「2.24音楽祭」フィナーレトーク&ライブ
1973年名護市第一次総合計画・基本構想「逆格差論」をご存知でしょうか?私は2023年3月26日(日)開催の「2.24音楽祭」フィナーレトーク&ライブ、トーク③「やんばるの自治と経済」の司会という大切な役割のオファーをいただいて初めて知りました。しびれました。逆格差論のこと、ずっと一視聴者だったイベントに作る側として参加できての思いを、忘れないように書き留めます。
出会い①「逆格差論」
1973年の時点で、経済至上主義に警鐘を鳴らすというかその路線を行くことはナンセンスで「市民独自の創意と努力によって、将来にわたって誇りうる、快適なまちづくり」をしよう、そして「たとえ遠まわりでも風格が内部からにじみでてくるようなまちにしたい」と謳っている。
トーク冒頭で、1973年当時基本構想の元で名護市の「まちづくり」をしていた、前名護市長の稲嶺進さんと、市民の資料収集から始まった「市立」ではない名護博物館・前館長の島袋正敏さんへのインタビュー映像をみんなで見た(動画の音声の切り替えで再生し直したり、私がMac触れない人で操作に戸惑うなどのハプニング付きだったけども)。
動画の中で、トーク登壇者のさきさんが「最初にこれを見た時どう感じましたか?」と聞き、正敏さんが「感動的」と答えている。「それな!」、たぶん一緒に見ていた多くの人も同じ気持ちだったのではないか。ちなみに、会場のみなさんで基本構想の逆格差論をご存知だと手を挙げてくださったのは、全体の三分の一ほど。こんなに「感動的」な基本構想が、自分たちが暮らすまちにあって、それが今も根付いていることは、もっとみんなで共有して誇って広まっていくといいなと思う。
基本構想では、豊かさとは何か?どう豊かにしていくのか?に触れ、
①自治
②生産基盤
③自然保護
を掲げ、理想や夢、目標だけを掲げるだけの「絵に描いた餅」にせず、どうやってそれを実現させるのかが書かれている。そこもムネアツ。VTRの中で稲嶺さんが学童保育を自分たちの手で始めた実践を紹介してくださっている。
イベント内では触れなかった部分だが、ここもしびれるので引用しておく。
出会い②さきさんとぐしけんさんとの時間
紹介が遅れたが、登壇者はお2人。
山田さきさん(愛と希望の共同売店プロジェクト)
具志堅秀明さん(coconova館長)
ぐしけんさんは、沖縄に移る前から「あだにーさんにぐしけん紹介したい」と数人から言われ、移ってからは「ぐしけんに会いました?」と言われ、2022年の7月くらい?の県内の他のイベントでやっとご挨拶できた経緯があったが、そのくらい。さきさんとは初対面!2023年2月24日の「 2.24音楽祭 2023」キックオフトーク&ライブにもご出演されていたので、それをオンラインで視聴し、「もっとお話し聞いてみたいなー」と思っていた。
さきさんもぐしけんさんも基本構想・逆格差論にときめいているし、稲嶺さん、正敏さんのことも大好きなのが、一緒に動画をみていたお顔からも伝わってくるし、視聴後に感想を伺ってもそれはあふれていた。
さきさんは東京の大学生として、名護市嘉陽を定期的に訪れていた時期、正敏さんのお話しを聞く機会があり、まちのひとが自分たちが大事にしたいもののために動いてまちづくりをすることの実践の一つとして、「名護博物館」を知り、学芸員になって名護市嘉陽に移住したそう。もうそのプロセスが好きすぎる。そして共同売店、食、そういうもので、基本構想にある「字公民館を中心とするコミュニティづくり」「在来種を守るとりくみ」のスタンスを大事にしていることがわかる。まさに基本構想が受け継がれている!
ぐしけんさんは、「2.24音楽祭」の初めての名護開催の中心人物。2019年2月24日に、名護市辺野古の新しい米軍基地建設の是非を問う県民投票が実施され、その後毎年(コロナでオンライン配信のみの年もあった)同じ日に、「音楽」を入口に一緒に考え行動する仲間を増やせるイベント(これは私の解釈が大いに入っている)として開催されている。
トーク②「台湾有事にどう向き合うか」。で我部政明さんが「一部の地域に意思決定をゆだねるおかしさ」に触れていたように、名護市辺野古に、県民投票で明らかになった建設反対7割という県民の意思を無視して今も建設が続けられている基地は、辺野古地区、名護市民だけの問題ではない。それでも、基地が作られている場所は辺野古。だから名護での2.24音楽祭には意義があると思う。
ぐしけんさんは名護市のご出身だが、そのぐしけんさんも大学生のときに逆格差論と出会ったそう。トークの中で、基本構想ができるプロセスについて、稲嶺さんと正敏さんから聞いたお話を共有してくださったのが印象に残っている。定時で仕事を終えた職員さんたちはお金を出し合って、ビジネスホテルの部屋に集まり、「名護市、これからどうしていく。日本に“復帰”したけれどこのままいくのか、それとも何か新しいことをやっていくのか」と議論し、時には殴り合いになることもあったという。
「世界自然遺産登録」「新テーマパーク建設」など、派手で大きな、一見お金が動いて名護・やんばるが潤いそうに見えるものに引っ張られるのではなく、まちの人たちが主軸になって自分たちの豊かさを、考えて、しゃべって、作っていきたい、ぐしけんさんがそう本気で考えていることが、トーク中私が投げる全ての質問の答えから伝わってきた。共同売店や公民館に人が集まって、必要なものを機械的に買っていくだけでは生まれないちょっとした声かけ、交流、そこにある温かさが、この人はほんとうに好きなのだなぁと。「ベルトの代わりにトラロープ」のエピソードを話す様子はたまらなかった。
“沖縄”“名護”“辺野古”“米軍基地”なんとなくネガティブ先行のワードたちだけれど、あの夜私たちは、無くなってしまったものやできないことではなく、続いているものやできること、作っていきたいコミュニティのイメージという、ポジティブなものを共有することができたのではないか。
おまけ:出会い③20年ぶり?くらいの恩師との再会
トーク②「台湾有事にどう向き合うか」の登壇者の我部政明さんは、私の琉球大学時代の恩師。ゼミは違ったが、指導教官という、その学年を担当してくださる先生で、政治学コース(今はもう違う名称)の1年生は指導教官が担当する「政治学概論」が学びのスタート。1996年、SACO合意で普天間返還が合意されたあの年、我部さんの下で沖縄県議会や1フィート運動の会事務局を訪れるフィールドワークなどをした。
昨日、さきさんとぐしけんさんと、会場入り口で打ち合わせをしているところに、ピンク色のシャツにサングラス、そしてハットを被った、相変わらずおしゃれな我部さんが登場。
「おひさしぶりです。安谷屋です。覚えていますか?」
「ひさしぶり。懐かしいな」
覚えていてもらってホッとする再会の瞬間だった。
その後会場のトークを聞きながら我部さんに「広島で会ったよな、あれ何年だったか覚えている?」と聞かれすぐに答えられずにいると、「あれは2000年。G7サミットが沖縄であって、あのシンポジウムで『G8としてロシアも加え、核保有国が集まるサミットを広島でやる意義』を話したことを思い出した」とおっしゃった。奇遇にも今年、広島でサミットが開かれる。しかし「プーチンは来ないけどね」と笑っておられたが、しびれた。なんというめぐり合わせかと。
お会いできて話せただけでもうれしかったのに、卒業後どこで会ったのか思い出してもらえて、教え子冥利に尽きる思いだった。でも我部さん、ご自身が登壇されたトーク②終了後、「私この後のトーク③の司会なんです。帰っちゃいますか?」と聞いたら、「明るいうちに運転して帰るよ」と相変わらずのマイペースで、笑っちゃった。
※当日のトークの様子は下のリンクから聞けます。私も打ち合わせをしていたりで全部は聞けていないので、ゆっくり視聴しようと思います。
終わりに
サムネイルは名護市議会議員の多嘉山侑三さんが撮ってくれた写真だ。イベントの翌日、侑三さんは名護市の令和5年度一般会計予算の反対討論の予定で、「逆格差論の話も入れて討論しようと思います!」とおっしゃっていて、これを聞いて再び、こうやって大事なものはちゃーんと受け継がれていくのだなと感じた。侑三さんの反対討論を聞いた議員、職員のみなさんが、逆格差論を思い出して誰かと話したり、知らない人は調べて感動的な内容に衝撃を受けたり、そんなことを想像した。