幽霊と性
「奴ら」は、きっと来る。
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前回、「ニホン語の美しさ」ってので、日々疑問に思ってたことを書いてみたんですが、いやぁ、物書きさんって凄ぇなって感じた。だって、読者と同じ文化圏まで言葉を降ろして、多くの人に共感してもらわなくちゃいけないんでしょ?それって凄い面倒だし、難しいよね。俺のなんて、全体的にNBA知らない人からしたら処理できないだろうし、元ネタ分かってないと、多分最後が急に内容がまとまってないみたいに感じると思う、What can I say?を和訳しただけだから。でもあんな駄文を何十人も読んでくれたみたいで、びっくり。俺も含めて、みんなコロナで退屈なんですね。
まぁあの文章で全体的に言いたかったことを雑にまとめると、開国時ばりに多様性が爆発してんだから、またそろそろ敏感に外来語を取り入れて和製漢語みたいに落とし込まないと、言葉の狭間で苦しむ人がもっと増えるんじゃない?って話です。その思考仮定で自然主義的コンテクストとコービーへの追悼を混ぜた。俺の考えすぎだったら、いいけど。
もちろん、多様化・国際化の著しいビジネス世界では氾濫してるけどさ(現時点では、むしろ揶揄の対象にまでなってるよね、でも徐々に使いづらいビジネスカタカナ用語は淘汰されていくでしょきっと)。でも、ミクロな生活用語レベルでは比較してもまだまだ新語は少ないと思う(「エモい」って言葉はそう考えると、結構特異なのかね)。
令和の福沢諭吉、出てこいや。
(西周でも可)
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いやぁ、終わりましたね、4月。
ぶっちゃけ、4月ありました?みなさん、
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」なんてよく言いますけど、「4月は死ぬ」ってのを追加してもいいのでは?
と、物騒なことを思いつくほどヒマで死にそうな大学生です。
話を戻します。
タイトル、浮いた話がない諦めから幽霊にフェチズムを見いだした訳ではないです。汚物を見るような視線をぶつけるのはやめてください。単純に長年の疑問を駄文にのせてるだけです。
別に呪い殺したい人はいないんですけど。幽霊とか怨霊とか貞子とか、まぁいっぱいいるよね。俺はそこらへんの区分がよく分かんないから、とりま「奴ら」ってしとくわ。
で、「奴ら」が写ってるモノって、全部顔とか手とか、当たり障りのない部位ばっかで、全然モザイクかけなきゃいけないところが出てない。「偶然ポロリしちゃった!♥️😍🔞🙅♂️」みたいなことがあってもおかしくないのに、「奴ら」と「性」は相反する。だから、そんなご都合主義なモンは存在するわけがない、アホな市民をアジって金稼ぎしようとするメディアの道具にすぎない、イタコの延長、ノストラダムスの仮構、みたいな論。
まあ、分からなくはないけど、、、
そもそも「死」と密接に関係してる「奴ら」が、わざわざ「生(性)」の象徴をエクトプラズム使って合成すんのか?っていう。
いらねぇじゃん。だって奴らは俺らを呪い殺したいんでしょ?そこにわざわざエネルギーかけて具現化するより、もっとさ、人を彼岸に引きずり込むための手とか、追いかけるための足とか、そっちの生成が重要じゃん。俺なら背中にあと998本の腕を生やして、中指を1000本たてます。千手中指菩薩🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕🖕
でも呪い殺すために、どうやってちんぽ使うんだよ。笑
ってか、逆にどうよ?
「原始人みたいなボロボロの服着て、片乳放り出してる貞子。」
「頭のてっぺんに毛がない上に、ちんぽ丸見えの落武者。」
クソ笑うわ。
シリアス台無しだわ。
もう2つ目に至ってはホントにただの不審者なんじゃないの?肉体が実存しちゃってるんじゃないの?って意味では逆の怖さがある。110番。
ってので、その論理はちょっと「奴ら側」から考えると、「非効率的だから」だと思うんですね。
だから「奴ら」は存在する。
なんて、消費社会の片棒を担いで金儲けするつもりなんざサラサラないですし、俺は奴らが見えたためしがないんで、信じてはいないんです(見える人を否定してる訳じゃないです、むしろ見れんなら俺も見てみたい)。
でも、そんな自分だからずっと気になってた疑問があって、
視力の低い人間の目の前に
「奴ら」が出たらどうなんの?
俺、視力が0.1くらいで、まぁ作業する時は眼鏡かけたりコンタクトしたりするんですけど、今でも日常ではあんまかけないんですよ、ダルいから。メガネとかコンタクトとかつけないでも物体は認識できるからぶつかったりしないし、買い物もある程度品定めする仮定でちょっと顔を近づければ値段見えるし。むしろ他人の目とか気にしないでぼーっと前だけ見てればいいから、案外楽だったりする(こういう時に知り合いとかを無視しちゃって、後で言われることがよくあるけど、それはごめんなさい)。
でも、それじゃあ遠くに隠れてる「奴ら」は見えない。
特に中高の頃とかはまだ0.6くらいで堪えてたから、授業だけ眼鏡かけて、日常生活は外すっていうメガネライフサイクルだった。で、思春期だからそういう話とかも興味ある訳じゃないですか。夜の校舎とか街灯のない街とかに友人が騒いでも、そもそも多少ボヤけてるから分かんない。ってので、怖い原体験が植えつきやすい思春期の自分には、視覚的な心霊体験がなかった。
だから今でも残ってる、この疑問。
誰か答えを持ってたら、募集します。
このもどかしい疑問を、成仏させておくれ。
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【まとめ】
そしたら、もしも今後「奴ら」が俺の目の前に表れたのに、メガネかけてなくて気づけなくて、自分からホイホイ近づいちゃって…ってな話になったら、まあそれこそ終わりですよね。
おい「奴ら」。
狙うなら俺だぞ。
…と思いつつも、うだつのあがらねぇ、見てくれもよくねぇ俺みてぇな人間なんかを襲うなら、もっと美人とかイケメンとか芸能人みてぇな生のエネルギーいっぱい持ってる人間を襲った方が合理的だから、襲われる価値もないか…とも思う。自意識過剰ですね。情報社会の悪い癖。反省します。
でも一方で、そんな怨霊なんかを喜ばせることで、「奴ら」が持つ強すぎる負の力を生のエネルギーに変えて豊穣を祈る、なんて発想が日本三大祭に発展したわけで。
とすると、見える人はうまくやれば「奴ら」を背後に従えるってことか…
…いや、それスタンドやないかい。
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