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心を大きく揺さぶられる“パブリック・ナラティブ”

上間陽子さんの『海をあげる』がYahoo!ニュース2021年本屋大賞ノンフィクション本大賞を受賞した。その上間さんの受賞スピーチはたくさんの人の心を動かす“パブリック・ナラティブ”だと思う。著作を読んだときも「これは全編がパブリック・ナラティブだ」と感じた。スピーチもそうで、上間さんの語りは静かに、強く心に響く。聞いてから片時も私の頭を離れない。そして憧れる。憧れるだけじゃなく、このスピーチをモデルに学び続けたいと思うから、COJで学んでいるモジュールをベースに書きおこしを残しておこうと思った。

「みなさま、この度はほんとうに素晴らしい賞をありがとうございました。」とお礼やうれしさやどのように担当編集の柴山さんからのお知らせを受け取ったかを話した後からのお話が、聞いている私たちに再び「海を受け取ってください」という強い意志を持って、でもやわらかく、聞いている私たちが自分の問題だと思わずにいられないリアルな語りで続く。ここからが上間さんの“パブリック・ナラティブ”。

書店員のみなさんとのアスと沖縄を応援する人がいる希望

「これを選んでくださった方々は書店員のみなさんだと。要するにこれは沖縄の今に対する書店員のみなさんからの応援なんだな。この賞は私が受けたのではなく、沖縄に対する賞であり、沖縄で暮らしている私の調査の子たち、ほんとにしんどい思いで生きてますけど、その子たちに向けてのはなむけのような賞だなと思っていますこの『海をあげる』という本がノンフィクション大賞を受賞したのは珍しいことではないかと思っています。」

沖縄という場所の緊急性、具体的な困難:ナウ

「まず一つは、この本が持つ政治的なメッセージという意味でです。そしてもう一つは、ノンフィクションというジャンルの拡張という意味。沖縄という場所はほんとうに悩ましい場所。美しくてゆったりした場所でありながら長く日本のひとつとして認められず、日本が繁栄しつつある時間、アメリカ軍に占領され続けました。そのころ沖縄で起きた事件を見ると、沖縄で生活する多くの人が基地とのかかわりをもち性暴力の被害や米軍からの暴力におびえ、法的な措置もほとんど取られない中で暮らしてきたことがわかります。そのころ沖縄で起きた事件の数々は、「凄惨な」、そうしか言えないようなもので、そういう事件がほんとうに山のようにあります。その後粘り強い交渉によって無事に復帰は果たせたものの、戦後の日本の繁栄を一切受けることができなかった沖縄の自治体の基盤は脆弱で、その後沖縄は国内有数の貧困地域であり続け、今もまだ軍隊と暮らす場所固有のそういう問題が残存しています。」

沖縄戦、戦後の米軍占領時代と今が繋がっていることをまずは事実として語り、それが具体的に何を起こしているのかが後に続く。

「普天間基地は世界有数の危険な基地だということで今度は沖縄の辺野古、という海にこの米軍基地を作ると言っています。辺野古は巨大なサンゴ礁がありウミガメが泳ぐ海です。その下にはマヨネーズ状のやわらかい土壌がありそこに海上基地ができないことはすでに分かっています。それでも毎日税金が投入されて土砂が投入されて工事がよどみなく進んでいます。エッセイを書いている時期、それは基地からの水がフォーエバーケミカルと呼ばれる化学物質で汚染されていることや、発がん性物質であるPFOSが大量に入った泡消火剤が街を覆った時期でもありました。一メートル近いふわふわした巨大な泡のかたまりが街の中を飛びました。川の水は泡立ち海に流れ込みました。それは基地の中の米兵たちがバーベキューをしていて、火災報知器が間違えて作動してそして大量の泡消火剤が出て、それによって水や海の汚染が進んでいったという事件でした。その泡消火剤の回収は、地元の消防隊が防護服を着ることなく回収しました。」

子どもの頃の経験と東京で知ったギャップ‐セルフ

「子どもの頃、基地の傍で暮らしていた私の家の決まりごとは、車に乗るときにはすぐに車を施錠するということでした。私の母は、思春期になった私が夕刻から夜にかけて外出をするときに、手のひらに家の鍵を握るように指示し、誰かに連れ去られそうになったらまずは走って逃げること、そして捕まえられたらとにかく暴れることを教えました、今日、母が教えたとおりにしています。こうやって歩くようにと言われていました。東京に出てから私は夜の東京でも手のひらに鍵を握りしめて歩かなくていいんだということを知りました。そしてあれは、女であるというだけで狙われて、獲物にされることがある、という場所で育った特有の生活様式だった、ということも知りました。自分の手を攻撃材料とすることをシュミレーションして生きる、それは平和で安全な場所で育つ身の処し方ではないと私は東京に出て知りました。」

セルフによってさらに切実さが伝わる緊急性-ナウ

「娘を育てているので、私にはこのことは再び切実な問題になりました。私が今暮らしている場所には軍人はいません。それでも私には過去、5歳の女の子が連れ去られてレイプされて殺された事件や、12歳の女の子が集団レイプされた事件や、20歳の女性がウォーキングの途中で連れ去られて殺されて軍事演習をしている山に棄てられたこと。これらはすべて具体的な脅威です。私は娘に、手のひらに鍵を出して歩けとそういう言葉を言わないといけないのか。私の喜びのすべてである娘が誰かの獲物になることを想定すること、それはどんなに辛いことなのかと思いながら、娘が大きくなるのを眺めています。」

ここからは読者である私たちの課題、困難、希望か-アス?

「そういう思いをベースに暮らしている私にとって、『海をあげる』という本は何よりも、アリエルの王国という章のために書かれた本だと言えます。小さな娘のそばで沖縄を生きる痛みを、どのようにしたら本土の、東京の人たちに伝えることができるのか、本をまとめるとき私はその一点だけを考えました。ただ同時に本土の人、東京の人もまた痛みを感じながら生きていないわけではないと思います。私は普段大学で教師をしているので、若い人たちのあの細やかなやさしさをなんども目撃しています。またこうやって本を書くことによってたくさんの方々と関わるようになりましたが、自分よりも年若い方々が洗練されたやりかたで人と人との関係をつむぐことに、私たちの世代とは違うやさしさと痛みを感じます。だからあの本では「美味しいごはん」を巻頭に置きました。私よりも若い世代に向けて、多分人生にはいろいろある、でも何とかなるし、生きていたらいつか許すこともできるということをお伝えしたいと思いました。それでもその上で、その生活の在り方の延長線上に、私たちが周りの人にどんなに心をくだいてもどうにもならない地平が政治によって権力によって表れてしまうのだということを書きたいと思いました。あの本は「アリエルの王国」を目の前のあなたの問題だと、読んでもらうためのたくさんの仕掛けがあります。」

書店員や賞の選定に関わった人との困難・選択・結果・希望のアス

「ところでそういう本はノンフィクションというジャンルなのかと私は自分に問うています。沖縄に起きている日々のことを私は軽い筆致でエッセイのように自分の生活を綴りました。私は登山靴を履いてあるいは飛行機に乗ってどこか遠くの場所に取材に出かけていって、その場所を書いたわけではない。私はただ身近なこと、私の調査という仕事のこと、そういう身の回りのことを書きました。だからこの本がこうやって選定されたということは、ノンフィクションの意味を拡張していただきこの本を選定対象にするために尽力された方々が、この本をこういう明るい場所に連れてこようと思ったのではないでしょうか。そしてそこに書かれているアリエルの王国をどうやったら読んでもらえるのか、それを仕掛けた私とは違う場所で、その方の持ち場でその方の専門性で持ってそれを仕掛けてくれたのではないでしょうか。だから私はやはり私たちの社会は善意に満ちているのだと思います。」

再び緊急性そして求めるアクション‐スピーチの核心

「この賞が今日発表されて、明日からヤフーのコメント欄は荒れるでしょう。どうか、そこにある言葉が、そういう自分の持ち場で動かれた方々を傷つけることがないようにと願います。そしてできることなら、日本中を覆う匿名性を担保にした悪意の言葉が、どれだけ人の心を削り奈落の底に突き落とすのか、ここにいるYahooの関係者、おそらく私がこれまで会うこともなかった偉い方々に考えていただけたらと思います。私たちが見たかったのはほんとうにこういう社会なのでしょうか。

この前、娘が自分の仲良しの友だちが暮らす島を探したいというので世界地図を見せました。まず日本を教えて、次に東京の位置を教えて、今度は沖縄の位置を教えて、それからお友だちの暮らす島を教えたのですが、娘は驚いて「沖縄は本当に小さいのね」と言いました。地図で探すことが難しいくらい小さい、娘が話したのは、単に日本本土と比べると沖縄は小さいということです。それでもそういう娘の言葉を聞いた私が言葉を紡げなくなるのは、その地図で探すことが難しいくらいの小さな島に、日本が見たくない考えたくないものが押しやられていると思うからです。そしてそれは沖縄に住む私たちが望んだものでも、東京や本土に住む人々が望んだものでもないのだと思います

そういった意味で『海をあげる』はパンドラの箱でもありました。私は私たちの国のアキレス腱について書きました。そしてそういう本が今日、明るい場所にやってきました。尽力された方、お一人お一人に感謝と、同志としてのつながりを感じております。残されたのはただ一つの希望です。それは、私たちはまだ正義や公平、子どもたちに託したい未来というものを手放さないということだと思います。ご清聴ありがとうございました。」

海を受け取った私にできること

何ができるかわからない。でも何もせずにはいられない。だから、辺野古の陰でひっそりと埋められようとしている浦添市の西海岸の取り組みにも向き合いたいし、先の衆院選結果に危機感を抱く沖縄の仲間たちが「何とかしたい」と言えば私も一緒に何とかしたい。私は私がつながれるものを駆使して、「鍵を握りしめて歩きなさい」と言わなくていい沖縄にしたい。

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