがとうございます。

やまがたてるえ

これからの学びに活かしていきます!ありがとうございます。