10年ぶりにマラソンを走ってみた #1 因縁
三月第一週の日曜日。それは「篠山マラソン」の日。しばらく忘れていた。忘れたことにしていた。
久しぶりのマラソンだったわけだし、足にまだ疲労が残っているくらいの感じで、今のうちに書き留めておくか。と思ったが、これはまずい。今、気づいた。なぜ10年ぶりに走ったのか、それが何故「篠山」なのか。もしかして、これは15年分のランニング人生と、そのもっと前、中学陸上部時代まで振り返らないといけないことになるのではないか…ゾッとした。インスタ代わりのつもりで、なるべく気楽にnoteを使おうと思っていたのに...。いかん、なるべく気楽に、軽くかるく。
きっかけはトレラン仲間が言い出したインターバル練習会だった。ちょうど3ヶ月ほど前、あまり深く考えず参加したことから始まった。インターバル走はしんどい。一人ではしたくない。実際、マラソンで毎年PB(自己ベスト)更新を目指して走っていた時でさえしてなかった。なのに練習会。
しんどいことは知っている。吐きそうなくらい苦しいことも知っている。じゃないとトレーニングにならないから。でも限界まで追い込んで、オールアウトする爽快感とその後の開放感も知っている。一緒にやってくれる人がいるなら、できる。練習の意味も理解せず、ただ与えられたメニューを走っていた中学の陸上部で学んだことだ。思春期の記憶はわりと強めに刷り込まれている。しかも、今は大人。地獄を味わった後に、ビールというご褒美がある。せっかくやるなら、目標があった方が良い。
社会人になって初めて走ったフルマラソンが「篠山」だった。そこから5年出続けた。ストレスを発散させるのがアルコールしかなかった20代を経て、30歳になってようやく見つけた趣味と言えるものがランニングだった。走れば走るほど自分が成長していくのが面白かった。しかし、当時の労働環境は漆黒の長時間労働。思うように練習時間は取れず、日曜くらいしか走れなかった。
5年もすれば、成長は行き詰まる。このままの練習時間、内容ではこれ以上のPB更新は望めない。自分でマラソンに見切りをつけた。5度目の「篠山」で、初めて歩いた。そして、今まで素通りしていた「猪汁(ししじる)」エイドで立ち止まった。走れなくなって冷え切った体に、温かくて濃い味噌の味が美味かった。
インターバル仲間が、その「篠山」に出ると言う。定員割れでエントリー締め切り日も延びている。因縁のレースから、ちょうど10年。キリが良い。やってみようか、ノリで。というわけだ。
#2へつづく?
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