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別府湯巡り紀行 肆


この物語は

2022年11月5日、6日に

別府ビーコンプラザ

フィルハーモニアホールにて行われた

即興演劇集団「ロクディムにわか」公演

劇場観覧に乗じて

にわか湯巡りをしまくった

ある男の記録である。


目次


序章 なにも知らないのはいつものこと

第1章 別府の洗礼

第2章 長い道のり

第3章 別府市民憲章

第4章 猫の目

第5章 爽やかな海に




第4章


猫の目
~ガラス玉の愛鬱~


1日目 11:40~11:45


一息つく。

南的ケ浜温泉の玄関前、長椅子に座る。

ちょっとお行儀が悪いと思ったが
朝コンビニで買った小さなおにぎりを食べる。
九州醤油仕立、とりめしのおにぎり。

「ナーン」


どこからともなく声がする。
ノラ猫さんだろうか。

愛らしい。それ故、思うところがある


おもむろに
シャム系の猫が現れた。
足元にまで来る。
見ると首輪をしている。

猫は好きだ。きっと
この子の飼い主もそうだろう。


だが残念だ。
別府に来てから随分沢山見かける。


この街に来て
猫を見かける度に
胸に引っ掛かる。


それはトゲのように。


ー「外飼い」「半ノラ」
理由はいろいろあるのだろう。
けれども、ぼくには許容できない部分。

行儀よく座ってこちらを見る
薄い水色の目が綺麗だ。

「きみにあげられるものはないよ」

猫はどうか家の中で飼って欲しい

「しょっぱいからね、体を壊すからね」

猫が交通事故や病気で死なないように
どうか家の中で一緒に生きて欲しい

「おうちへお帰り。長生きするために」



無責任な人は、責任の内容を学ばない。

どうしてそうなのか、理由を知らない。


かわいいから

かわいそうだから

感情は大事だ

けれど。

わかるけれど。


その前に、その生き物の命が
どうしたら健やかであれるか
考え、正しく知り、守り、動く義務がある。

猫と暮らすなら、彼らを最期見送るまで
健やかに共に暮らす義務がある。

自分たちは人間なのだから。

そのため、室内飼いはマストな選択肢だ。
少なくともぼくはそう思っている。



「ナーン…」



いつも、誰かから何か貰っているのだろう

「きみに食べ物を

 あげるわけには
 
 いかないんだ」

言葉は通じない。
彼らは習性として、誰かの行為によって
食べ物の貰いかたを覚えてしまう。
そうなれば、もう
ぼくの悲しげな言葉も無意味だ。

外で長生きはできないだろう。
彼らは、気まぐれにご飯をくれる誰かを探し
寒さ暑さを凌ぐため安心できる暗がりを探し
カラスに追われ、病気に痛めつけられ
空腹のまま、車に轢かれてしまう。

この国にどれくらいいるのか?
誰のものとも知らない猫の
はねられた遺骸を車の来ない場所へ移し
公共の回収センターへ電話している人間は。


一体何度、手を合わせて
「これしかできなくて、ごめんな」
と繰り返せばいい。

いつも考えてしまう。
正しく飼えないなら、飼うな。買うな。
避妊、去勢をして、増えないようにしてくれ。
かわいそうだから逃がす?
外で逞しく生きていてすごい?

違う。
違うんだよ。
みんな。
目を覚ましてほしい。
ちゃんと現実を見てほしい。
冷たく硬くなった未来の姿を。
彼ら彼女らの未来を。
少しだけ想像してみてはくれまいか。
手を差し伸べてはくれまいか。


こんなに美しい生き物なのに

純粋な水色のガラス玉がふたつ
キラキラとこちらをみている。

「ごめんね。ほしいよね。すぐに行くから」

おむすびを口に詰め込む。
口いっぱいで、味もよくわからない。


「ほふひへ、ほはえひ(おうちへ、お帰り)」

立ち上がり道へ出る。



振り返ると猫は、さっきまでぼくのいた
長椅子の足元へ鼻を近づけて
しきりに臭いを嗅いでいる。




大好きな生き物の
胸がつまる姿を
また見ている。








追記:大分の愛護センターの記事。大分県は保護された猫の殺処分率も全国の中で高い水準である。保護してもその努力が実を結ぶには、個人やいち団体では限界がある。正しい知識の理解と、一人一人の啓発と教育から始めるのはどうか。

動物愛護センターの保護猫数収容オーバー 昨年度524匹殺処分 命を守る譲渡の出口支援 依然として課題 | OBSニュース (1ページ) https://newsdig.tbs.co.jp/articles/obs/203281 



つづく











次回 第5章
爽やかな海に
~嫌なこと忘れたら~

よろしくどうぞ




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