母とはこうあるべき!と思っていた私は“子ども”だったのかも。
私が母に、
母親ならこうあるべきでしょ
と思っていたのは、
実は私が自分の立場を“子”として母に接していたから
だと考えました。
♦母って子どもの望みを叶えるものでしょ?
なんで私の話を最後まで聞かないの?
あなたは私の母親でしょ?
子どもの話をちゃんと聞くべきじゃないの?
何を言おうとしてるのか分かりたくないの?
やろうとしてることに水を差すようなこと言わないでくれる?
やってることに口出ししないでくれる?
なんで“頑張ってるね”が言えないの?
“いいね”って言わないの?
なんでいつもネガティブな言い方なの?
ポジティブな言い方できないかなー
という具合に、
いつも母と話すたびに、このような感情を持っていました。
これって、私が完全に母の“子”の立場での感情、
このことに今さらながら気が付いたのでした。
母ならこうしてくれるはず!という心理は、
母は何でもできるすごい人
といまだに思っていたということかなと。
要するに
母を俯瞰して見れていなかったのですね。
一歩引いてみると分かることではありますが、
この、一歩引く までが
なかなか踏み出せないでいた私です。
人にはそれぞれタイミングというものがあるのでしょうね。
あぁ、この人(母)はこういう人なんだぁ
と、一人の人間として見れるとラクなんですけれど。
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♦私が子育ての方向性を変えてみて見えたもの
以前にも書きましたが、
子どもの不登校をきっかけに
私は親の在り方、特に母親の在り方を考えました。
そして心が変わったと思っています。
そうすると、余計に自分の母の言動行動が
ん?それおかしくない?
みたいに感じるところが多々あり
それって子ども(私)の気持ち考えて言ってる?
それは言わなくていいことでしょ?
。。。
母とはこうあるべきでしょ!
と、どうやら自分の母親論を
自分の母に押しつけていたようです。
押しつけたと同時に、感情は、
私は母の“子”となっていました。
母の子育てと私の子育ては違うんだ
と思えるようになった今、
俯瞰することの大切さをあらためて知るのでした。