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#連載小説
鯖がぐうと鳴いた 長編ver #1/6
序章 月光の鯖が友を呼ぶ
一
江ノ島の右肩に白い月。
そこへ突進するように慶太がハンドルを切った。片瀬東浜と西浜の隙間をぬって、江ノ島弁天橋のたもとにもぐりこむ。
釣り宿が軒を連ねていた。看板には片瀬漁港と達筆な文字。右手には魚市場があって、定置網で水揚げされた魚が直販されている。そこには、私の知らない夏の江ノ島があった。
漁港の朝は、前のめりに動き出していた。
船宿にた
鯖がぐうと鳴いた 長編ver #2/6
第一章 生け簀の鯖は大海を知らず
一
一九八八年、冬。
骨から震えがくるような、寒い日の午後だった。
夕べは遅番で、揚げ物油が髪にへばりついている。この日は夜からお笑いライブがあって、せめて身奇麗にして舞台に立ちたかった。
洗面具を抱えて、凍てついた真鋳のノブをまわす。板敷きの廊下へ出る。冷気が素足に絡まって、腰へ抜けて歯と肩が震える。昼でも薄暗く、ぽつんと寂しげに裸電球が
鯖がぐうと鳴いた 長編ver #3/6
第二章 鯖もおだてりゃ木に登る
一
平成六年、夏。
デビューから八年が過ぎていた。
「新橋の日比谷口を出るとSL広場がありますから、そこへ三日分の着替えを持って、朝七時に集合してください。くれぐれも遅刻は厳禁ですからね。勝ち抜けば十六日から二十日まで、泊まりでの拘束になります。そのつもりで準備してください」
マネージャーからの連絡は、それだけだった。
具体的な企画内容は一
鯖がぐうと鳴いた 長編ver #4/6
第三章 俎板の上の真鯖
一
血管を毛虫でも這いずるような不快感だった。いや、もっと硬いものがごりごりと血管を進んでいく。
麻酔で感覚の麻痺したはずの首筋に、ときおり鈍い痛みも感じる。声を上げるほどじゃない。それでも、身体を動かさないように肩を強張らせて、顔が歪むほど歯を食いしばる。
いったいどうしちゃったんだよ、私の躰。
一瞬のめまいの後、椅子に腰掛けたままバイト先で昏倒した
鯖がぐうと鳴いた 長編ver #5/6
第四章 溺れる鯖は藁をも掴む
一
隔月で開催を積み上げてきた、新座さん主催のお笑いライブが、記念すべき第一〇〇回目を迎えた。
初期のライブでは、お客さんが一〇人に満たないこともざらにあったが、試行錯誤の末、今では立ち見が出るほどの大盛況だ。
もっとも、キャパが一五〇程度の小さな劇場だけど。
いつにも増して新座さんがご機嫌だった。
「マキちゃん、おはよう。今日のお客さんはラッキ
鯖がぐうと鳴いた 長編ver #6/6
最終章 鯖がぐうと鳴いた
一
吉祥寺の駅近にある喫茶店で待ち合わせた。
いらっしゃいませと出迎えたウェイトレスに、待ち合わせと断りをいれ、ホールの中程に立って店内を見渡す。そこにまだ鎌田氏の姿はなく、後からもう一人きますと窓辺のソファーに席を取った。
選ぶでもなくメニューを眺めてアイスコーヒーを注文する。それから五分程たって、
「まったー」
と、陽気に語尾をあげながら、鎌田氏