見出し画像

2022年度 関西学院大学入学試験 日本史過去問解説(個別:神・商・国際・教育・総合政策)

2022年実施の関西学院大学入学試験
そのうち2月6日に実施された日本史の問題の解答・解説を掲載します。


インターネットでは解答が掲載されていない大学の問題をピックアップすることで、過去問研究の際に役立ててもらうために作成しました。

解説だけでなく、過去問掲載の参考書より端的に入試問題を解く際の考え方や、解答を導くヒント、難易度(捨て問含む)などの分析を掲載しています。

なお、著作権の都合上、問題の掲載は行いません。
該当試験の問題については、以下のサイトより無料で閲覧することが可能です。こちらと合わせてご利用ください。


〔Ⅰ〕

1.ア   2.エ   3.イ   4.ウ   5.イ   6.イ
7.イ   8.ア   9.ア   10.ア

2a
律令制度の兵役では、兵士は武器や食料はすべて自分で用意しなければなりませんでした。教科書では自弁なんて書き方をしてます。

2b
平城京には都の中央を南北を走る朱雀大路が通っていました。
朱雀大路の北端に朱雀門、南端に羅城門がおかれました。羅城門が平城京の正門になります。

3b
定朝が完成させたのは寄木造です。プラモデルのようにパーツごとに作成し、最後に組み合わせる方法を採用したことで、大量生産が可能になりました。

4a
後鳥羽上皇は北条義時追討の院宣を出しました。

5b
一揆で求められた徳政とは、借金の帳消しや債務の破棄を指します。年貢の減免ではありません。

6b
北前船は、北海道や東北の物資を日本海各地に寄港しながら、下関をまわって大坂などに輸送した船です。

7b
本居宣長と賀茂真淵を逆にすれば正文になります。

10問中4問が「ア」とは結構意外だなと思ったのですが、関学受験生もしくは関学の問題をよく解かれた方はどうお考えでしょうか?


〔Ⅱ〕
1.ウ   2.イ   3.イ   4.ア   5.イ
6.エ   7.エ   8.ア   9.イ   10.エ

1
越後屋は三井商店が開いた呉服店。「現金かけ値なし」の商法で繁盛しました。のちに両替商も兼業し、現在の三越につながります。


知恩院は浄土宗の総本山です。
鎌倉文化のところで扱います。覚えておきましょう。


現在も銀行名に名を残す…とあれば住友が適切か。
愛媛にある銅山は別子銅山です。足尾銅山は現在の栃木県に位置します。


アは近江屋事件、ウは寺田屋事件です。近江屋事件の名前までは覚えておく必要はないです。


富岡製糸場で三井に払い下げ、私大ではたまに出ますね。
ウの長崎造船所は三菱に払い下げられました。


1871~1875年あたりは、明治維新における様々な諸改革や出来事が多く起きており、私立大学ではこの西暦を突いてくる問題がたまにあります。
台湾出兵は1874年の出来事、知っておいてもいいかもです。


自由民権運動の弱体化を図るため、伊藤博文は三井から費用を出させ、自由党の板垣退助・後藤象二郎を洋行させました。これに不満を覚えた立憲改進党は自由党を攻撃しますが、自由党もまた立憲改進党の大隈重信と三菱の関係を暴いて反撃、この対立によって自由民権運動は統一的な指導部を失ってしまいました。


共和演説事件で憲政党がバラバラになり、大隈重信内閣が退陣しました。そのあとは第二次山県有朋内閣が成立しています。

10
団琢磨は三井合名会社理事長であることを覚えていれば解けるはずです。


〔Ⅲ〕
1.エ   2.ウ   3.エ   4.イ   5.ア
6.エ   7.イ   8.ア   9.ウ   10.ア

1a
北野天満宮が所有している土地は荘園か公領かどちらかという問題ですね。貴族や寺社が保有した土地は荘園ですので、イかエが正解になりそうです。

1d
( d )催促軍役……とあることから守護が選べます。
守護の役割、大犯三カ条を思い出せれば答えが導けるかと思います。


段銭は田地一段ごとに賦課されました。
石高は1段あたりの生産高を示したものですので、基準が異なってきます。
選択肢アの一国平均役という語句は関学でしばしば出題されるので、覚えておきましょう。


書状が誰から誰に向けて書かれたのかという問題

NHKサイト「家康の手紙を読む 静岡家康紀行 NHK静岡」より

書状の終わりでは、まず日付を書き、そのあとに差出人(手紙を書いた人物)が書かれます。そして最後に宛先を記入するという流れです。
上の画像では、家康が豊臣秀次にむけて書かれたものというわけです。

今回の問題だと、源朝臣が松田丹後にむけて書かれた書状であることが分かるかと思います。


まずこの史料についてですが、差出人が源なので、源氏すなわち鎌倉時代に書かれたものかな?とするのは早計です。
段銭は室町時代から賦課された税です。時代を特定できる単語はすくないですが、このキーワードからだけでも室町時代に書かれたものであることが導けます。

では源朝臣とはだれなのか…ここまで正解できた人は少ないかとは思いますが、ずばり、源朝臣とは足利義満のことを指しています。足利氏はもともとは河内源氏の源義家を先祖に持つ家系であり、こういったことが由来して源朝臣と記されることがあります。
選択肢アは、まさにその義満が朝廷の京都の施政権を接収したことを示すものになります。


室町時代の史料なので、源朝臣は頼朝ではないということが分かるでしょう。また北野天満宮は京都にあり、この史料で東国の支配権が与えられたかどうか定かになるとは考えにくいです。


室町時代の史料なので、源朝臣は実朝ではないと考えられます。


鎌倉幕府の支配権は承久の乱後に西国にまで及んだと考えるのが一般的です。六波羅探題の設置なんかがまさにそれを示しています。
少なくとも弘安の役のあとに鎌倉幕府の支配権が西国に及んだという歴史的意義はありません。


史料Bのような政治風刺などのパロディは、関学でよく出題されます。
これがどの時代を、もしくは誰を風刺したものなのかをまずは特定しなければなりません。

ヒントは
①「まひないを取り込」…どうやらこの人物は賄賂をもらっていたようです。
②「印旛沼を騒し」…どうやらこの人物のせいで印旛沼が騒いだ、すなわり印旛沼が大変なことになってしまったようです。

この2つのヒントから1人の人物が特定できたでしょうか?
お金に汚い問題が取りざたされて、印旛沼の干拓事業に失敗した人物といえば、、、、そうですね。田沼意次のことでしょう。


田沼意次が鋳造したのは南鐐二朱銀です。資料集を見てる人ならわかるかと思いますが、南鐐二朱銀は四角形なので、形状も史料と事実が一致していることが分かります。


上米の制は、大名に1万石につき100石の米を幕府に提出させる、年貢増徴策です。なので、救荒対策に含むことはできないでしょう。


間部詮房は徳川綱吉の側用人を務めています。


( i )を取あけ…と書かれていることから、田沼意次が徴収したものを選べば正解です。

10
ア…円山応挙の「雪松図屏風」、宝暦・天明期の作品
イ…狩野永徳の「唐獅子図屏風」、桃山期の作品
ウ…渡辺崋山の「鷹見泉石像」、化政期の作品
エ…「彦根屏風」、寛永期の作品


〔Ⅳ〕
1.エ   2.イ   3.イ   4.ウ   5.イ 
6.イ   7.エ   8.ウ   9.エ   10.イ


『太陽』は高山樗牛が発行に携わっていますが、彼の唱えた日本主義は日本古来の伝統的な精神を欧米と比べて賛美する考えであり、下線部の「西洋の自由主義的な思想」には当てはまりません。


三宅雪嶺が発行に携わったのは『日本人』です。


戸水寛人などの七博士や対露同志会、『万朝報』の黒岩涙香などは日露戦争への参戦を強く主張しました。戦争の回避を訴えてはいません。


小日本主義を唱えたのは石橋湛山です。
『蟹工船』は小林多喜二作のプロレタリア文学作品です。



青鞜社が発行した雑誌は『青鞜』です。


女性の政治運動参加を禁じた治安警察法5条は後に改正されています。


山川菊枝らの赤瀾会は、社会主義的立場をとる女性運動団体です。


破壊活動防止法は1952年に制定されたものなので、人権指令が出された当時は存在していません。


五大改革とは
婦人参政権の付与、労働組合の結成奨励、教育の自由主義化、圧政的諸制度の廃止、経済機構の民主化
の5つです。それぞれ頭文字2つをとって、
婦人、労働、教育、圧政、経済
これで覚えておきましょう。


A級戦犯は「平和に対する罪」に問われました。

9・10については問題の通りです。
9はやや難しかったかもしれません。


いいなと思ったら応援しよう!