浮浪雲2019

音楽と写真大好き人間です。MizBeck GroupというJeff Beckのカバーバンドほか、バンド活動中。還暦を迎えたの年に、自分の越し方を振り返りながら、写真や音楽のこと、ゆるゆると綴ります。どうぞよろしくお願いします。

浮浪雲2019

音楽と写真大好き人間です。MizBeck GroupというJeff Beckのカバーバンドほか、バンド活動中。還暦を迎えたの年に、自分の越し方を振り返りながら、写真や音楽のこと、ゆるゆると綴ります。どうぞよろしくお願いします。

最近の記事

ひとり〜〜

以前のエントリー書いたが、自分は幼い頃、私は母がコミュニケーション能力に障害があるのではと疑うほど人と接するのが苦手だった。友達と遊ぶより日曜日はひとり部屋にこもって遊んだり、壁にボール投げをしている方が多かったと記憶している。しかし、小学校の転校をきっかけに友達も増え、大勢で遊ぶことが多くなった。仕事をするようになってからは、営業や編集という職種上、初対面の人とやりとりする必要が多くなり、上手にコミュニケーションできているかはわからないが、子供の頃の話をすると「信じがたい」

    • バース・イヤー・ギター

      若い頃はただギターを弾きたいという気持ちと、デザインの良いギターに魅了されていただけで、ビンテージ(骨董的な価値のある)・ギターとか、希少なギターに興味を持つことはなかった。あれからうんじゅうねん経った今、YouTubeでは高額なビンテージ・ギターを話題にしたコンテンツが散見される。中には車や家が買えるような価格のものも存在するので、自分の持っている古めのギターが高く売れたらいいなぁとは考えるけど、それが欲しいという気はほとんどない。ただ、そんなギター紹介動画を見るのは好きで

      • 責任感ってなんだろう

        小学校2年生から男子校に転校したが、一学期の通信簿で「責任感」の評価が低かった。そのことを気にした母に、夏休みの家族旅行先でまで、2学期は「責任感」の評価を改善しなさいと口うるさく何度も言われた。転校先の学校では、学年ごとに級長1名、副級長2名を人気投票で選出する制度があったが、残念ながら、卒業するまで級長・副級長に選ばれることはなかった。責任感の評価とは関係ないけど、社交的の真逆の人間だったし人望もないから選ばれるわけもなかった。ただ、小学5年生の時に学内の見回りなどをする

        • 異性とのコミュニケーション

          小さい頃、人と話すのが苦手で、おもちゃも使わず、両手を電車にみたてて、壁に向かって何時間もひとり遊びをしていた私のことを、母はコミュニケーション能力に障害があるのではないかと心配していた。その光景を見た知り合いに「手がかからなくていいですね」と言われた時は、まんざらでもなかったようだが、無口でコミュニケーションが苦手なのに加え、私が「か」や「こ」が上手に発音できなかったこともコミュニケーション能力の問題が関係しているのではと思っていたそうだ。小学校2年で転校した時の面談では、

          先輩の卒業と担当引継ぎ

          広告部で2つ上のT先輩(新卒採用)が会社を卒業することになり、彼が担当していたミュージック・スクールの担当営業を引き継いだ。プロドラマーを目指す先輩は、かつてKANのバンドメイトだったそうで、「あいつの留守電メッセージはすごく長くて面白いから聞かせてやるよ」と、部署電話をオンフックにしてスピーカーで聞かせてくれたりした(確かに長かったw)。同僚がローランドのコンテストに応募する曲をレコーディングすることになり、池尻大橋か三軒茶屋だったか、スタジオまで先輩が運転する車に乗せても

          先輩の卒業と担当引継ぎ

          涙のメカニズム

          小さい頃、注射とか外傷とか、歯医者の治療とかでは泣かない子供だった。予防接種に私を連れて行った祖母は、「他の子供たちはぎゃあぎゃあ泣いているのにこの子はまったく泣かなかった。強い子だね」と褒めてくれた。そんな話を覚えているくらい、記憶があるくらいの幼い時から、我を外に出さず、外界を静かに観察している子供だった。 4〜5歳くらいのころだろうか、親に連れられて近所を歩いていると、同じくらい歳の幼児が転んだ。その幼児の親は私たち親子を追い抜いて駅に向かって歩いていた。ぐずぐず歩く

          涙のメカニズム

          エフェクター沼

          エレキギターやベースなどの音に効果を加える機器、エフェクター。弦楽生活が始まった中学生の頃、新聞部の部室でそれに出会った。友達が持ってきたMAXONのコンプレッサー(紹介しているブログを発見! LED・アダプター端子無しのモデルだった)やGuyatoneのフランジャー(当時ノイジーで使いづらいと思っていたが、久しぶりに使ってみたら意外によいと見直した。↓動画あり)など、機械好きの私にはとても魅力的だった。数日それを貸してもらい、同じく借りているレスポールに繋いで効果を確認、マ

          エフェクター沼

          初めての編集体験

          音楽雑誌編集を夢見て入社したものの、職種も違う、業界も違う仕事から社会人生活をスタートさせて2年が過ぎた。なかなか仕事に対するモチベーションが上がらない私に、ある日、上司がカンフル剤となる業務を与えてくれる。それはSteinbegerのタイアップ企画で、ひとつは販売店用に製品を紹介したビデオをローカライズすること、もうひとつは「ギター・マガジン」に同ギターを弾いているギタリスト、アラン・ホールズワースと渡辺香津美の対談記事を編集制作し、アランのライブ・レポートを掲載するすると

          初めての編集体験

          映画音楽

          映画好きの父は、よく私を映画館に連れて行ってくれた。初めて行ったのは、隣駅の映画館で、上映されていたのはゴジラだった。途中入場したのですでに満員立ち見状態、小さい私はスクリーンが見えないので、父が抱っこして見せてくれた。小さいとはいえ、上映中にずっと子供を抱えているのはさぞや大変だったろう。以来、「イルカの日」「十戒」「ポセイドンアドベンチャー」「ドリトル先生不思議な旅」、数え切れないほどの映画を見せてもらった。「十戒」は映画が長いので、途中で休憩時間が入って驚いた。当時はテ

          Bonjour Macintosh

          私の世代、マッキントッシュと言えばキットカット!! と思わず言いたくなるのだが、今となればチョコレートではなく言わずと知れたパーソナル・コンピューターを思い浮かべる人も多いことだろう。マッキントッシュ(Mac)を初めて触ったのは、取材先で見たMacintosh Classicだった。これまでPC-9801にMS-DOSを使っていた私は、マウスで操作するMacに魅了される。ファイル削除はゴミ箱へアイコンをドラッグ&ドロップ、トースターが飛んでくるスクリーンセーバー、今では当たり

          Bonjour Macintosh

          社会人2年目のライブ

          広告部に配属されて2年目、仕事にもようやく慣れてきた頃、上司が高校時代に一緒にバンドをやっていたKスケさんと知り合い、3人でバンドやろうぜという話になった。Queenのカバー中心ということで、ボーカル、ドラム、ギターは揃ったわけだが、残るベースがみつからない。大学時代にサークルで一緒にバンドをやっていたベーシストのSさんのことを思い出し、誘ったところ快諾してくれた。かくしてQueendom Comeが結成される。 当時ベーシストのSさんは大学4年生で就職活動中だった。朝、ス

          社会人2年目のライブ

          体育会系と文化系

          小さい時から、別段足が速くなかったので、小学校のリレーチームに選抜されることもなく、運動会を見に行ってもちっとも楽しくないと母はよく嘆いていた(タイトル写真はそんな母を喜ばせようと、運動会で応援団に立候補して選ばれた時の運動会風景だが、まったく褒めてもらえなかった。立っている3人の一番手前が私)。毎学期サッカー大会があるほど、蹴球に熱心な学校だったが、当然そこで活躍することもなく(苦笑)。ただ、巨人ファンの父がナイター中継を見るのを幼い頃から見ていたので、野球好きになり、休み

          体育会系と文化系

          制服

          私は2年生から制服がある小学校に転校して、高校を卒業するまで、ずっと指定の制服で通学していた。制服を着ていると、どこの学校の生徒かわかる(ばれる)し、登下校に買い食いしたりゲームセンターに寄り道とかもしにくい。そして、普通、詰襟は5つボタンだが、私の通った学校の制服は中学から7つボタンだった、こちらは気にしていないが、他校の生徒から生意気だと嫌われたりもしたようだ。同校の制服が7つボタンになったのには、実は歴史的な背景があることを、在学中に先生からうかがった。フランス人が創設

          仕事とワープロ、そしてPC

          「社会人生活はじめる」でほろ苦社会人デビューについて書いたが、駆け出し社会人だった当時、写真を撮ることはあまりなかった。写真を撮るのが嫌いになったわけではないのだけれど、心に余裕がなかったせいかもしれない。その代わりといってはなんだが、仕事でワープロやPCを頻繁に使うようになった。広告部には富士通OASISというワープロがあり、上司に命じられて、気がつくと毎週企画書を作っていた。OASISは親指シフトという富士通独自のキー配列だったが、自分はローマ字入力を覚えて使った。やがて

          仕事とワープロ、そしてPC

          創作のはじまり

          私が曲作りに興味を持ったのは大学生の頃(小学校2年生の時に「パンダ」の歌を作ったけどw)だった。サークルの春合宿、後輩から今学期、バンドでオリジナルをやりたいので手伝って欲しいと相談を受けたことがきっかけである。別にプロミュージシャンになる夢とか野望などなかったが、なんとなく面白そうだったので引き受けることにした。春休みに2曲分の詞をもらい、デモテープを作るために、コルグ「DDM-110」とティアックの4chカセットMTR「TASCAM PORTA ONE」を入手した。思い返

          創作のはじまり

          社会人生活はじまる

          無事大学を卒業し、社会人一年目、音楽出版社に就職した私は広告営業の部署に配属された。いつかは音楽雑誌の編集をしたい、そんな夢を持って社会人生活をスタートしたが、行手にはたくさんの試練が待ってた。配属され、まず任されたのは、新規事業としてスタートしたビデオ雑誌とムックの広告営業だ。今から思えば、ビデオデッキやカメラが普及しはじめ、ビデオレンタル店が各地にできつつある時代、そこにビジネスチャンスを見出し取り組むのは企業として当たり前の話で、その一端を任されたのだからありがたい話だ

          社会人生活はじまる