タイの人種差別。タイ系タイ人とタイ華人の関係。
タイ華人の友人が、タイ人は不真面目だとかミャンマー人は犯罪者だとか、レイシストな発言をさらっとして驚いた。今回は私も無自覚に人を差別しているのではないかと反省した人種差別の話。
それはそれはだいぶ前の話だが、私が初めて中国に語学留学をした時のことだった。その語学学校では学生寮が二人部屋のため、タイ人の修士課程の学生と同じ部屋になった。訪中当時、中国語がほとんどできなかった私に、中国語教育専攻の彼女は辛抱強くコミュニケーションをしてくれた。
彼女はタイの中でも貧しいと言われる東北地方出身のタイ系タイ人だ。浅黒い肌と目鼻立ちのはっきりとした美しい人だった。さらにユーモラスで気配りもできる私史上最高のルームメイトだった。当時他のタイ人の学生は彼女を除き、全て華人であり、タイ系タイ人の学生は彼女一人だけであった。
さて当初は全く中国語ができなかった私ではあるが、優秀な先生方とルームメイトの指導のおかげで、1学期を終えるころにはクラスの最下位から5階級飛び級を勧められるほど実力が伸びた。(これは自慢だが、クラスで一番の飛び級だった。)ある程度、語学ができるようになると、他の国の友人とそれなりに深い話ができるようになるものである。そのうち放課後は自然とタイ人の友人たちと一緒に過ごすことが多くなった。しかし、私のルームメイトはこのタイ人グループとほとんどつるむことはなかった。そして、このグループその中での一人が私にとっても複雑で理解しがたい人種観念を持つタイ華人の友人であった。彼の家族は祖父母の時代に中国からタイに移民してきた。バンコクに実家があり、タイで一番の大学を卒業した優秀な人であった。しかし、彼の人種観念は私が持つ常識から逸脱していたのである。
彼は、常に恵まれない人を助けたいという慈善心を持つ人であった。貧しい人がいれば、募金活動に参加し、より多くの収入を得るようになれば、さらに支援したいと言うのだ。私は彼の発言を聞いて、なんて慈悲深い人なのだろうと思った。しかし、不思議なのだ。その当時、中国では子供から大人、身体障碍者まで様々なタイプの乞食が街中にいた。ある日、彼が子供の乞食に物乞いをされると、その乞食を嘲笑しはじめたのだ。私はその行動に唖然とした。それまで、恵まれない人を助けたいと言っていた人が、まさに恵まれない人を目の前にして、正反対の行動をしているのだ。私はその行動について問うと、彼は「彼らは詐欺師だからまともに相手をしてはいけない」と言っていた。
なるほど、彼の言い分もわからなくはない。しかし、物乞いしてる時点で、詐欺かどうかをどうやって見分けるのだろうか。詐欺の定義とは?私にはその判断基準がよくわからなかった。
ある日、彼は聞き捨てならない発言をした。というのも今まで彼はタイ系タイ人の友人は一人もいたことがないと言ったのだ。なぜなら、彼らは怠け者で勉強もできないし、粗暴だという。また、自分が通っていた大学は、入学するための所得制限があり、華人に比べて所得が低いタイ系タイ人の学生の多くは入学することができないのだと言う。(華人からの発言のため真偽不明)その結果、彼らの多くは低学歴であり、肉体労働やトゥクトゥクのドライバーなど低賃金の職業に就くしかないのだと言う。そして、私のルームメイトはタイ系タイでさらに田舎出身人だから、都会生れ華人の自分たちとは違う存在だとさも当たり前のように言った。確かに、私のルームメイトの父親はトゥクトゥクのドライバーとしてバンコクで出稼ぎをしていた。しかし、ある日、彼は無関係な暴力事件に巻き込まれ、大怪我を負いそれ以降、ドライバーの仕事ができなくなってしまった。この時、私のルームメイトは泣き崩れながらも、私にその経緯を話してくれたが、彼女は一言も犯人への恨みなどの発言はなかった。むしろ、都市に出稼ぎに行くタイ系タイ人はこういった不当な暴力事件に巻き込まれる可能性とともに生きていることを教えてくれた。
私からしてみれば、何民族だからどうとか、どんな職業についているとかは関係ないのだが、彼女の父親の事件の経緯を知らないとしても、彼が声高に主張する自説に私は不快感を覚えた。むしろ、タイ系タイ人のルームメイトの方がずっと現実を冷静に受け止め、悲しみを恨みに変えるのではなく、今後どうするべきかを考える理性的な人だと感じた。
しかし、私はこの状況を目の当たりにした時、果たして自分は本当に人種差別的な思考がないのかを考えた。そして気づいたのだ。某国人はどうだとか、国内でもどこどこ地方の人はどうだとか、悪気もなく言っていることがある。まさに私も嫌悪した彼と同じような偏見を持つ人間なのだ。
私はそんな自分に絶望した。ただ、この絶望に値する思考は長い時間をかけて植え付けられたものであり、一瞬で変えることは難しいだろう(もしかしたら、変える必要がないこともあるかもしれない)。ただ私は、かつてのルームメイトが現実を冷静に受け止める態度を目の当たりにし、自分が偏った認識を持った時に、すぐになぜそのように感じたのか反省する習慣を手に入れた。
私は、今こう思ったけど、どうしてだろうか?その根源にどんな偏見があるのだろうか?といった具合だ。
タイという同じ国に生まれ育ちながらも、互いに違う常識を持つ彼らに出会えたことは、私の思考を更新する大変良い機会であった。
補足しておくが、今回の文章ではタイ華人の友人を批判しているように感じられるかもしれないが、彼にも良い面がたくさんあることは事実だ。彼は非常に親切で、他人を助けることに熱心なところもある。私は今でもタイ華人の彼とも、タイ系タイ人のルームメイトとも良い関係を続けている。彼らとの出会いは、私にとってかけがえのない経験となった。
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