母の器は、私が思っていたよりずっと小さかったのだ。。。
思っていたより母の器が小さかったと気付くまでは、
母の悪いところを一つ見つけると、
あれもこれもと、たくさん探し、
そのことばかり考えて
ネガティブな感情はどんどん大きくなっていました。
顔を見るのも辛く、
同居ではあるけれど、できるだけ避けて過ごす
ということをしてきました。
でももう限界、、、
何とかしないと私がつぶれてしまう、、、
嫌い嫌いと思っていると、
ますます嫌いになっていく自分が辛くてたまらなかったのです。
♦母の器を小さいと思うに至ったワケ
嫌いだ嫌いだと思うだけでは何にもならない
先に進まない進めない
と思った私は、
あえてこの問題と向き合うことに思い切って方向を変え、
本やウェブで検索するなどして、
(キーワードを“毒親“として)
他にも同じことで悩んでいる人がたくさんいることを知り、
少しホッとしました。
そしてその先・・・
母のイヤなところを思い当たるだけ書き出し吐き出して、
また少しホッとして
そのあと・・・
知ってる限り、母の生い立ちなどを、
今度は感情抜きで淡々と書き出してみました。
感情抜きで書き出せていることが、
俯瞰できている
ということだったのでしょう。
そうやって見てみたら
母の器、小さかったんだ。。。と、
少しずつ気付いてきたのでした。
もっと大きな器だと思って信じて疑わなかった母のこと
何でもできて、なんでも知ってるすごい人
ではなかったのです。
俯瞰する
客観的にみる
視野を広げる
って大事。
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♦反抗期は50代?
自分の反抗期を50代のあの時だったと考えています。
“クソババア”という言葉が初めて心の中に出てきましたから。
母には直接言ったことはありませんが。
この世に産まれ、何の疑いもなく、
母を人生の師としてきた私は、
母の器をとてつもなく大きいものだと思い込んでいたのですね。
しかし、自分も年齢を重ねてきて、
母と同じように、結婚や出産、子育てなどの経験をし、
またそれ以上の経験も重ね、勉強もして情報も得て、、
私もそれなりに成長したということでしょうか
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♦父がいなくなった後の母
3年前に父がこの世から去り、
舵を取っていた父がいないため
母は、どこを目指せばいいのやらわからなくなっている様子もうかがえて。
父の生前は、母が何事も決めていたように見えましたが、
実は決断を下していたのは父だったかもしれません。
父にはブレない優しさがありました。
父の器の中に母がいて、
父の器がなくなって、
母の小さい器が露になった。。。
ということなのでしょうか
小さくてもいいから、中身を、
中に何を入れるかが大事かと
大切なものの優先順位は何?
自分の器の中にも
何から入れるか考えてみようと思います。