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タリナイ(戦争)の伝え方

今日「8月15日特別チャリティオンライン上映会『タリナイ』with大川史織監督」に参加した。沖縄のことをどうやって伝えたら関心を持って聞いてもらえるか、考え続けてきたことへのヒントをもらえたような気がする。

「知らないけどあなたを責めないよ」というスタンス

映画『タリナイ』は、マーシャル群島で戦死した父の日記から強い家族への愛を受け取り、遺骨さえ帰ってこなかった父の足跡を辿って父が最期を迎えたであろう場所で弔いたいという、74歳の勉さんの旅を追ったドキュメンタリーだ。

今日のイベントでは監督の大川史織氏のお話を聞き、質問をすることができたことで、印象に残ることばをいくつもいただいた。中でも印象的だったのは、映画の中のマーシャル群島の人々の明るさというのか、オープンさというのか、沖縄の人にも感じる細かいことは気にしない感じというのか、それともつながった、「知らないけどあなたを責めないよ」という、大川さんが話してくれたマーシャルの人たちのスタンスだ。

高校3年生で初めてマーシャル群島のスタディツアーに参加した大川さんは知らなさすぎることに気付き、大学卒業後はそれを知って伝えるために島に数少ない日系企業に就職して、住んで暮らしたというから驚きだ。スタディツアーに参加する前、両親は「それどこ?」という反応だったそうだが祖父母は「マーシャル群島ね」と当然のごとく記憶を持っていた。その記憶の断絶への気づきがこの映画を生んだのかもしれない。

「知らないけどあなたを責めないよ」が、日本の平和教育と真反対なスタンスに思えた。戦争について知っていないとダメ、常にそう言われている気がした。だから周りの同級生よりちょっと関心が強くて、沖縄に縁があることで知ることもできた私は、知らず知らずのうちに知らないこと、知ろうとしないことをどこかで責めていたと思う。それがきっと、本当に知ってほしいことを知ってもらえない原因だったのかもしれないと、今日はハッとした。

Coccoの戦争の記憶の話

今日大川さんがCoccoのおじい・おばあの話もシェアしてくれたのだが、それがまた大きなヒントに思えた。

Coccoのおばあは一度だけ戦争の話をしてくれたが、「忘れなさい」と言ったそうだ。幸せになってほしいから忘れなさいと。そんな大きな愛とともに言われたら逆に忘れないさーねー。

「この話はもう言わない。思い出したくないし、戦争は二度とあってはいけないから“予習”する必要はない。知らないでいい。そこ(戦争が終わって)からは私は『めーなちそーぐゎち(毎日、正月)』と思って生きている」

そしておじいはユーモアとともに伝えてくれたと。学校での平和学習における戦争の話は、まず恐怖体験があることが多い。戦争は怖い、人が殺される、だからしちゃいけないと。その体験は、「戦争の話は怖いから聞きたくない」というある意味ひとつのスイッチを作り出しているのではないだろうか。

戦争の伝え方のノビシロはまだまだある

私は学生時代に沖縄に行って、米軍基地があることで何が起こるのか、日常的にどういう危険に晒されるのか、その事実を多くの人が知るだけで解決の必要性は理解されるはずと思ってきたが、伝えても、事実が相手に入っていかない感覚にいつも陥っていた。それは、私の伝え方だけではなく、「沖縄」から発せられるメッセージにも感じていた。

沖縄戦で県民の4人に1人の命が失われた

日本兵(友軍)は住民を守るどころか殺した

本土決戦を遅らせるための捨て石にされた

こういう話とセットにされることが多く、セットではなくてもそのニュアンスは常にあって、そうすると聞く方は「ウッ…責められる?怒られる?」と当然なるわけで、知ってほしい事実よりも先に心に蓋をされる感じで、それが「入っていかない感覚」だったのだと、今日整理できた。

もちろん、加害の歴史も事実だ。それを学ばずにいる者が知っている者に対して「いつまで被害者ヅラするんだ」などと言うことは言語道断。傷つけられた人たちが言うのと、傷つけた人たちが言うのとでは意味が全く異なる発言もたくさんある。そういう慎重さを持つことは大前提。

戦争がどんどん遠くなるこれから、でも継承していくためには、継承される側にいかに心に蓋をさせないかがキーになりそうだ。「こわっ」「ウッ」とならない伝え方、平和学習の組み立て方を考えてみたいと、希望を感じた2020年8月15日、玉音放送が流れてから75年経った今日である。

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