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続•冗談じゃない旅 太鼓と祭り
2024年10月のことでございます
お祭りのこと 太鼓のこと
今回は
祭りのこと
太鼓のことを
あれやこれやと
書いていきますよ
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四日市諏訪太鼓
10/6 日曜 昼
トナリエのスガキヤで食事を済ませ
今日の集合場所 太鼓の保管場所へ向かう
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太鼓とは和太鼓
四日市の諏訪太鼓のことである
私は四日市諏訪太鼓の
チームの1つに所属している
団体と呼ぶべきか
チームと呼ぶべきか
はたまた、グループと呼ぶべきか
まあ、なんでもいい
太鼓を打ち鳴らす人たちである
※便宜上「チーム」とさせてもらいますね
四日市には「諏訪太鼓」のチームが
大人子ども合わせて、たくさん存在している
中には企業内もあったりもするから
太鼓人口はのべ1000人以上と
意外と多い
今、私の在籍しているチームは
『楽鼓隊(らっこたい)』という名前だ
一度見たら忘れない 割とファニーな名称だが
これでいて意外と歴史あるチームだったりする
変遷
四日市の「諏訪太鼓」の始まりについては
信州 長野は岡谷市の「御諏訪太鼓」から
伝わったものとされている
その「御諏訪太鼓」も近代、復興されたものだ
1948年
伝統芸能「御諏訪太鼓」の譜面が
信州のとある味噌蔵で発見された
発見した宗家小口大八氏は譜面を解読・復元し
明治時代から途絶えていた伝統芸能を再興する
「御諏訪太鼓」の復活である
1950年には奏法「複式複打法」を確立させ
以来、小口大八氏はその生涯を通して
「御諏訪太鼓」の振興に身を捧げた
1960年頃
四日市の商工者が宗家の演奏を観覧する
小口大八氏の勇姿に感激した商店街有志たちは
宗家から太鼓の手ほどきを受ける
これが「四日市諏訪太鼓」の
原点の1つとされている
『楽鼓隊』というチームは
その「商店街有志」の流れを汲んでいる
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彩光
市内にはいくつもの太鼓のチームが生まれたが
その組織ごとに「色合い」が違う
曲やパフォーマンスに「違い」は現れる
私はこの「違い」こそ良いことだと思っている
地域には、子ども会を指導する
大人のチームがいくつかある
大人たちのチームは
子どもたちが成長した時
その受け皿となり
自分たちが幼少期から馴染んだ
「諏訪太鼓」を継承する
顕著に表れる「違い」とは
それぞれの地区やチームでの
奏法の微妙な違い、指導の方針の違いなどから
派生するものである
伝統を重んじて型を美しく魅せるチームもある
派手な演出を得意とするチームもある
多様性という言葉でくくるのは好きではないが
選択肢が多いことは
柔軟に存続するため必要だし
「違い」が生まれるのは自然なことだ
他者との「違い」を認めることは
自分たちの「違い」も認めてもらうこと
そうしてお互いを尊重することで
続いてきたようにも感じる
なんにせよ
宗家小口大八氏が灯した太鼓の火は
絶えることなく四日市に根付き
継承・振興され続けている
各々が鮮やかな色で輝きを放って
太鼓の火が雄々しく連なっていくのは
大変喜ばしく 良いことだなぁと思う
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邂逅
私個人の、太鼓との出会いは
学生になりたて 大学1年の夏の終わりの頃
もう20年以上前の話だ
街の大人の太鼓チームが
学内で練習、もとい
学生たちへ曲を指導していた
指導される側は、学祭の実行委員とかだった
当時は「とある活動」の拠点としていた、
体育館の小さな資料準備室に入り浸っていた
体育館に近づいている時から
ばかデカい音が漏れてきていた
体育館の館内には大ホール、小ホール、道場
トレーニングルームなどが併設されている
音が響いていたのは小ホールからだった
体育館特有の“足元の小窓”から中を覗くと
中年の男女が、数名の学生に
汗だくで太鼓の演指導をしている
私は、全くの部外者であった
学生としては
非常に怠惰な人間だったので
時間を気にすることもなく見入っていた
何日か覗き行為を続けていると
流石に中の人たちも
おかしなヤツがいることに気が付く
「どうせ見るんやったら、入ってきて見ぃ」
そう言ってくれたのは
中年で高身長細身の
笑皺が深く刻まれた男性である
彼に言われるまま
借り物の猫のように
そろそろと入室する
本来楽曲を覚えるべき人たちの演奏を
邪魔しないように眺める
学祭で披露するために覚えているらしい
彼らは、その「学祭」のみしか
「太鼓」と触れあわないのだろうか
なんと勿体ない…
耳と肌に感じるリズムと流れを
つぶさに観察していく
「やるなら、長ごぅやってみぃひん?」
「(興味があるなら長くやってみないか?)」
私を招き入れた男は
大人のチームの練習の予定を伝えてきた
継続して練習にきてはどうかとのこと
なんと勧誘されてしまう
後から聞いた話だが
「練習見てる目が尋常じゃくて怖かった」
らしい。そんなにひどかったの?
ただその時は
自分から「お願いします」と伝える前に
道ができていくようで不思議な感覚だった
それが 始まり
その後、4年ほど
そのチームで活動したのだが
就活で少しだけ離れている時期に
チームは解散してしまう
フリーになっていたところを
現在の「楽鼓隊」に拾ってもらう
社会人として過ごしつつ
活動を続けていたが
気持ちが沈む時期があって
一時期、隊を離れたりもした
だが
呼び戻してくれた隊員のおかげで
現在も細々と続けさせてもらっている
ありがたいことだ
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慰問先は保育園や介護施設など様々
準備と移動
太鼓の保管場所のお店は
「ドレミファといろは」からは程近いのだが
演奏場所の商店街からは反対方向にある
呉服屋の2階に着く
既に法被を着た隊員が何人か集合していた
今日は一日通して3ステージの予定だが
演奏までにはやることがある
1つは
保管場所の2階から1階へ太鼓を搬出し
バンに積み込むこと
もう1つは
ステージのある商店街まで
太鼓や台車を運ばねばならない
もちろん自分たちの移動も必要だ
皆で協力して太鼓を降ろす
太鼓は皮や木部が傷つかないように
丁寧に扱わないといけない
1階に降ろされた太鼓はバンに積み込まれる
10分ほどで搬出と積み込みは終わる
力を合わせれば 早いものである
ここからは
車両で先行して商店街に太鼓を運ぶ班と
台車を押し歩いて商店街へ向かう班に分かれる
人の移動については
遠方への演奏の時は皆で相乗りして車を使うが商店街の場合、駐車場問題もあるし
なにより行けない距離ではない
それに、街中での演奏では
太鼓運搬の台車がいる
演奏場所は1か所ではないから
太鼓もろとも移動も必要になるのだ
太鼓を積む台車は
バンには載らないサイズ
よって皆で歩いて行く
太鼓を積む台車を押しながら
演奏の時間に余裕をもって出発する
駅前を通り
商店街のアーケードへ
太鼓は先に到着していて
木製の足の上に降ろされている
太鼓を台車に乗せ換え
演奏する場所近くまで移動する
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ガラゴロと台車と移動する
(写真は夏の祭り)
訪太鼓は大小さまざまな太鼓を使う
音を合わせるパートもあるが
揃いで打ち鳴らすよりも
各々が打つパターンを分けて
その重奏を楽しむ曲風が主である
オーケストラ形式のとも、また
「複式複打法」ともいわれる奏法だ
楽曲は幾つかあるが
8拍調子で刻む曲がほとんどである
調子を覚えれば 曲の流れはつかみやすい
演奏で使用する楽器の種類は…
宮太鼓
リズム太鼓
桶胴太鼓
鉄管
摺り鉦
チャッパ
ひょうたん
拍子木
銅鑼
法螺貝
篠笛
想像していたより
多いかな?
少ないかな?
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四日市祭
「よっかいちまつり」と言っても
その「夏」と「秋」とでは
根本の部分に大きな違いがある
祭りに関わりのない人には その本質が
あまり知られていないかもしれない
「夏の大四日市まつり」は
1964年から始まった市民祭である
毎年8月の第一土日で開催され
1日目「おどりの日」と
2日目「郷土の文化財と伝統芸能」とで
各日テーマが分けられている
2日目の祭りのトリは
市内の諏訪太鼓衆の演舞共演を披露する
「合同演奏」が行われる
メイン会場は市役所の東に位置する
「三滝通り」である
四日市市には中心街に
諏訪神社が鎮座している
秋の「四日市祭」は
その諏訪神社の例祭にあたる
10月の第一日曜に開催され
神社への奉納行事などが行われる
祭り会場のメインは
商店街や諏訪神社が会場となる
それぞれの祭りを区別するため
近年は
「大四日市まつり」と
「四日市祭」とで
明確に分けて表記されている
細やかな話であるが
祭りと立ち会う身としては
そのあたりはしっかり認識している
邌物
四日市には「からくり山車」が
数多く存在している
「邌物(ねりもの)」と呼ばれるそれらは
大戦の戦火で、多くが焼失したものの
祭りの曳山として各地区などで
現在も大切に保管・管理されている
秋の例祭では市内各所の邌物が
諏訪神社に集結して奉納を執り行う
夏も、秋の例祭にならって
たくさんの人を楽しませるため
2日目のメイン会場にて演舞を披露している
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ご当地キャラ「こにゅうどうくん」の父である
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腕も動く 指も間接あるから あわせて超動く
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邌物の中に
「甕破り(かめわり)」という山車がある
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子どもの頃の逸話がモチーフになっている
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アーケード内を移動する時は
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「甕破り」は四日市商店連合会の曳山であるが
こちらの代表は「楽鼓隊」の代表もしている
近年は一緒に商店街を練り歩いては
「甕破り」の演舞の、前や後に
太鼓を演奏させていただくことが多い
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この他にもまだまだ
紹介できていない邌物があり奥深い
アーケード内
商店街の中心部、アーケード内で
演奏できる太鼓チームは少ない
というのも、他の地区やチームの太鼓は
祭りの際、トラックに太鼓を乗せ
市内を練り回ることが主であるためだ
近年は交通規制強化のため、演奏しながら
トラックでの移動はできなくなっている
かつて参加した身としては
時代の流れもあるのだが
やはり寂しく感じてしまう
威勢の良い声が聞こえてきた
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「御諏訪神輿」も、90年代に振興されて以来
数多の町衆によって支えられている
着実に歴史を刻む彼らの中にも
太鼓を打ち鳴らす仲間もいる
一人一人に支えられているなぁと実感する
長年、「楽鼓隊」がアーケードの下で
太鼓を打ち鳴らせてこられたのは
「商店街から生まれた太鼓」というご縁や
アーケード内で打ち鳴らすことを
許してくださる市民の寛容な心あってのこと
そして、それらの連なりを
守ってきた先人たちのおかげとも思う
祭りには「神酒所」と呼ばれる
運営の陣がアーケード中心に組まれている
こちらには今はもう引退された
「楽鼓隊」創設期のメンバーも
元気に顔を出している
ご縁とは不思議なもので、その中の御仁とは
社会人出たての頃、最初の就職先で
大変お世話になっていた人だったりする
まぁ、これは また別の話だ
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緑地の奥に諏訪神社が鎮座する
奉納
太鼓の演舞は
3か所、場所を変えつつ
時間通りに行われた
最後の演奏は諏訪神社境内にて
無事奉納演舞を行う
獅子舞や鯨船、甕破り山車、大入道などが
順繰りに境内へ入り 演舞していく
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こちらにも太鼓の仲間がいる
境内にたくさん人が集う
活気に満ちている
それぞれの場所で それぞれが
出来る限りのことをしていく
これは限りなく幸運で
とても幸福なことなのかもしれない
「楽鼓隊」の隊員の共通認識に
『太鼓を楽しく叩きたい』
というのがある
人に親しみ 音に親しむ
祭りに 街に 溶け合うように
そうあれたならと いつも願っている
天気に恵まれて 本当に良かった
前日に献血したため貧血を心配したが
問題なく打ちならせた
無駄な力が全然入らなくて
洗練された打法じゃあないかと
いいように解釈していたのだが
仲間からこう指摘される
「リズム、ズレとったで」
ですよね
壊滅的ではないものの
リズムが早くなる傾向ある
私の悪い癖 なおさないとなぁ…
もっともっと 鍛錬が必要である
祭りの後 次なる目標
商店街へ来た時と同じように
太鼓をバンに積み込み
台車を押して歩いて店へ戻る
みんなで元あったように
太鼓を2階に搬入、片づけて
無事に祭りの全工程は終了する
今回もよい祭となった
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明日から月曜かぁ…
映画『冗談じゃないよ』の舞台挨拶
また見に行きたいなぁ…
映画は18時35分から
仕事は18時まで
シネマスコーレは
会社から3kmほどある
うーん、どうかなァ…
急げば間に合うのかなァ…
今回はここまで
やあ みなさん
ご機嫌麗しゅう
前回の予告で「映画の話」と書いてましたが
ギリギリいけませんでしたね
いつか太鼓とか四日市祭の話が
いっぱいしたかったので
できて良かったです
さて、これを書いている 今、現在
2024年12月6日金曜の夕方なんですが
本当は明日、旅に出る予定だったんですね
ちょっと予定が変わりまして
この後すぐ、出発します
というかもう、出発しています
昨晩、かみさんにこのことを伝えると
妻「別にどうでもいいけど夕飯必要ないね」
と返されました
話が早くて助かる よき理解者です
お土産買って帰ります
守「なにこれ、涙?」
私「泣いてねぇよ」
ヨシ、生きて帰ろう
じゃ また 来週
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