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健康は手段か目的か?

クグッた答えは?

家でオンライン生活。ふと浮かんだ「健康は手段か目的か」という疑問。まずは検索。

ありました!1986年にオタワ憲章で、目的ではないと書かれています。

Health is, therefore, seen as a resource for everyday life, not the objective of living.
「健康は日々の生活の一つの資源であって、生きる目的ではない」

このオタワ憲章、改めて読むと三分の一世紀前に書かれたとは思えません。今でも通用する普遍的な内容です。SDGsにつながるものも多い気がします。

健康の定義とは?

そもそも、1947年WHO憲章で定められた「健康」の定義)が、日常、市中で使う健康よりかなり広義です。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」

全てが満たされて初めて健康。「社会的」social well-beingまで入っているのが深イイですね。もはや健康というより幸せの定義に思えます。「健康経営」を唱える企業も多いですが、一口に健康経営といっても、①肉体的まで、②精神的まで、③社会的まで、のどこまでに取り組んでいるかに差があるのは、この定義への理解の差かもしれません。

ホリエモンと野菜と

ところで、堀江貴文さんが「野菜を食べてエライとか言うのはおかしい。野菜は美味しいから食べてるんだ。」と怒った動画がありましたね。

田舎で、裏の畑で育つ美味しい野菜を食べてきた私としては妙に納得できた話でした。そう言われてみると、「野菜は美味しくないけれど、栄養摂取のために食べねばならぬ!」キャンペーンは、家庭・学校・メディアなどあらゆるところで国を挙げて行われている気がします。この手の絵本もよくみかけるので、幼児教育からスタートしています。食育のやり方も考えさせられますね。
美味しいと思わないで「健康増進のために(>_<)」と野菜を食べる時点で精神的苦痛を感じる人も多いかもしれません。身体的健康のために精神的健康を犠牲にして食べるという自己矛盾の状態は、目的と手段が混濁しているのかもしれません。

何が「私」の「健康」か?

健康を、心身の健康という狭義で捉えるとそれは目的ではないですが、社会的にもwell-beingな状態を指すとすると、私は目的になり得る気がします。そしてそれを実現する手段は全て健康増進(health promotion)と呼べるでしょう。例えば、イライラせずに子どもと向き合う状態になりたい人が、一杯のコーヒーによって穏やかな気持ちを取り戻して子どもを抱きしめたなら、コーヒーを飲むことは健康増進と言えるでしょう。

一人ひとり身体的にも個性があるように、well-beingな状態もまた一人ひとり個性があって然るべきでしょう。自分らしいwell-beingとは何かが定まったときに、初めて健康は目的になるのかもしれません。

自分自身がどうありたいか(being)を見つけることからスタートしてみませんか?


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