羽黒山から月山への道にはいくつもの掛け小屋が建っていたという話②~大満-強清水~
現在、いでは文化記念館の2階では出羽三山の古写真の展示を行っています。羽黒山の登山口から月山へ続く道にはいくつもの掛け小屋(月山登山者への食事や休憩・宿泊のための臨時の小屋)が建っていました。そのような風景をおさめた、昭和初期の出羽三山の写真が展示されています。
大満(小月山神社)
海道坂からしばらく月山公園線を進むとの大満(だいまん)に到着します。桔梗や女郎花が咲き誇る草原で、地蔵尊と小月山神社があります。出羽三山の開祖である蜂子皇子が荒行を行ったとされる三鈷沢の秘所はここから行くことができます。そしてこの先が女人禁制の結界・女人結界です。
大満小屋は少なくとも明治以前から掛けていたそうです。
前回の記事からわかる通り、この大満小屋は今までの小屋とは違って木造です。そして常設だったそうです。春のさか迎え、夏の行者の登山、秋の峰入り時に泊まり小屋として使われていたのです。
ここの小屋ではうちわ餅が名物で、団扇の形をしているのが特徴です。つきたての餅を直径5cmほどの丸い形に伸ばして串に刺し、砂糖入りの味噌をつけて焼いたものです。この形のほか、涼しい気分で食べるためについた名前なんだそうです。
昭和33年からは山小屋ではなく、茶屋として経営が続きました。
月山神社本宮が平成6年に建て替えされ、それまで茅葺屋根だった小月山神社は平成7年に月山本宮の古い社が移築されました。翌年の平成8年の秋にバス停が設けられることを機に、鳥居は取り外され、何百年も続いた大満小屋は廃業になってしまいました。
大満は、俗世界と聖なる世界との境界という意味の「月山の一の木戸」と呼ばれていました。これを表していたのが昭和32年まであった入り口の鳥居で、ここから湯殿山の仙人沢までは「女人禁制」となっていました。
「大満」の由来
小月山神社の場所には神仏分離になる明治以前、虚空蔵堂(こくぞうどう)があり、大満虚空蔵菩薩(だいまんこくぞうぼさつ)がまつられていました。大いに満つる虚空蔵ということで、智慧や福徳を限りなく持ち合わせている菩薩がまつられていたのです。
その時代は、月山神社の本殿に13仏がまつられ、虚空蔵菩薩は13仏の中でも最高位におかれていました。最高位におかれた菩薩が頂上近くではなく2合目に祀られているのは、立谷沢にある虚空蔵岳(注1)にちなんだのではないかといわれています。
神子石(神子石神社)
大満から先はブナの原生林であり巨大な樹海を進むことになります。
現在の月山3合目にあたるとされる場所には神子石神社と神子石小屋が掛けられていました。上の写真は昭和初期の神子石小屋です。この小屋はそれまで50年あまりの休業を経て、大正11・12年頃から昭和25年まで、30年弱の間掛けられていました。
この小屋の名物は味噌餅。味噌餅の味噌は小屋の自家製だったそうです。味噌も豆腐も自家製のため、他では味わえない味だったのでしょう。
「神子石」の由来
大満は聖と俗を分ける境界で女人禁制の結界でした。巫女がこの結界を破り大満を越えた途端に、石になってしまったという話があります。
神子石には石の祠があり、そこには「みこいし(神子石)」と呼ばれる石があります。その「みこいし」は先ほどの話から、「巫女石」としてそう呼ばれているようです。
また、それ以外にも開山である能除(蜂子皇子)が月山を登る道中、魔性の女人が現れて能除の道を妨げようとしたが、能除が加持によって降伏したため、これにより「みこいし」として「皇子石」と言う、という説もあります。*¹
その「神子石」の奥には神子石神社があります。高比売命(たかひめのみこと)を祀っています。この神は大国主命(おおくにぬしのみこと)の娘にして歌の祖神として仰がれています。
強清水(生井神社)
次は強清水です。強清水小屋は月山一冷たい湧き水(地元ではデミズという)のある小屋として有名でした。
大満から強清水にかけて、うっそうとした木々が立ち並ぶ林になっており、非常に暑さが充満します。そのため、強清水の冷たい水はより涼しく感じられたことでしょう。ここでは岩間より水が湧き、この先いよいよ勾配が急になってきます。
小屋の向かいの山肌のくぼみには、生井神(いくいのかみ・井戸水の神様)が祀られていました。この写真はおそらく昭和20年代の強清水小屋です。小屋の名物は冷たい水で冷やされたそうめんです。
暑い中冷たい水や豊富な食材を利用した汁を提供できた強清水小屋は、道者の休憩所として栄えました。しかし、戦後に道路が延びるにつれて、小屋の利用者が減り、廃業とせざるを得なかったと考えられます。
脚注・参考
脚注
(注1) 虚空蔵岳:月山の北にある標高1090mの山。庄内町立谷沢にあり、金峰山や摩耶山が一望できるほか、山頂に向かえば月山・鳥海山などの山も見ることができる。比較的なだらかな山であるものの、急登も存在する。
参考
*¹『三山雅集』,東水選 呂茄発起, 1710
『奥の細道 芭蕉と出羽路』,早坂忠雄, 1988