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「アナと雪の女王」は自己統合の物語である。


これは2014/6/15に公開されたコラムです

※(以下ネタバレあります)

 「自己統合」にもいろんな人によるいろんな解釈があるが、私にとっての「自己統合」は、「人の中にはいくつかの人格があって、それが主人格と一つになる(統合する)と、生きやすくなる」というもの。


◆書類が苦手

 まず私の話をしたい。
 私には「書類が苦手」というクセがあった。
 役所の手続きとか、確定申告とか、書類を書いたり、窓口で職員と話して提出したりすることがものすごく苦痛で、やろうとするとドキドキハラハラし、汗が吹き出てマトモにできない。嫌すぎて見たくもないから書類なんか届いても放置するので、必要な時に書類がなくなってたり、それでさらに気持ちがパニック状態になってしまい、「こんなこともできない自分は生きるに値しない」という絶望に行き着いて、急速に死にたくなってくる。
 それが「書類」を処理する時のいつもの私だった。

 単純に苦手なだけだと長年思ってたけど、ある日、汗だくで「死んだほうがいい」と思いながら書類の記入を何時間もやっていて、これは病的な何かであると自覚せざるを得なくなった。
 子どもも生まれて、これから親としての書類の手続きがたくさんあるだろうし、20代の時はなんとなく適当に誤魔化したり親や夫に代わりにやってもらったりしてたけど、こんな状態で私、これからずっといられない。

 そんな書類に対する苦手意識が、自己統合(USPT)治療を受けてかなりよくなった。
 その治療の模様は、私の漫画「呪詛抜きダイエット」に描いたので、ぜひ読んでもらいたい。

 自己統合治療では、まず、私の中にいる「書類が苦手になる原因が起こった時の自分」を探した。
 私の中には、「高3の時、センター試験の申し込み書類の申請を忘れて、受けられないかもしれない恐怖を感じた人格」がいた。その時、「大事な書類を忘れるなんて、私はダメ人間だ」と痛烈に思ったけど、先生に「だらしない自分が悪い」「自業自得」と言われかなり冷たい態度をとられて、なかなか書類を渡してもらえなかった、というのがショックだった。

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 結局センターは受けられたし、30歳を過ぎた私は健康に暮らしている。
 だけど「高3の時の人格」は「大事な書類を忘れてしまった私は最悪なダメ人間」と身を縮めたまま、私の中にいる。
 「書類」に向き合う時になると、「高3の時の人格」がワッと表面に出てきて、役所の人に冷たく断られるんじゃないかとか思って、必要以上に書類に対して恐怖を感じてしまう、ということだった。
 自分でもそんな出来事忘れていたし、それが今の自分の悩みとつながっているなんて全く分からなかった。


◆自己統合

 ここから自己統合をしていく。
 今の私(主人格)が高3の時の人格(書類に恐怖する人格)に対し「もう大丈夫だから、あなたはセンターも受けられたし、いまも元気で生きているから、安心して私と一緒に生きていこう」と、一つになって(統合して)くれるように説得する。

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 了承してもらって統合すると、書類に対してむやみに恐怖を感じなくなった。恐怖を感じてもその理由が分かっているので「もう高3のあの時じゃないから大丈夫」と自分に唱えれば、汗だくになることもなく、普通に書類の手続きができるようになったのだった。


◆アレンデールの城を「一人の人間」と捉える

 「アナと雪の女王」を自己統合の物語と捉えると、以下のように当てはめることができる。
アナとエルサが住む城▶▶1人の人間
アレンデール王国▶▶その人間の生活
アナ▶▶「明るく幸せに生きていきたい」と願う主人格
エルサ▶▶「過去に起きた出来事の恐怖と、『表に出てはいけない』という呪いをかけられた」主人格から分裂した人格
エルサの手袋▶▶能力を封じ込めるアイテム
アナとエルサの両親▶▶親、自分を守ろうとする他者

 そもそもエルサの能力は悪いものではなかった。
 能力があることでアナと一緒に楽しく遊ぶことができていた時はむしろいいものだった。だけどたまたまその能力によって嫌なことが起きてしまい、エルサ自身が能力に恐れを持ってしまった。
  さらにトロールから「能力がバレると他者から攻撃される」と教えられ、ビビった両親も厳重に管理するようになる。

◆私のケースをアナ雪に例える

 私の書類を提出するのを忘れるような性質も、時と場合によっては、「のん気でおおらか」とか呼ばれるようなものであったはずだ。
 だけどその時はたまたま条件が重なって、「これからは気を付ける」に留まらずに「こんな性質を持っている自分はダメで、人にバレてはいけない」と思い込んでしまった。

 先生(トロール)からも「お前はだらしない(お前は危険、この能力がバレたら攻撃される)」とお墨付きをもらってますし、親(国王)からも毎日のように「お前のだらしないところ、他の人に知れたら恥ずかしいから隠さないとね(手袋をしなさい)」と言われてますし、「私にも書類を普通に出せたりするかもしれない(氷の能力、どうにかすれば自分でコントロールできるかも)」なんて発想するわけがない。どうにかこのダメ能力が外にバレないように、自分(アナ)にも隠さなきゃいけない。

 アナ(主人格)のほうは、なんで急にエルサ(自分)と一緒に遊べなく(書類が苦手に)なったのか分からないので、「なんでなんで~??」と無邪気にエルサの部屋のドアを叩くのです。
 
 アナ雪の最初の見せ場である「アレンデール王国の戴冠式」、「城の門が開く瞬間」はまさに、「成人して自立するにはこれからはすべての書類手続きを自分でやらなければならない」と思った時の書類が苦手な人である。
 これ以上もう誤魔化せない。

 城の門を開けてる(成人して社会人になっている)のに、国として機能してない(書類が提出できない)と、周りの国のやつら(役所の人)が「あの国おかしいんじゃないか(この人、大量の汗かいてるけど大丈夫か?)」と心配する。
 やべー、今日だけは門開けて戴冠式し(人前でまともに書類出さ)なきゃなんない。エルサ(書類恐怖人格)、どう隠すかピンチ。

 しかしアナ(主人格)はこの門の解放を機に人生を謳歌したいので、彼氏とか作っちゃう(生命保険の契約とかしてきちゃう)んですよね。
 「私、この人と結婚するから!(生命保険入るね!)」とかいきなり言われても、エルサ(書類恐怖人格)的には冗談じゃないですよ、生命保険とかゾッとするほどわけわかんないし、これからなるべく静かにバレないように生きてこうと思ってがんばってんのにふざけんなよ、私がどんな思いであんたに隠してきたと思ってるんだよって感じ。
 だけどアナはそんなの知らないから「ハンスの兄弟もここで暮らそう」とか言っちゃって(大量の保険のパンフ持ってこようとして)、「私はなんでもないように人と交流(書類処理)できる人間じゃない」って思い込んでるエルサはもうわけわかんなすぎてパニック、とうとうアナやみんなの前でブチ切れて能力(書類をバーッとまき散らして破く)を見せてしまう。

 やっちまったエルサは「ありのままの自分を好きになる」と言って完全に開き直って手袋を脱ぎ捨て、服装も変えて強気な雰囲気になるが、あれは「書類の手続きなんかしないで生きていく!」って言ってるのと同じ。
 エルサはラクになっても、それでは人としては社会で生きられないのです。
 だからその間、王国や城(生活と自分という人間)は凍ってしまったし、それで困ったハンスや他の国の人たち(役所や税務署)が押しかけてくるのは当然なのです。

 アナ(主人格)は、エルサ(書類恐怖人格)が閉じこもる氷の城に出向き、「二人で山を下りよう(自己統合しよう)」と説得します。
 エルサは「私に近づかないで ここでは自由に生きられるの。(私はもう書類とかない世界で生きていくんで、あんただけ好きに生きてください)」と答えますけど、アナは「アレンデールが氷に包まれて危機なの(あんたのおかげで今の私も安心して生活できないのよ、書類処理をしようとすると体震えちゃったりしてうまくできないのよ)」と告げます。
 せっかく自分の能力(書類が恐怖である性質)を認めることができて、そんな自分でもいいじゃない、って思ったのに、まさか、自分自身や周りの人(役所や税務署とか)にまで迷惑をかけているとは……。絶望です。

 自分は書類処理なんかできないって思い込んでるエルサは追いつめられて“怪物マシュマロウ”を誕生させる。体中から鋭利なつららが生えているマシュマロウは、逆ギレのやけっぱち。役所や税務署の人たちをなぎ倒し、その時受けた傷によってアナの心臓が凍ってしまう。
 あの、氷の城でのハンス達との戦いのシーンは、「自暴自棄な自傷行為」に当てはまります。


◆二人の男たち

 アナとエルサを主人格と分裂した一つの人格として観ると、アナが出会った二人の男も興味深い。
 エルサの能力のことなど知らない状態でアナが恋に落ちるのがハンス。
 自分の中にトラウマによる分裂人格がいることすら無自覚な状態で熱烈な恋に落ちる相手は、ハンスみたいな男がしっくりくる。
 ハンスは、アレンデールの国とか城とか、入れ物しか見てない。
 つまり「女のことを『女である』というところだけしか価値がないと思ってる男」と言い換えることができる。こういう男にとって、女の中にある人格は【幸せを夢見るアナも、トラウマに怯え心閉ざすエルサも】必要ない。

 私もハンス男と付き合っていたことがある。
 ハンス男は私の中の【アナ】には「応援するよ」と言いながらも「漫画家になりたいって言ってるけどぜんぜんなれないじゃん、才能ないんじゃない(笑)」とけなしたりダメ出しを毎日繰り返し、私の中の【エルサ】には「頭おかしいんじゃない」と、とにかく冷酷である。
 こちらのアナにもエルサにも興味がなさそうな割には、アレンデールにはものすごく執着してきて、愛してると言ったり、自分の学歴や収入のスペックがどれだけ高いかを確認させたり「こんな僕と一緒にいられて君は幸せだね、君の幸せは僕のおかげだね」と洗脳のようなフレーズを唱える行為を休みなく毎日行う。

 そして「仕事はしたいならしてもいいけど、ちゃんと家事とかやってくれないと結婚はできない」と、“家計は助けるけど家事もきちんとする嫁”だけを所望し、じわじわと「結婚と引き換えに人格を殺せ」という要求をしてくる、それがハンス男です。
 一般的にモラルハラスメントと呼ばれています。
 モラルハラスメントをする人にとって「主人格と分裂人格がバラバラの状態の人」は操作しやすいので、そういう人に無意識に近づくのがハンス男。
 映画の中のハンスも、ちゃんとした国じゃなくて、城が閉ざされて周りの諸国から怪しまれている不安定そうなアレンデールなら乗っ取るのが簡単だから近づいたわけですね。

 一方、エルサという分裂した人格と統合しようと奮闘している時にアナが出会った男、クリストフ。
 どこに出しても恥ずかしくない王子様であるハンスに比べ、クリストフは「友達はロバと石だけ」な、かなりヤバめな感じ。
 トロールたちはクリストフとアナを結婚させようとする。
  観客である私はトロールに対し「あんたらがエルサに過剰な呪いをかけたんだろうが」って思った。トロールはその時々によって言うことがいろいろ違って、当たっていたりはずれていたり、大事なことも言うけど基本的には適当な「世間(ちょっとした知人やインターネットや世論)」を当てはめることができる。
 そう考えるとオラフは「理解のある友人」があてはまる(映画でもそうだけど)。

 瀕死状態で回復のキスを求めるアナを「ちょうどよかった、お前そのまま死んじゃってよ(夢なんて持ってる女、家事とかちゃんとしないじゃん)」と切り捨てるハンス。
 他の国の人たち(上司とか同僚)に沈痛な面持ちで「アナが国の権利を私に託したまま死にました(彼女、俺と結婚するために夢をあきらめてくれたんですよ)」と報告。
 国王(自分に迷惑をかけずに家事も仕事もこなす妻を持つ男)になるにはエルサが邪魔(トラウマでグジグジされるのも嫌)なので、エルサも殺しちゃうことにしました。

 アレンデールの城(一人の人間)が生きるには、ハンス(モラハラ男)の言いなりになって、アナとエルサ(自分の性質や夢)を殺して、入れ物だけでハンスに生かされ続けるしかない、絶体絶命の状態。

 私はこの時、アナにキスをするのはクリストフだと思い込んでいました。
 アナとエルサの自己統合には、力強く寄り添ってくれる第3者の存在も重要だから、まずはクリストフとキスして、どうやってハッピーエンドになるのかな~って思ってました。

 だから、クリストフとキスしないでエルサを助けるために凍ってしまったアナにエルサが抱きつくことで解凍した展開にびっくり。

 まさに自己統合じゃないか!
 
 自分の能力を恐れなくていいんだ、「愛」でなんとかなるんだ、とエルサが気づいて、城に戻って、門を解放した状態で暮らすことができるようになったのは「一人の人間の自立」を表している。
 自分の“能力”にはいいところも悪いところもあって、ダメだと思い込むだけじゃなく、それがどんな性質か知って使いこなすと、いろんな人と知り合えるし、楽しい人生が待っている。
 さらに、統合すると自分の意志とかはっきりするので、自分自身のために能力を活かせるし、嫌なやつと貿易するのやめたりできるようにもなる。

 アナとエルサがバラバラに暮らしてると、ハンスとか他の国のオッサンにNOと言えなくてアレンデールを乗っ取られたり、良いように使われちゃったりするんですよね。

◆氷の城の時期は必要だった

 途中、開き直って氷の城で絶好調だったエルサが、アレンデールが凍ってると聞かされ、「なにもかも無駄だったの 無意味だったの」と嘆くシーンがあるけど、エルサが氷の城に閉じこもったことで問題が表面化したし、何よりも雪の中でティアラ(王族であるという世間体)やマント(寒くないのに寒いって本来の自分を隠しマトモな人のふりしてる)を脱いでいったのは、それまでトロールや両親、そしてエルサ自身がかけていた「いい子でいなきゃいけない」とか「自分を出しちゃいけない」「自分を好きになっちゃいけない」という呪詛、を抜く行為なので、アナとエルサが自己統合するためには、まずは氷の城の時期は絶対に必要だった。
 揉めた時にアナが、エルサの手袋を片方取ってしまったのもよかった。エルサにとっての手袋は親からの呪いそのものだから。

 もし、あの戴冠式の日、アナがあんなに「自由を謳歌するぜ!」って飛び回るような気持ちではなく、「どうせダメだ…引きこもりの姉さんいるし…あたしに恋なんかできるわけがない」と卑屈な気持ちだったら、エルサの「今日一日だけマトモなふりする」という決意に巻き取られ、何事もなく戴冠式が終わり、せっかくの自己統合のチャンスだったのにまた門を閉じた城での「どうしてあたしはこんななのかしら」という生活が始まっただろう。

 私は「自分はダメだ」と閉じこもる気持ち(エルサ)を破壊するくらい「幸せになりたい」という気持ちを全身で表現するアナが大好きだ。
 でも、観る時によっては、エルサを放っておいてやれよって思う時もあるかもしれない。そんな楽しい映画だった。あーまた観たい。

 エンドロールのあとに出てきたシーン、マシュマロウがティアラを頭にのせると、鋭利なつららがひっこんで優しい笑顔になる、というのも、意味深だった。世間体は尊重しすぎても自分が苦しいけど、生きていく上で無視しすぎることもできない。
 エルサがまた氷の城にやってきて、マシュマロウの背中からつららが生えて、国が危機になることも、これから先あったとしても、アナが迎えに来てくれるから大丈夫だ!

※自己統合(USPT)治療の他に、ゲシュタルトセラピーというセラピーでも、「自己内対話」という自己統合をする時がある。そのゲシュタルトセラピーについても「呪詛抜きダイエット」の書いてあります。自己統合の世界は面白いのでぜひ読んでいただきたい!

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