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学校へ行くことが当たり前過ぎることへの違和感

以前、「この社会は他者への想像力が足りない」というnoteを書きました。

この時、この繊細な青年は、学校についても言っていました。

「学校へ行くことが当たり前過ぎることに、違和感がある」と。


当時の私には、この言葉の意味が、さっぱりわかりませんでした。

私は、健康優良児で、勉強もできて、小学校も中学校も高校も皆勤賞で、むしろ、行かないなんて選択肢を考えたことがなかったから。

学校に行くなんて、当たり前でしょ!?

みたいな。

もう、恥ずかしいくらい、自分が経験していないことへの想像力が足りなかった。


で、この言葉を思い出したのは、最近読んだ本から。

辻村深月「かがみの孤城」

何年か前の本屋大賞で、文庫本になるのをずっと待っていたのです。

内容は、お互いに面識のない不登校の中学生7人が、家にある鏡を通じて、別次元の城に呼ばれて日中を過ごす、というお話。

ただのファンタジーかと思いきや、この現代日本社会の学校にまつわる問題提起がなされていて。


一番思ったのは、
「いじめっていじめられる側じゃなくていじめる側に問題あるよな」
っていうこと。

あとは、ほんっとうに、「世間体」とか「常識」とか「普通」っていう概念は、暴力だなっていうこと。

自分の中に軸を持っていないと、簡単に「常識」ってやつに振り回される。そして、そういう人に限って、他人にもそれを強要して、自分を正当化する(←過去の私。ごめんなさい)

学校では、そういうのを教えて欲しかったわ~。

学校に行って、得たこともある。
だけど、失ったものもある。

私で言ったら、自分で考える力とか、個性とか、嫌われる勇気とか、それこそ他者への想像力とか。

「学校へ行くことって当たり前なのか」

4月、ちょっと考えてみませんか??

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はぎのやの女将@神田
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